微量毒素
魔ヶ物紀行

Travelogues of weird places

0.序章 〜花を見られるどこか〜

李・青山華
このお話は春のお話、「桃」から始まりました。



桃を近くで見たくてたまらない異界の女の子と、それを慎重に眺めながら一緒に旅をする男の人のお話です。

ずいぶん前に、春の花を見たいのに飛ばされてしまう少女のお話をお届けしました。
その少女はずっとどこかで花を見たいと念じていたらしく、
花のない季節に流れる電車の外の景色を見ていた私に、
わざとらしく向こうを向いてしゃがみこんだ姿を見せました。

一見限りで忘れていた無情な作者に願ってみせるなんて、
少女はずいぶんと花を見たかったのでしょう

以前に書いた沼の姫と、書き続けている魔が事祓いの少女のお兄さんが、
花を見たい少女のために協力してくれることになりました。

少し震えば壊れてしまいそうなあやうい旅です。
皆様も大きな声を出さずに、静かに見守ってあげて下さい。


「花を見ても飛ばされない里があるって」
 少女は表情の動かない瞳で私を見上げた。
「どこで」
「ねずみ。新幹線で移動してる一族がいて、その一匹に聞いた」
 最近のねずみは新幹線を利用するらしい。いや、ねずみは昔から人間の移動手段を活用するのに長けていたか。私は自分の用事をしながらいい加減に聞き返す。
「どこの」
「北」
「北海道か」
「海は渡らない。山に囲まれたその里は古い女神に寿がれていて、新しい神の呪縛が届かないと」
「聞いたな、そんな話」
「連れていって」
 思わず少女の顔を見た。少女はずっと私を見ていたらしい。その目は私に向けられている。瞳が人のように揺らめかないのに、虹彩のないその目は感情を伝えている。
「俺が、おまえを?」
「おまえが、私を」
 少女はそう決めているらしい。
「俺は忙しい」
 黒い光が翳った。少女が目を伏せたのだ。
「そうだな」
 少女はいつも望まない。自分で出来る以上のことはしないのだ。元々異なる眷属であり、利害関係は作らないのが望ましいから。
 少女は春の花を見ることが出来ない。花々が破魔の力を与えられているからだ。元来桃の花が強い力を持っているが、この国では桜も魔に近い力を破魔に向けるよう定められた。
 少女はずいぶんと花を間近で見たいらしい。過ぎた春もこの春も、少女はいつも外で花を遠くに見ている。春の光も身体にきついはずなのに。
 少女はもうこちらを見ていない。目を彼方に向けて、何かを手繰り寄せようとしている。遠い記憶、あるいはまだつかんでいない未来。少女は思いに耽るしかない。少女の力はこの地では大きく出来ない。この地にある力はすべて新しい神に統治されている。
 「花を見られる土地、花が受け入れてくれる土地」
 少女は呟く。そこでわざとのように私は思い出す。私が一族に陸奥(みちのく)の地を探ってくるように言われていることを。思わず綻ぼうとする頬に驚きながら、私は少女に声をかける。
「連れて行ってやろうか」
 顔を上げた少女の瞳は揺れる。喜びではない。驚き。いや、不安に近い。
「忙しいのは知っている」
「俺の仕事があった。北に行く用事がある」
 少女は横を見て、また私を見る。私は頷く。要のこの地は妹に任せておける。妹は能力以上に心が強い。たとえどう動いても、決して悪いことにはならないだろう。
「連れて行ってくれるのか」
「付き合ってやろう。北の神々に詣でるついでだ」
 少女はまた下を向く。今度は彼方を見るためではない。感情が乏しいように見える彼の物も、その感情が人には見えないだけらしい。少女はどう反応していいかわからないほど感情を揺らしている。もちろん異者の私はそれに気づかないふりをして、あくびをする。
「どんなものに出会うことになるのかね」
 少女は下を向いたまま、揺れる精神を抑えつけて言う。
「すべてのもの、あらゆるものに」
 私はこうして少女との旅を決めた。魔が物と連れ立ち、魔が物と出会う旅に。それは私に何をもたらすだろうか。それは少女に何をもたらすだろうか。
07年11月07日
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