2.あってもいい場所 |
李・青山華 |
時々、旅先で、来たはずもない場所で、とてつもない懐かしさを感じることがある。観光地ではあまりないのだが、道に迷って裏通りに出たりすると、出くわすのだ。
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東京は、その手の場所の宝庫である。ここ20年でずいぶんなくなってしまったが、それでもまだまだ古い街並みが残っている。恵比寿の再開発は痛かった。ずいぶんと懐かしい街並みが消えてしまった。新宿も、20年前は東口の方はまだまだ怪しげな雰囲気がたっぷりと残っていたのだが、この間行ったらペデストリアンデッキがずっと延び、そのあたりにあった街並みが、すべてビルに変わっていた。池袋の北口は、まだまだ侵食を免れている部分もあるが、西に向かって、ずいぶんと味気なくなった。
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それに比べて、渋谷は面白い。本通りにもまだまだ怪しげな店が多く残っているし、一歩裏通りに入ると、私でも何の店かわからないような店がたくさんある。風俗で育った街だから、それをなくしたら吸引力がなくなってしまうのかもしれない。ハチ公口方面はもちろん、東口方面は、さらに裏通りが残っている。ここから六本木に向かって歩いたことがあるが、興味惹かれる小物が置いてある店や、古い感じの喫茶店、飲み屋などが散らばり、面白かった。
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新宿でも渋谷でも、かつてよく訪ていて、なくなってしまった店がある。ここ10年あまりは、本当によくいきつけの店がなくなった。その店がないだけでなく、街並み一つがまるまるなくなってしまうのだ。バブルの地上げに始まった都市再開発は、記憶を根こそぎ剥ぎ取っていった。バブルがはじけた後は、そこで商売を続けることができなくなった個人商店がどんどん消えていった。本当に、何十年も続いていた店が、随分となくなってしまった。
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この記憶の欠損に耐えることが出来ず、私は自分の心の中に擬似空間を作り出した。懐かしい街並みに、懐かしい人々が歩いている空間である。子供のアニメの、クレヨンしんちゃんの「嵐を呼ぶモーレツ! 大人帝国の逆襲」の中の、昭和を捨てられない人たちが住んでいる、ちょうどあんな感じの街並みもその中にはあるし、トトロのさつきとメイの家のあるような風景もある。
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私は、日本の各地にそのような場所を持っている。九州の、赤い色の掌ほどの蟹が何百匹も石垣から海へ移動していく、海のそばの宿。四国の、遠くまで原っぱが見渡せる家。神戸の、中が庭園になっている会社のビル。熊野のパチンコ屋の駐車場。岐阜の、亀が住んでいる流れの急な川。石川の山奥のコテージ。新幹線から見た、山の狭間に一軒だけぽつんと立っている、ま新しい家。Xx高原の、どこに続くのかわからない、わき道の一つの道沿いに立っている中学校。
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新潟の真中あたりにある、木造の小学校。中央に庭園のある、駅から15分の中学校。庭の先がすべて田んぼで、夏になるとカエルの声でラジオも聞こえなくなる二階家。勉強するためだけに貸してもらった、木造二階建ての、2階の6畳間。魚をヤスで突き、流木で焼いて食べた川。どこまでも続く緑の中を自転車で行って、ジャガイモを煮て食べた河原。天井まで10メートル近くあり、台所の中に外の川を引き込んで野菜やスイカを冷やしている農家。広い家の中から蔵に入れ、2階に養蚕設備が残ったままの農家。
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自転車で東北を縦断する途中によった喫茶店。ひとつの映画を見るために、700キロを一般道で往復して行った大学。蓼科の、シーズンオフで人のいない温泉宿。東北は多すぎるし、北海道もさらに多い。まだまだ、いくらでも出てくるし、大事なところをぼろぼろ落としている気もする。私はこれから、忘れてしまうには惜しい旅のことを、それぞれの場所のことを書いていきたいと思う。
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03.09.23 |