赤の魔歌 〜ハチのムサシ〜 p.1
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1 | キスゲの夢見 |
2 | ユカル、キスゲの部屋で |
3 | プラタナスは作戦を立てる |
赤の魔歌 〜ハチのムサシ〜 |
李・青山華 |
★ キスゲの夢見 |
キスゲは考え続けている。何かが間違っている。 (私がずっと感じている違和感は、ムサシたちの行動が読めないからじゃない。もっと、根源的な問題を含んでいる...私がそれを見つけないと、私たちはとんでもない間違いを犯す事になってしまう) キスゲは考え続けている。キスゲ本人は間断なく考え続けているつもりでいるが、現実の時間では、キスゲの思考は途切れ途切れで、間に大きな暗黒の時間を挟んでいる。キスゲの脳は、差し迫った別の情報処理に忙しく、ほかの思考に回す余裕はあまりないのだ。 |
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病室の中、先生とヴァルハラが指示を出し、看護婦たちが忙しく動き回っている。その気配も感じられないほど、キスゲは深い水底にいる。その深い深い底で、キスゲはぷくん、ぷくんと泡を出すように、思考を巡らしている。依然、キスゲは危篤状態にある。 |
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キスゲの転落以来、ムサシは次の行動に対する考えをまとめられない。思考を廻らそうとするたびに、キスゲの哀しそうな瞳がちらつくのだ。 『相手が直接的にこちらを攻撃してきた。これは、もはやこの喜劇が終幕をむかえようとしているということだ。それなのに、俺のくそったれ頭は、未だに肝心の答えを見つけられてないときたもんだ。』 ムサシは、生まれて初めて焦燥というものを味わっていた。 |
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★ ユカル、キスゲの部屋で |
ユカルはキスゲの髪留めをいじっていた。こんなところにいる人間に、似つかわしくない、安物のプラスティック。モリはブランド物で全身を固めているけど、その方がずっとこの組織にしっくりくる。裏に何か尖ったもので、文字が彫ってある。目を細めて見ると、「エツコ」と読めた。あの子の名前はキスゲなのに。ユカルは考えを弄んでいる。本名かしら。うかつだこと。とりあえず、他の人間には言わないほうがいいな。他の人間といえば、プラタナスは大丈夫かな。取り乱しはしないけど、かなり、ひどいダメージを受けている。倒れないだけで立派、というレベル。うちのチームはガタガタだな。ユカルはキスゲの髪留めを大切そうに両の掌に包んだ。<あの時に、私は誰かを見た。私はキスゲが好きじゃないけど、キスゲは子供なんだから、あの娘を守らなきゃならない。> とりとめもなく、いろいろなことを考えつづけていると、ドアがノックされた。ちょうどいい。こんなに思いを弄ぶのは、私らしくない。動かなくちゃ。ユカルはソファに沈み込んだまま、髪留めを後ろに回して隠し、声をあげた。 「誰?」 「コウガだ。入っていいか?」 「どうぞ」 ドアを開けて、コウガがユカルのビジネスルームに入ってきた。ユカルは目だけをちらっと動かし、コウガを見た。 「プラタナスは例の放浪者に関して計画を立てている。彼は、コジローと私とあなたを希望している。どうかな?いけるか?」 「大丈夫」 「それじゃ、22101ルームに来てくれ。オペレーションの前に打合せをするそうだ」 「わかった」 ユカルは手の中の髪留めを隠しながら立ち上がった。あの子は私が護らなくちゃならない。そして復讐も。ちょうど、その機会が巡ってきたみたい。まあ、仕掛けるのがプラタナスなら、当たり前だけど。 「行きましょう、すぐに」 |
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★ プラタナスは作戦を立てる |
「ムサシたちは、こちらとの接触があったのに、これまでどおりの行動パターンを崩そうとしていない。これは、こちらの接触が予期されていたと言うことだ。つまり、奴らは大筋において、こちらの正体及び意図を理解した上で行動している可能性が高い。従って、次のアクションにおいて、我々はかなり大雑把な対応をとる。それに対し、奴らがどのように対応してくるかで、こちらのアクションは変わってくる。その過程で、奴らの意図を計り、場合によってはここで行動をストップさせる。概要はこんなところだ。必要があれば、個別に詳細な打合せを持つ。何か質問はあるか」 プラタナスは計画の概要を話し終えた。コウガは目と目の間をつまみ、揉んでいる。ユカルは腕を組み、少し首を傾げてプラタナスの顔を見ている。コジローはいすに深く腰掛けて、微動だにしない。3人の前に立つプラタナスは、いつも通り隙のない身なりをしているが、疲れのようなものが滲み出ている。たとえば、充血した眼。たとえば襟足のほつれ毛。 「ずいぶんと、粗忽な計画じゃない?これを私たちに実行しろって?」 プラタナスは、ユカルのほうに顔を向け、ゆっくりと言った。 「粗忽さがこの計画の大きなポイントだ。この粗忽さを疑って、乗ってこなければ、そこで終わっていい。もし奴らが乗ってくるようなことがあれば、抹消する」 「抹消を前提とした計画は初めてだわ。いいの?それで」 コウガは眉間を揉む手を止め、そのままの姿勢で言った。 「ムサシたちには、何か、見た目どおりでないものがあると言うことか?」 プラタナスは投げやりに腕を振った。似つかわしくない。振る腕から、倦怠のような瘴気が滴っているようだ。 「俺にはわからない。キスゲはかなり気にしていたが」 その名前を口にするとき、プラタナスは苦痛をこらえるような顔をしていたが、本人は気づいてはいないようだ。 「わからないままで動いちゃっていいの?」 「危険があると認められる場合は、問題ない。手遅れになる前に対応する」 「場合によっては、抹消せず、確保することもありうるが、いいか」 「抹消が目的ではない。担当者に任せる」 「それにしても、ずたずただよ、この計画。結局、一人一人にがんばれって言うだけじゃない」 苦渋がプラタナスの顔を覆った。 「現時点で、やつらの陣容がまったく掴めていないんだ。従って、今回の作戦は、現場の判断が最優先になる。すまないが、頼む」 「それはかまわないけどさ...」 ユカルは少し鼻白んだ。プラタナスが予想以上に追い詰められていることに気づいたからである。 「キスゲの想定では、おそらく奴らの力はこちらとそれほど差がない。だから、このタスクは非常に危険なものになる。どうしても駄目なら、外れてもらってもかまわない」 プラタナスは、3人と視線を合わせない。これもプラタナスらしくない。ユカルは、思わず言った。 「あんた、自信がないんだね」 プラタナスは、はっとしたように顔を上げた。ユカルはしんとした眼でプラタナスの眼を覗き込んでいる。プラタナスは、目を落とし、自分の手を見つめた。 「私...私は恐れているのか?」 「恐れていいんじゃないかな。これはキスゲさんのタスクだろ。プラタナスさんは、この件について、明確な方針がないわけだ。仕方がないだろう」 コジローが言った。 「じゃあ、いったん退けば?成り行きまかせは危険でしょ」 「キスゲは、待てずに動いた。つまり、至急の対処が必要だ、と判断したのだろう。だから私は、多少の疎漏があっても、やるべきだと考えている。いつものような、完璧な段取りは望めない分、もっとも信頼できるメンバーに対応してもらうことにしたんだ」 「らしくないなー。お世辞なんて」 ユカルの言葉に反論しようとするプラタナスを制して、ユカルは言葉を重ねた。 「キスゲの仕返しなんでしょ。大丈夫、手伝ってあげるから」 プラタナスは憮然としたように言った。 「報復など考えていない。これは、純然たる組織のタスクのひとつだ」 「わかっている。現場判断の優先される計画に、個人的感情まで入っちゃたまらん。そうでないのは理解しているつもりだ」 コウガは落ち着いた声をかけ、立ち上がってプラタナスの肩をたたいた。 「少し、休め。とりあえず、俺たちでブリーフィングをやっておく。疑問があったらまとめておく」 「ありがたい。じゃあ、頼んだ」 プラタナスは、しっかりした足取りでへやを出て行った。ユカルは伸びをして、いすに沈み込んだ。 「あー、疲れた。妙に気を使って、疲れるんだよね。どうせまた、病室に行くんでしょ」 コウガが考え深そうに言った。 「プラタナスは、こうなる前にキスゲを組織から外そうとしていたからな。俺も、言わなくていいことを言ったし」 「エリートは弱いよね、こういう時に。それでも、押さえるところは押さえてるあたりはさすが、って感じだね。しっかし、あのお兄さんは、キスゲのために、ずいぶんと華麗な復讐を計画したものね。まあ、別に文句はないけど」 「でもユカル、仕返しってのは当たってないな。プラタナスがやろうとしているのは、キスゲのやれなかったことを替わって完了させたいって事じゃないのかな」 「知んない。どっちでもいい」 コジローの言葉に、ユカルはぷいっと顔を背けた。沈黙が流れた。やがて、ユカルが低い声でしゃべりだした。 「何が正義で何が悪だかわかんないし、どうすべきか、なんて考える気もない。でも、今の旗印はけっこう気に入ってる。プラタナスが、キスゲのためにやろうとしてるんなら、私は手伝える。このタスクは、私の気に入ってるんだ。だから...」 ほかの二人は続きを待った。ユカルは結局、言葉を継がなかった。 「私は訊きたい事も特にない。あとは現場で。そちらさんたちも、私の足を引っ張らない程度にはがんばってね。それじゃ」 「あんたの足は、すがりつきたいほど麗しいがな。まあ、我慢するよ」 コウガの言葉に、ユカルは鼻の上にしわをよせ、あかんべをした。そして、鼻をつんと上げて出て行った。コウガはコジローを見やった。コジローがぼそりと言った。 「ユカルはずいぶんキスゲに入れ込んでいるようだ。彼女がそれを自分でわかってないと、ミスを犯すことにならないか」 「プラタナスなら、個人毎の精神状態も、計画の中に織り込んでいると思う。問題はないだろう。そんなことまで察せられるのなら、何でユカルの気持ちをわかってやれないかな」 コジローは目を閉じ、薄く微笑んだ。 「わかっている」 「なら、なぜ?」 「俺に近づいた者は、必ず傷ついてしまう。俺のせいばかりじゃなくても、そうなっていってしまう。もう、たくさんだ。たぶん、どこかの神殿でふんぞり返っているような誰かが、俺に一人でいろ、って思ってるんだろうさ」 |
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そして、その日は明けた。それぞれの人間は、それぞれの考えをもって、それぞれの行動をしていた。プラタナスは不安のうちに、浅い眠りから目覚めて、食欲はないながら、体力維持のためにトーストにかじりつき、よく焼けたパンを噛み破る香ばしさに、意外な幸せを覚えていた。コウガは早朝に目覚め、身体が活動を求めているので、まだ日の出る前に、軽くランニングをすることにした。コジローは目覚めたが、体中が何かの期待に満ちて、跳ね回りたがっているのをじっと抑えて、なぜ自分の身体がこんなにざわめくのかを考え続けていた。ユカルは、青い色の夢を見ていた。ムサシとイガは、寝袋を畳み、火を起こして米を炊き始めていた。やがて粘っこい湯気が立ち上がり、米の炊ける匂いがあたりに満ちた。その香りは、ムサシとイガの健康的な食欲を十二分に刺激した。 |
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