微量毒素


   概念3;愛の対象   

李老師;きょうは、人間が持ちうる愛の対象について検討してみよう。

妃學生;お願いします、老師。

李老師;異性にときめきを覚え、できればお近づきになりたいと思い、あわよくば、あーもしよう、こーもしようと思うのは、人の常である。これはわかるね、妃學生。

妃學生;よく、わかります。

李老師;妃學生はわかりすぎるほどわかるだろうな。常時発情しているようだし。

妃學生;老師、わたくし、今若干の殺意を覚えました。

李老師;殺意を覚えてはいけない。せっかくの講義を聞けなくなってしまうよ。

妃學生;では、講義が終わってからならよろしいのですか。

李老師;もちろん、よくない。

妃學生;それは、とても残念です。


李老師;さて、最初に私は「異性に対して」と言ったが、これはもちろん、非常に不十分な物言いだ。妃學生、愛を覚える対象について、異性以外で言えるものはあるかね。

妃學生;もちろん、あります。異性に対して、同性に愛を覚える者もいます。私にはまったく理解できませんが。

李老師;妃學生にはわからないだろう。なんせ、とにかく男が好きだからなあ。

妃學生;老師。(-_-メ)

李老師;すまん。今回の殺意は物理的な質量があるようだったぞ。いや、同性に覚える愛についても、いずれ話すとしよう。しかし、今回は対象についてのみ、もう少し考えていこう。異性だけでなく、同性に対する愛もあるわけだから、異性に、では、語弊がある。他者に、とでも置き換えるか。他には何か思いつくかね。

妃學生;ペットに対して愛を注ぐ人もいます。ほかには、そちらに踏み込むと気持ち悪いのですが、人形や、二次元の絵に対して愛を覚える人たちもいるようです。

李老師;なかなか、よく見ているね。しかし、同種の生物に対しての愛にも、もう一種類あるのに気づかなければならない。他者ではなく、自分自身に限りなく愛着を覚える人たちもいるね。

妃學生;なるほど。確かにそういう方もいらっしゃいますね。

李老師;同種の生物でなく、異種の生物に対して、愛を覚える方々もいるね。先ほど妃學生の言った、人ではなく動物に限りなく愛を注いでいる人たちのことだ。愛の対象は、異種生物にも広がってゆくわけだ。

妃學生;人形などに愛を向けている方々についてはどうなのですか、老師。

李老師;そのような、無生物に至高の愛を向けている人たちも確かにいる。その愛が人間、あるいは動物に向ける愛と異なるのかというと、そうではない。それぞれの愛の本質は同じものだ。


妃學生;老師は、魅かれあう男女の愛が、二次元オタクと同じものだと仰るんですか?

李老師;二次元オタクとは、ずいぶん踏み込んだ専門用語を知っているな。そちら方面にも造詣があるとみたが。

妃學生;お忘れください、老師。それで、その二者の持つ愛は同じものだというお考えなのですか?

李老師;その通り。大筋において、それほど違うものではない。ただし、妃學生の言った言葉には、大きな示唆がある。それを元に、話を展開させてもらおう。ただし、その前に、愛を向ける対象の範囲をさらに追求しておく必要がある。

妃學生;アニメオタクより、さらに不気味な存在があるというのですか?

李老師;不気味ではないと思うが...無生物を愛するということを、もう一押ししてみよう。無生物ですらないものを愛する人たちがいるのを知らないのかね?

妃學生;無生物ですらないもの?

李老師;実体を持たないものだよ。世の中には、実態のない概念を生きるよすがとしている人たちもいるだろう。

妃學生;それは愛なのでしょうか。

李老師;難しいが、愛の属性に、そのものに対する執着と献身がある以上、外すわけにはいかないだろう。実態のない概念を守るために、命を落とす者もいるのだから。

妃學生;実態のない概念ですか。概念というのは、その概念を持っているものが消えた時に消えてしまいますよね。それは、愛を向ける対象になり得るのでしょうか?

李老師;なかなか、いい切り口だね。愛について、分け隔てなく、あらゆるパターンを想定していくと、ほんとうに留まるところを知らず、世界が広がっていってしまう。わかりやすくするために、私が考えた分類を披露しよう。

妃學生;真理をお教えください、老師。

李老師;確かに一面の真理ではある。しかし、一つのことを真理だといって押し付ける者がいたら、その者はいかさま師だ。絶対無二の真理などというものは、この世には存在しないのだからね。これは覚えておいてくれたまえ。

妃學生;真理は存在しないのですか?

李老師;真理は存在するよ。唯一無二の真理は存在しないと言っているのだ。あらゆる真理は、覆されうる。無条件に何かに縋ってはいけない。そうした者は、いつか必ず裏切られるだろう。人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。荒れ狂う嵐の中でも、一人で立っているようにすることが肝要なのだ。

妃學生;よくわかりませんが、判断を人に預けるなということですか?

李老師;完璧ではないが、なかなかいい受け取り方だ。後は、時には自分自身をすら、疑う必要があるということも覚えておきたまえ。

妃學生;心します、老師。老師の言うことも話半分に聞くようにします。


李老師;少し、言葉の選び方に不愉快な感じを覚えたが、それでよろしい。それでは、人間の持つ愛を分析してみよう。もちろん、これが絶対というわけではない。ある面から撮った、思考世界の断層写真だと思ってくれればいい。妃學生は、先ほど、魅かれあう男女の愛が、二次元オタクと同じものなのかと言ったね。

妃學生;確かに言いました。老師は、違うということはできないと言われました。

李老師;わかりやすくするために、ここからは牛刀で、大きく捌いていってあげよう。分類基準の一つ目はこうだ。愛を向ける相手からのリターンがあるかどうか。これが最初の切り口だ。

妃學生;リターンがあるかどうか、ですか。たとえば、異性間は当然ありますね。というより、人間が相手なら、これは必ずあると考えていいですね。

李老師;自己愛はどうかな。

妃學生;自分で自分に対して出すリターンは...リターンではない?リターンと受け取ってもいいという気がしますが...

李老師;発するものと受け取るものが同じなら、それはリターンではない。そう考えてくれたまえ。

妃學生;ペットや動物に対する愛情は、リターンがありますよね。動物自身の意思もあるわけですから。

李老師;それでいいかな?リターンを受け取る側が、リターンを発する側の意図が理解できるようなら、リターンがあると考えていいだろう。しかし、それが一方的な思い込みでしかなければ、それはリターンがないということになる。

妃學生;なるほど。考え方がわかってきたようです。人形愛や二次元オタクは当然、リターンはないわけですね。

李老師;その通り。そうすると、次に問題になってくるのは、リターンのないものが、愛と呼べるかどうか、だね。

妃學生;でも、李老師は、魅かれあう男女の愛が、二次元オタクの想いと違うということはできないと言われましたよね。

李老師;そう。この二つ、つまりリターンのあるものとないものの間には、何かを愛しく思うという思考作用自体に差はない。あるのは、その想いの動き方の違いだけだ。

妃學生;動き方の違い?

李老師;リターンのないものに愛情を感じるということがどういうことか。これは、つまり自分の想定していないリアクションが発生しない、ということだ。

妃學生;李老師、何かおぞましい理論を展開しようとしていませんか?

李老師;そうでもないだろう。ある者たちにとっては、それが自然なんだし、薄々気づいてもいるはずだ。なぜなら、そういう者たちにとっては、普通の愛と、自分の愛の落差を以って、快感としている場合も多いからね。意識するとしないに関わらずだが。

妃學生;やっぱり、危なそうじゃないですか〜


李老師;危なくない話など、こういう話にはないだろう。やりようによっては、あらゆる物事を変態性欲に還元することだって出来る。これは、フロイトがやったことだがな。

妃學生;フロイトが聞いたら怒りますよ。

李老師;幸いなことに、彼の人は既に鬼籍に入っている。ちなみに、私がこれからしようとしている話も、フロイトが似たような考えを展開している。フロイトは色欲をリビドーと呼んでいた。どこかで耳にしたこともあろう。フロイトはリビドーを、対象物があるそれと、対象物のないそれを分けて考えていた。さらに、対象物のない色欲を、フロイトはナルチシズム、すなわち自己愛と名づけている。

妃學生;李老師のお考えもそうなのですか?確かに似ていますが、何か、微妙に違うような感じがしますけど。

李老師;よく見極めたな、妃學生。そう、対象物があっても、リターンがあるとは限らないのだ。私は、対象物の有無でなく、リターンの有無で判断すべきだと考えている。対象物があっても、リターンがなければ、それは自分の思惑の範囲内でしか量れぬ思いになるからな。

妃學生;リターンがないものは、すべて自己愛の延長であると?

李老師;これを自己愛と呼んでいいものか、ちょっと悩ましいところだな。自分に対する愛情ではないのかもしれない。他者に対する恐れから、ここに入り込むことも、かなりあるからな。

妃學生;それはもう愛ではありませんね。

李老師;愛ではないが、その裏返しではある。他者に対する恐れは、すなわち、自己を守りたいという気持ちだからな。これはやはり自己愛につながるものなのかもしれない。

妃學生;やはり、大きく分けると、リターンのあるものとないものの二つが最初の切り口になるわけですね。

李老師;そうだな。もう時間も遅くなった。それぞれに対する考察は、また別の機会に行うとしよう。それでは妃學生、次の講義までに、自分なりの考察をしておくんだよ。ただ聴くだけと、自分なりに考えてから聴くのでは、得られるものに大きな差がある。

妃學生;了解しました、李老師。いろいろと考えてきてみます。

李老師;実行も必要だが、ほどほどにな。やり過ぎると感覚が麻痺していってしまうからな。

妃學生;それは過分なお気遣いでございます、李老師。平たく言うと、余計なお世話だ、エロじじい、でございます。

李老師;平たく言わん方がよかったな。何か、とても寂しい気持ちになってしまった。それでは、きょうはここまでとする。

妃學生;ありがとうございました。