四.近藤勇
強いだけではない、天朝に忠誠を誓った親衛隊長
日野:
近藤の出身地の日野は天領であり、他の百姓とは違う徳川家に対する忠誠心を、大人から子供までが普通に持っていた。もちろん近藤、土方の中にもその思いは受け継がれており、いつかことあらばという思いが常に漲っていただろう。そんな彼らの道場、試衛館に、一つの報がもたらされる。将軍家のために京都で護衛部隊として働かないか、という誘いである。ずっと長い間夢見てきたことが、目の前に現実としてあらわれてきたのである。この時彼らはどれほどの感動と狂喜を覚えたことだろう。すべてはここから始まったのだ。
京:
もちろんそのようにして向かった京都で清川一郎が宣言した内容は、近藤に許せるはずもないことだった。浪士隊は徳川の為ではなく天皇の親兵として朝廷に仕える、と言うのだから。武士の教養のない彼らにとって、天皇はどちらか都合のいい方とくっつこうとする節操のない遊女のようなものと映っていただろう。そもそも神はそれを崇める人間のために存在するものであり、より強いもののためにその祝福を与える存在なのだ。天皇が現人神である以上、天皇に裁量権はないのである。
元々食い詰め浪人たちの集団だった浪士隊は清川の言うがままに流れていくが、近藤たちはそうはいかない。彼らには叶うことがないと思っていた上様にお仕えするという夢のために、はるばる京都までやってきたのだ。将軍の上洛が延期になり浪士隊はいったん江戸に戻ることになる。しかし思惑はわからないが同じように浪士隊を脱退した芹沢一派とともに近藤たちは京の地に残り、将軍がやってくるのを待つことになる。
近藤たちは芹沢の伝で京都守護職の会津藩のお抱えとなり、京の町の治安を守ることになる。人手が足りない折に汚れ仕事を引き受けてくれる浪士隊は、会津藩にとっても重宝だったに違いない。幕府を揶揄する立て札の始末なども彼らに任せておけば、問題になったりしても切り捨てることもできる。
しかし長州藩の朝廷への急接近により、京の地は風雲に満ちてくる。長州の威光を背負って幕府をないがしろにする不貞浪人も急増してくる。そんな仕事にうってつけだったのが、いわば外人部隊の浪士組だった。なにより近藤たちには徳川家に対する強い思い入れがある。忠誠心のある外人部隊というあり得ない集団は、この乱局を収束させるのにまさにまたとない存在となったのだ。近藤はいよいよ将軍家の役に立つことのできる立場を得て、まさに空をかける竜のような存在となった。
近藤の立場をより強固なものにしていくために土方が組織造りを始める。喧嘩師だった土方は、信用できる仲間を作っていくためのノウハウを駆使して新撰組を強固にしていく。最高責任者は一人。補佐役が2−3人。そして最高責任者直轄のリーダーが、それぞれの部下を束ねる。部下の管理責任者は彼らである。
しかし、これでは現行の組織と合わなくなってくる。頭が二つある組織は機能しない。分離してもいいのだが、戦力が落ちる。さいわい芹沢は乱行が災いして会津藩からも対応を求められている。近藤と土方は組織を一つにする算段をまとめた。芹沢を筆頭とする芹沢一派の幹部を一掃するという算段である。
暗殺は成功し、浪士隊は一つの組織となる。会津藩藩主から新撰組という隊名をもらい、名実共に京都守護職の遊撃隊としての位置を得た新撰組は、これから理想と節義に裏づけされた実力警護隊として京に君臨することになる。このために幕府はいくつもの危機を未然に防ぐことが出来るが、逆にこの時に限界までたわめられた長州藩などは、会津藩を殲滅しても飽き足りないほどの憎しみを得ることになる。
池田屋で死んだ人間が生きていたら、京の町はとうに焼け野原になっていたかもしれない。そうしたら長州は王都を焼いた罪で殲滅され、幕府の滅亡はずっと遅くなっていただろう。そして京の人間の憎しみは長州に向き、事態は変わっていたかもしれない。しかしだからと言って、京都焼き討ちを図る人間たちを放置しておくわけには行かない。犯罪を未然に防ぐのは警護隊としては当然の役目なのだから。
しかしまだ問題は残った。山南と土方、ふたりの実戦隊長がいては、近藤の命令が解釈によって2系統になってしまう。そのために土方は山南を総長という位置に据えた。総長は副長より上で局長の直轄だが、隊内のことに関して一切の決定権をもたない。土方は山南をオブザーバーの位置に置くことで、隊内の規律を一にしようとしたのである。
山南とて血の気の多い実戦隊長である。この人事は土方が思った以上に山南を苦しめることになり、やがては脱走というところまで追い詰めていく。それでも土方に悪意がないのは山南にもわかっているから逃げ切る気はなかった。山南はこの閉塞感から抜け出ることが出来れば、それでよかったのである。それでも切腹の場で土方の顔を見ると、つい愚痴が出る。敬愛する山南が死に際に無様な姿を晒すのに耐えられない沖田に促され、はっと気づいた山南はそれ以降見事な所作に則って腹を切り、沖田の一閃でこの世を去った。
以降、新撰組は厳しい規律と凄まじい実行主義で京の町を血に染める。しかしあくまでそれは幕府の転覆をはかるものたちに対してなされたことであり、罪もない人間たちに対して行われたことではない。新撰組はあくまで現秩序を守るために行動していたのであり、それ自体は決して悪ではないのだ。近藤自身が将軍家御大切で動いているのだから、それを逸脱することはない。近藤一人が隊の方向を決めるワントップの組織であるから、そのあたりは容易に揺らぐことはない。
そしてついに薩摩の姦計により、長州藩がクーデターを起こす。これは薩摩の思惑通り失敗し、長州藩は幕府の完全な敵対者となり、やがては征長戦争となって行くのだが、このために京の町の警護を任された新撰組の日々もよりいっそう血塗られたものになっていく。そんな中で一人の男が幕末全体を大転回させる。薩長連合を推し進め、徳川家に大政奉還を行わせた坂本竜馬である。彼一人のためにこの混乱期は一気に収束を迎える。騒ぎに乗じて利権を貪ろうとしたイギリス、フランスの思惑を吹き飛ばして。
もちろん振り上げた拳にはやり場が必要になる。薩長と徳川は開戦となるかに思われたが、徳川慶喜という最後の将軍は暗君ではなかった。徳川方は徹底的に戦争を避け、恭順を申し出る。しかしその徳川を何とか武力討伐し、その領地を奪い取ろうとする官軍の暴挙に会津軍などが反旗を翻し、局地戦を起こすことになるが、日本全体としての被害はこれだけの大革命にしては驚くほどの少なさで、すぐに富国強兵に向かうだけの人的資源を確保することが出来た。
江戸:
肩を打ち抜かれて鳥羽伏見で戦うことの出来なかった近藤にはたっぷりと考える時間があった。江戸に帰っても近藤は混乱している。徳川家はすっかり恭順している。この状況で官軍に歯向かうことは自分の節義に反しないかどうか。そんな近藤に試衛館以来の仲間たちが決別に来る。永倉や原田たちは江戸の町を守って戦うという。しかし徳川家はそれを許していない。近藤は彼らと行を共にすることは出来ないのだ。彼は徳川家の親衛隊長なのだから。
甲府:
徳川家はすべての領地を返納しろといわれているが、実際にそれを行ったら旗本たちはすぐに飢えることになる。それを何とかしなくてはと甲府城を守りに行くが既に官軍の手に落ちており、手元の兵力では到底城を抜くことはできない。結局敗走してまた江戸に舞い戻ってきた近藤は迷っている。どちらに行くのがもっとも徳川家にとって望ましいのか。土方は旧幕軍と一緒に戦おうと誘う。近藤はまだ心を決められない。
流山:
そして土方と共に流山まで行った近藤は、京でも江戸でも武蔵でもないこの白っちゃけた町に来て、自分はなぜここにいるのだろうと思う。近藤が命を賭して守りたかったものは何だったのだろうと。それはもちろん上様だ。徳川家を守るために新撰組を創り上げた自分がなぜ徳川家から離れていこうとしているのだと思った時に、思考のパズルのピースはすべてあるべきところに収まった。そして近藤は心を定める。徳川家のために自分ができることをしようと。
近藤は流山で戦闘をすることはなく官軍の元に行った。呆然とする土方を残して。戦えば勝てる、負けやしない、と土方は叫ぶが、近藤は勝つために戦っているのではないのだと、近藤はあくまで将軍家の親衛隊長なのだと告げて去る。
「勝つために行くんじゃねえんだよ、トシ。俺は天朝様のためにやらなくちゃならねえことをしに行くんだよ」「何だよ、それ。俺たちみんなを使うだけ使って、いざとなったら捨てちまった奴じゃねえか。あんな奴のために何もするこたあねえ。そうだろ、近藤さん」「トシ、俺はな、天朝様のお役に立てると思ったから新撰組をやってきたんだ」「…もう新撰組はねえんだぜ」
「だったら余計に俺が天朝様のためにならねえことをするわけにゃあいかねえさ。俺たちが恭順しねえから天朝様はやいやい言われてる。それを放ってどっかに行くわけにゃあいかねえんだよ、トシ」「俺は行かねえぞ」「ああ、おめえは行かねえ。なくなっちまったけど、新撰組の旗を担いで薩長に目に物みせてやってくれ。おめえならできる」「….近藤さんも一緒には行けねえのかよ」「天朝様が苦しんでいらっしゃる。俺は行けねえ」「じゃあ俺も行かねえ。あんたと一緒に行く」
「おめえは行かねえ。薩長に新撰組の意地を見せてもらわなくちゃいけねえからな」「何でだよ、ここまで来て。行ったら間違いなく殺されるぞ」近藤は身体を回し、土方に正対した。「おめえが言うのか、それを。隊法を作ったおめえがよ」「…敵を前にして、か」近藤は頷いた。「今、俺の敵とおめえの敵は違ってる。どっちも退いちゃなんねえんだよ。俺たちは、おめえ、天下の新撰組なんだぜ」
土方にももう言葉はない。近藤は軽く頷き、馬上の人となった。従者を従えて近藤は陣を出る。四方が開けたこの土地を近藤の乗った馬が悠々と進んでいく。その後姿に向かって土方は呟いた。「何だかさ、日野にいたころ出稽古に行くあんたを見てるみたいだぜ」
いつの間にか横に斎藤、島田を始めとする新撰組の古参が集まってきていた。「行っちゃったんですか、局長は」「…止めなかったんですね」「俺なんかが本気になった近藤を止められるかよ。仕方ねえ、日光に向かった連中に合流する。行くぞ」土方は去っていく近藤に背を向け、陣に入って行った。残された連中はてんでに近藤の後姿に深い礼を送り、陣に入って行った。
近藤にはまず大義があった。上様をお守りするという、親衛隊としての誇りである。その将軍が恭順を貫こうとしているのに、それに背いて官軍に攻撃をかけようとするのは近藤の理念から大きく外れてしまっている。そしてどんどん将軍の傍から離れていってしまうことが近藤には耐えられなかった。近藤はあくまで親衛隊長たる自分に殉ずる道をとったのである。
新撰組隊長といえば官軍にとっては朋輩の仇、悪鬼、邪鬼と言ってもまだ足りないほどの憎しみの対象である。そんな彼が投降すればどんなことになるかわからなかったはずはあるまい。彼はただ最期まで上様の意に沿い、その言に殉じようとしただけなのだ。土佐、長州のものにとって、新撰組局長は殺しても飽き足りない相手だ。それが逃げ回っていたのでは、恭順した将軍にとってマイナス材料にしかならないだろう。新撰組局長が処刑されれば上様への風当たりも少しは和らぐだろう。
死を恐れるより、自らが上様のためにならないことをしているという思いを近藤は嫌ったのだ。近藤は馬上に揺られながら、自らの意思で官軍の陣に向かって一直線に進んでいく。自分を迎える地獄の門に向かって、気負いなく、懼れなく。ただ自分の信じる道を奉ずるために。悠々と、また堂々と。
再び江戸−そして、京:
そして新撰組隊長、近藤勇は武士として切腹することすら許されず、斬首される。そしてその首は塩漬けにされ、京都まで送られて再び晒される。それでも近藤は満足していただろう。自分のやってきたことに対して。最期まで自分が取るべき道を誤らなかったことについて。
近藤の死と共に新撰組を支配していた節義と忠誠は消え、新撰組は狂気の戦闘集団として暴走し始める。そしてその暴走は敵味方に数多くの死者を撒き散らしながら奥羽を迷走し、五稜郭まで行きついて、消えた。
04.11.15 - 04.11.16