文房具屋という空間 |
李・青山華 |
小学生の頃から高校生にかけて、文房具屋に行くのがとても好きだった。別に、憧れの文房具があったわけでも、文房具屋に可愛い店番のお姉さんがいたわけでもない。文房具屋は、全く形状や材質の違う、様々なものが整然と整理されて並んでいる、夢のような空間だった。
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小学校から中学校にかけて、よく行っていた文房具屋は、昔ながらの木製引き戸の、薄暗いような構えの店だった。それでも、けっこう広い店内には、文房具屋として恥ずかしくないだけの品物が隙間なく並んでいた。近くに会社がいくつかあったため、製図用品のエリアもけっこう広く、そこに並んでいる大人用の製図用品は、その仕様と無骨さで、私の目を引きつけたし、同じ店内の別エリアには、折り紙や花仙紙、紙テープなどの鮮やかな小物が並んでいた。この無国籍な同居が、文房具屋をより素敵なところにしていた。
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そのころ、町の商店では、買い物の金額に応じて、ポイントシールを発行するサービスを行っており、集めると一冊あたり500円分の買い物が出来た。母親に言われてこれを貼る手伝いをすると、一冊くらいをくれるので、それを持って文房具屋に行って、随分な時間をかけて、買うものを選んだものである。
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鉛筆や消しゴムは学用品として買ってもらっていたので、そのポイント帖と交換するのは、学校の勉強にとって必要なものである必要はなく、もっと言えば、その時の私にとってなんの役に立たないものでもよかったのだ。普段なら買おうと考えもしないものを、500円分、買うことが出来るのだ。当時の500円はけっこうな価値があり、必要もないものを買うという、放縦で甘美な楽しみに、随分な時間をかけることが出来た。
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そうして買ったのは、使うあてもない5色の紙テープや、輪ゴムを業務用の箱一箱分とか、使い道はわからないが、金属の光沢が美しい事務用品などを集めて、スタンプ帖と替えてもらっていた。
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もちろん、おもちゃ屋でもそのスタンプ帖は使うことが出来たが、おもちゃ屋に行く気にならなかった。おもちゃ屋では欲しいものは決まっており、それはクリスマスなりに買うものだし、本当に欲しいようなものは、500円では購うことのできないものだったからである。子供にとって、おもちゃ屋では、買えるものと買えないものが決まってしまっており、選ぶ楽しみがなかったから、あえて行かなかったのである。
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おもちゃ屋では、500円は500円の価値しか子供には与えてくれなかった。それに引き換え、文房具屋では、入りもしないものを買うという贅沢を、500円でも十分に味わうことができたのだ。その価値は、500円をはるかに超えていた。その贅沢さは、どんなに高価なものであっても、実際に使う目的がある物を買うときには感じられないものであり、その時の私は、どんな王侯貴族よりも確かな贅沢をしていたのである。
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なぜ、文房具屋かということは、その辺りにありそうだ。釣具屋も本屋もあったし、そこで物を買うことはしばしばあったが、スタンプ帖で欲しいものを買うことはなかった。それは、そのスタンプ帖の持っている、もっとも大きな価値が、欲しいものを買うことでは満たされないからである。そして、それは色々な欲望を持つようになってからでは味わえない贅沢であることを、子供の私はちゃんと知っていたのだ。
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このスタンプ帖に似たものを、大人になってから手に入れる機会があった。どこぞの政府が、人気取りのために全国民に配った、地域振興券という、あれである。数万円分の商品券が、降って湧いたように手に入ったのである。これは、あのスタンプ帖と同じだという確信と、あの贅沢さが心の中に甦った。しかし、私は昔のような贅沢を得ることが出来なかった。
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ひとつは、大人としてのつまらない理性が大いに働いて、使うためのものに半分以上を割いてしまったということ。すべてを無駄なことに使わなければ、それはしみったれた贅沢でしかない。さらには、大人になった私は、文房具屋に行っても、子供の頃のように、時間をかけることができない。大人は、買うべきものを決めて店に入り、さっさと買って出て行くものなのだ。さもないと、不審そうな店の人の視線が首筋にちくちくと刺さるのを感じることになる。さらにさらに、大人になった私は、文房具屋に入っても、必要がないのに買うものを、見つけられなくなってしまったのだ。必要のないものに目が行かない、大人特有の効率の良さを、しっかりと身体に沁み込ませてしまっていたのだ。
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くれぐれも、全国の少年少女たちが、まだ余計な知恵のつく前に、このような放縦の贅沢を味わう機会を持てるよう、私は心から祈っている。これは、子供の時にしか得られない感動体験であり、大人のどんな金持ちがする贅沢よりも、はるかに素晴らしいものなのだ。なぜなら、どんな金持ちも、買う必要のないものは買わない。買う必要のないものを買っていては、金持ちではいられないし、何らかの目的を持って買うのは、それは既に本当の贅沢ではないからだ。
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04.10.16 |