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試合と真剣勝負 | ![]() ![]() |
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目的 | 制約 | 結果の判定 | 左右するもの |
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1 | 真剣勝負という場合、勝負をすることによって目指すところは様々である。地位、名誉、金、異性など、高尚なものから生臭いものまであらゆるものがその目指すところになり得る。 |
2004.06.22 |
2 | 試合の場合は、これが「勝ち」という、実に抽象的なものになる。勝つことによって何が求められるかということがあるが、これも突き詰めていけば、真剣勝負と同じだが、生臭いものの比率は大幅に減るだろう。名誉がほとんどかな。 |
2004.09.13 |
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1 | 試合と真剣勝負のもっとも大きな違いは、制約が課されているかどうかである。試合では、必要以上の死傷を防ぐために、細かい制約が課せられている。 |
2004.06.22 |
2 | 真剣勝負では、基本的に制約はない。あると思うのは勝手だが、それを破ったからといって、相手を非難するのは当たらない。 |
2004.06.22 |
3 | このあたりが微妙になるのが、試合と真剣勝負のどちらか判断に困る場合、あるいは、参加者双方の考え方が違っていた場合である。宮本武蔵が吉岡道場との戦いで非難されるのは、試合であるのに卑怯な手を使ったからだ。宮本武蔵は、常に立会いを真剣勝負と考えていたのに対し、対戦者は試合だと考えていたのだ。 |
2004.06.22 |
4 | 仇討ちは真剣勝負である。本来、寝首を掻こうと衆を頼もうと、文句を言われる筋ではない。だからこそ、正々堂々と名乗りをあげて、1対1で勝負を挑むと誉めそやされるのだ。当たり前でないから皆が感動するのである(*1)。 |
2004.06.22 |
*1 | 鈴鹿8時間耐久レースでは、バリバリ伝説で秀吉がマシンを押して戻って以来、みんなが押して戻るようになった。そこには既に感動はない。無意識に強制された行為があるだけだ。1年間を棒に振って、諦めてこそ華というものだと思うのだが。 |
2004.06.22 |
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1 | 真剣勝負の場合は簡単である。死んだほうが負けである。試合の場合は、これが「勝ち」という、実に抽象的なものになる。試合の場合は、例外はあるが、大抵負けた方も自分の足で歩いて帰れる。当たり前である。本来、試しに腕合わせをしてみるということなのだから。つまり、試合の場合は、同様の技術について、優劣を競うということになる。同じ約束事の範疇で行われる試合、たとえば剣道対剣道であれば、技術の優劣で判断がつく。 |
2004.09.13 |
2 | 悩ましいのが、異種技術間の試合である。土俵から何から同じものはありえないので、様々な制約がつくことになる。あげく、結果が出ても、「これこれの場合なら」とか但し書きが付き、すっきりとしないことおびただしい。異種技術間では、そもそも勝負をすること自体が間違いであるともいえる。 |
2004.09.13 |
3 | しかし、例え同じ技術同士の戦いであったとしても、試合の判定は難しい。特に高度な試合になると、どうしても素人には、勝ちの理由がわからない。見る人間が見れば明らかなのだが、総じて素人には、「勝ち」という判断が、実に曖昧なものに思えるのだ。神秘性を全面に出した、半分いかさまのようにも思える。 |
2004.09.13 |
4 | そして、実際にいかさまの場合もあるので、さらに性質が悪い。意図したいかさまならともかく、意図しない、判定者の判定力に問題がある場合は、結果としていかさまになってしまう。試合では相手を殺せない以上、本当に確実な勝ち負けはつけようがないのだ。 |
2004.06.22 |
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1 | 試合の場合は、技量の優劣によって決まる。審判者の技量(*1)や、意図(*2)によって結果が変わってくる場合もあるが、公表される結果とは別の、試合者自身の考える結果は、そう変わるものではない。その試合者の力の差が大きすぎると、「俺は負けていない。真剣で立ち会え」になる。彼我の力量の差が読めないのだ。荒野の七人のブリットは格好よかったなあ。 |
2004.06.22 |
2 | しかし、真剣勝負では、勝負をする者の技量の優劣は、結果に関係しない。結果に影響してくるのは、その勝負に対する心構えである。絶対に勝ちたいと思うものが勝つのだ。どんな卑劣なことをしようと、観客から、あるいは後世からどんな非難をされようとかまわず、とにかく勝ちたいと強く思うものが勝つのだ。負けてしまったとしても、さわやかに手を差し出して握手を求める、その手の中に毒針を潜ませたものが勝つのだ。 |
2004.09.13 |
*1 | シドニー・オリンピックのあれである。柔道を知らないものが柔道の審判をするなよ! |
2004.06.22 |
*2 | いわゆるホームタウン・デシジョンである。 |
2004.06.22 |
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