微量毒素

青の魔歌3 〜ギルティ〜 p.1

魔歌 start next

1 キスゲの憂鬱 p.1
2 キスゲ、事故の記事を見つける。
3 ユカル、キスゲを介抱する。
4 プラタナス、せんせいと相談をする。
5 プラタナス、ユカルと話をする。
6 プラタナス、カルラと組織について話す。
7 キスゲ、客船で目覚める。
8 キスゲ、不満を述べる。 p.2
9 キスゲ、プラタナスと踊る。
10 キスゲ、プラタナスを追いつめる。
11 プラタナス、再検証をする。
12 ユカル、キスゲを迎えに来る。

青の魔歌3 〜ギルティ〜
李・青山華
★ キスゲの憂鬱

 キスゲが組織に所属するようになってから、1年ほどが過ぎた。その間、キスゲは中学と高校の全課程を終え、現在は国立の大学に、聴講生として参加していた。教育以外にも、キスゲはいくつかの実践的なシミュレーションを担当し、作成していた。情報として、現在調査されていないようなこともかなりあり、その分はチームのコウガやユカル、それに組織の調査専門の人間が、調査して、不足する情報を収集してくれた。その情報を統合して、一つの結論にまとめ上げていくのは、それなりに楽しかったが、キスゲの脳裏には、いつも疑問が付き纏っていた。誰が?何のために?

 シミュレーションは、人の動きを予測し、さらに整流するまでを要件としている。ある地域で災害等が起きた場合、どのようにすれば、パニックが起きにくいか。また、パニックが発生した場合に、どこを押さえれば、最小限の対応で、パニックを沈められるか。どのような場所が、暴徒の根城になりやすいか。通常時から、現在ある施設を機能させておき、災害時に緊急センターとして活用できるか。

 シミュレーション自体は都市災害対策の一環として行うのに、何の疑問もないものだが、キスゲは不安を感じていた。このようなものであれば、むしろ、公共機関がやるのがふさわしい。また、実行部隊として配備されているのが、どうみても国家公務員タイプではない、危ない人間ばかりである点。牙を隠した猛獣と対峙しているような気分にさせられることもある。また、キスゲのような、低年齢のものにかなりの権限を与えてしまっている点。目的のためには、手段を選ばないような組織であるとしか思えない。そして、そのような組織が、まっとうな組織であるはずがない。

 理知的には、自分が後ろめたいようなことをしているわけではない、有意義で、やる価値のある仕事をしていると言い切れるのだが、どうも、心の深い部分には、すっきりしないものが残った。

<今、私がやってることは、よくないことのような気がする。知的に物事を進めていって、齟齬がなければ問題など起きないと思っていたのに...計算どおり、1+1を2にするための仕事をしているのに、なぜ、割り切れないんだろう。>

 キスゲは憂鬱だった。この組織の本当の目的がわからないところと、もうひとつ。自分が、ほんとうにそれを知りたがっているのかどうかが、わからないというところが、キスゲにとって、ほんとうに大きな問題だった。

<コウガやユカルも、組織の目的がわからないようだ。プーさんは...?プーさんは知っている。だから、キスゲをこの組織に入れたのを、後悔するようなことを言っていた。訊いてみる?だめ。たとえ知っていても、プーさんは答えてくれない。プーさんは、ユカルみたいに本当に私のことを、心配してくれているわけじゃないから。だとしたら、自分で考えるしかない。この組織の目的を。この組織が、どこへ向かおうとしているかを。この先、この課題を最優先の課題として扱おう。データは完全にプロテクトして、機械に入れておく。これは、組織の誰にも、見せるわけにはいけない。たとえ、プーさんでも。>



★ キスゲ、事故の記事を見つける。

 キスゲはインターネットでニュースを確認している時に、コンサート・シアターの事故のニュースを見つけた。

「これは...このコンサートホールって...」

 そのコンサートホールは、かつてキスゲがシミュレーションで扱ったものだった。ニュースでは、事故の概要が紹介されていた。ざっと読むうち、キスゲの顔色が変わってきた。

「...なに、これ。」

 事故の発生状況は、キスゲのシミュレーションで取り扱った仮定要件に非常によく似ているのだ。キスゲは、その事実にショックを受けていた。

「そんな。まさか。」

 そういいながらも、キスゲは自分の想像通りであることを確信していた。しかし、キスゲ自身の心が、それを認めることを拒否していた。キスゲはさらにインターネットやTVニュースで詳細情報を集めた。集めた情報の中に、被災者の一覧があった。その被災者の中に、キスゲはミエの名前を見つけた。

「ミエ...」

 キスゲの脳裏に、ミエと一緒に、エツコの顔が浮かんだ。エツコも、またミエと一緒にコンサートに行ったのだろうか。音楽を聴いている2人の上の壁が崩れ、上を見上げた2人の恐怖の表情が、キスゲの脳裏に、鮮やかに浮かび上がった。キスゲは立ち上がった。

 キスゲは、とりあえずミエの収容された病院に向かうつもりだった。コンサートホールの場所は、シミュレーションの時にわかっている。病院の名前も記憶しているから、最寄りの駅まで行って、そこからタクシーで行けばいい。研究所から出て行こうとしたときに、カルラがキスゲを止めた。

「どこに行くつもりだ。」

「関係ないでしょ。通して。」

 カルラはチームのほかに人数が要るときに、手助けに入る要員のひとりだ。また、場合によっては、チームの仕事の総括をするような場合もある。組織のチーム全体を、陰からサポートし、かつ監視するような立場の人間たちであると、キスゲは認識していた。

「勝手に出歩くことは禁じられている。通すわけにはいかないな。」

「通るわ。」

 キスゲは、カルラの言うとおりにする気は毛頭なかった。キスゲは、ミエのところに行かなければならないのだ。

「なるほど。それでは、答えろ。どこに行くつもりだ。」

「病院よ。友だちが怪我したの。」

「おまえのせいでか。」

「何だって?」

「おまえ自身、そう思ったのではないのか。」

 キスゲはカルラを見つめた。キスゲの中で、何かが揺らいだ。

「あんた、いったい誰。何を言ってるの。」

「おまえの知性を持ってすれば、今までここにいて、組織の目的に気づいていないはずがあるまい。」

「何を...」

「この組織は、個々人の行動を管理するための行動計画を策定するのが主務だ。この行動計画に基づき、人々は管理されてゆく。その行動計画を策定するために、現在の人間の、詳細な、現実に基づいた行動様式のデータが必要になる。綿密なシミュレーションによって、それを掘り起こしているのが、おまえたちの部署だ。」

「災害時の人の流れを予測し、問題が起きないようにって聞いているわ。」

「それだけのために、この組織を維持するのか?そんな資金がどこから調達されるのだ?」

「それは...」

「もうわかっているんだろう。おまえのやっていることは、人間を管理するためのデータ集めの下準備だ。そのシミュレーションに則って、管理された災害を引き起こす。その災害によって起こされた、個々人の行動を見て、行動管理のロジックを導き出す。今回の事故は、シミュレーションによって発生したものだ。そのために、おまえの友人は怪我を負ったのだろう?」

「やだ...」

「やはり、おまえにはわかっている。この組織を構成している人間を見ろ。半分は殺し屋だ。それがわからないとは言わせん。」

「だから、この組織はそういう人たちをリハビリする施設みたいなもんじゃないの?」

「俺は人が死ぬところを実際に見た。組織のタスクでな。」

「...うそ!」

「この組織は殺人まで業務範囲に入れた、非公式な法廷だ。その法廷が何を題目にして運営されているか、わかりゃしない。そしておまえも、その組織の一員なのだ。」

「いやだ...」

「気付いていないのだとすれば、既におまえも人を殺しているのかもしれない。おまえの家族や、知り合いや、友だちを。」

「いや、いや、いやあああああああああ。」

 キスゲは耳を押さえ、悲鳴をあげた。そのまましゃがみこみ、さらに崩れ落ちて廊下の隅に背中を押し付ける。その間も小声で囁き続けている。

「いや、いや、いや、いや...」



★ ユカル、キスゲを介抱する。

 カルラは少し戸惑い、すぐにプラタナスとユカルに連絡をした。ユカルはフリーだったので、先にキスゲのもとに来ることができた。キスゲは床に横たわり、廊下の隅に背を寄せて何かを呟き続けている。その横で、カルラが所在なさそうに立っている。ユカルはキスゲに走りより、そっと肩に触れた。キスゲは反応しない。

「ヒステリー発作かな。カルラ、あんた何をしたの。」

「自分のやっていることを教えてやっただけだ。」

「何を言ったのよ。普通じゃないわよ、これは。」

 ユカルは上着を脱いでキスゲにかけ、口を押し開けて舌の状態を見る。さいわい、癲癇のような状態ではない。猿轡を咬ませる必要はないだろう。

「自分でも薄々感づいているだろうことを、はっきりさせてやっただけだ。いずれは来ることだろう。」

 ユカルはキスゲをそっと抱き起こし、自分も廊下に腰を下ろして、キスゲを抱きとめた。キスゲの肩を軽く叩きながら、ユカルはカルラを見上げた。

「カルラ、あんたのことだから、きっつい言い方をしたんでしょ、必要以上に。この娘はまだ16なのよ。」

「自分自身が何をしていたかを悟るのには、十分な歳だ。そのお嬢ちゃんは、ニュースを見て、自分のしていたことを疑っていた。だからショックも大きかったんだろう。」

「歳がいってても、受け止められるとは限らないわ。小利口なだけなのよ、この娘は。この娘の情動は、まだほんの子供なのよ。見なさいよ。すっかり退行しちゃってるし。リカバリが大変よ。」

 カルラは鼻白んで、黙った。プラタナスがようやくやってきた。ユカルとキスゲの様子を見て眉を顰める。

「組織の仕事のことでショックを受けたみたい。冗談で済むレベルじゃないみたいだから、とりあえずメディカル・ルームへ運んで。」

「いったい...」

「後にして。彼女をすぐにメディカル・ルームに運んで。せんせいに見てもらわないと、なんとも言えないわ。この娘、下手したら自閉症か何かを発症しちゃうかもしれない...」

「詳しいな。誰か身内で、神経を病んだ者でもいるのか?」

「おだまり!今、あんたがしなきゃならないのは、この子をケアしてあげることでしょ!早く行きなさい!」

「すまない... ありがとう。」

「行け、って言ったわ。」

 ユカルは殺気を滲ませて言った。プラタナスはキスゲを抱き上げ、連れて行った。ユカルは彼女の兄のことを思った。彼女はこぶしを握りしめた。

「くそっ!」

 ユカルは吐き捨て、ちらっとカルラのほうを見て、自分の部屋に足を向けた。カルラはとりあえず方針を見失い、その場所で立ちつくしていた。



★ プラタナス、せんせいと相談をする。

 プラタナスとせんせいは、二人ともベッドの上のキスゲの顔を見つめていた。今は鎮静剤を投与してあり、キスゲは眠っている。プラタナスが口を開いた。

「俺の手落ちだ。確かに、彼女は16歳の子供に過ぎない。彼女の知性に目が眩んで、対応を誤った。どうだろう、せんせい。」

「判断するのが難しいな...この娘の心はずいぶんと傷ついている。ま、たぶん回復するだろう。この娘は若い。」

「それで、問題は?」

「この娘は組織の仕事に耐えられないだろうな。内容を目の前に突きつけられた以上。」

「あんたは、この子を消去してしまった方がいいと思うか?」

「わしはそんなことは考えんよ。医者だからな。ま、場合によってはそういう判断をする者もいるだろうな。」

 プラタナスは考えつづけている。ガラス越しに、キスゲの眠っている顔が見える。まるで子供のような顔だが、頬は子供にはありえない蒼ざめた色。

「あんたがそんなに考えるのは初めて見るな。いつも5秒以内に結論を出す主義じゃなかったかな。」

「3秒以内だ。せんせい、俺のやり方で、こいつの治療をしたいんだが、どうだろう。こいつは有用な人材だ。一ヶ月くれ。それでもこいつが危険なようなら、俺がこいつを消去する。」

「この娘をスカウトしたのは君だよ、プラタナス。うまくやれることを願っている。」

「恩に着る、せんせい。」

 キスゲは静かに眠り続けている。



★ プラタナス、ユカルと話をする。

 ユカルはプラタナスを振り返った。

「で、どうなのよ。あの小生意気なガキは。」

「けっこう根が深そうだ。まだ、こちら側に戻ってこない。転地療養を考えている。」

 ユカルは目を大きく見開き、プラタナスを凝視した。プラタナスはユカルの視線の意味を察し、右手を上げた。

「いや、一ヶ月くらいのことだ。それ以上のことはない。」

 ユカルは眉を吊り上げた。

「てっきり、引導を渡したのかと思ったわ。あんたを見直しかけたのに。」

「私は善良な一市民だよ。」

「じゃあ、本当に療養に行くのね。一ヶ月ですって?どこへ?」

 プラタナスは、それほど知られていない、アジアのリゾート地の名前を挙げた。

「そんなところへ?誰かついていくんでしょうね。」

「私が行く。」

「...は?...」

 ユカルはプラタナスの顔を見た。

「それ、正規の辞令じゃないわよね。あんた、やっぱりおかしな趣味が...?」

「なんだ、おかしな趣味って言うのは。彼女を組織に招いたのが私だから、今回の件の後始末をしようとしているだけだ。」

 ユカルはまじまじとプラタナスの顔を見つめた。

「後始末ねえ...キスゲ嬢は必ず戻ってくるのかしら?」

「経過によっては、組織を抜けることもあるだろう。状況が状況だけにな。」

「ふうん。」

 ユカルは無遠慮にプラタナスを見つめた。見つめ続けた。プラタナスはよく持ちこたえた。

「わかったわ。迎えには私が行く。いいわね。」

 プラタナスは同意せざるを得なかった。



★ プラタナス、カルラと組織について話す。

 プラタナスはカルラを振り返った。

「おまえはそんなふうに考えていたのか?この組織の目的を。」

「違うと言うのか?いくらおまえでも、俺を納得させるだけの材料があるとは思えんが。」

「ある。」

「聞かせてもらおうか、おまえの解釈を。」

「社会の運営はなかなか難しい。社会を構成する要素は、できるだけ均質であることが望ましい。異質な材料があると、そこから様々な不整合が発生し、ついには崩壊してしまう。それを防いで、社会を繁栄させ、存続させるのには、様々な方法がある。しかし、どのようなやり方をとっても、異分子を完全に社会から取り除かない限り、いずれは崩壊する。それを遅らせ、できれば決して崩壊しないようにしようというのが、組織の目的だ。」

「異分子を取り除くのが目的なら、手段として殺人が使われることもあるんじゃないのか?俺は組織のタスクで人が死ぬところを実際に見た。」

「アオの件か?あれは事故だ。」

「おまえもアオを知っていただろう?あの男をあのまま活動させていれば、ああいう事態になるのは見えていたんじゃないのか?」

 プラタナスは口をつぐんだまま、壁の方を見た。しばらく考えているようだったが、やがてゆっくりと口を開いた。

「未必の故意、という言葉があるな。」

「やはり、殺人を手段として利用しているんじゃないか。」

「いや、違う。少なくとも、違うつもりで動いている。我々の中で、ごく一部のものだけが知っていることだ。おまえも知らないで済めばよかったのだが、そこまで組織の行動に疑問を持っているならば。知ってもらわなければなるまい。」

「この程度のことは、皆が気付いているだろう。」

「人間というのは、組織の中にいると、自分のやっていることが悪いことだとは、なかなか考えることができないものだよ。はっきりと目の前に示されない限りは。」

「実行意識の埋没か。責任の所在が組織によってあいまいになり、かなりひどいことでも出来てしまう。戦争中には、それがかなり浮き彫りにされていたな。」

「現在もあるさ。資本主義国家でも、社会主義国家でも。人に指摘されても、それはなかなか正すことが出来ないんだ。人間の性でね。だから、頭の隅にあっても、あんたみたいに表に出すことはない。」

「出すことが出来ないんだ。自分が可愛いからな。」

「その通りだ。そこで、露悪主義のカルラさん、あんたにも、この十字架の一片を背負ってもらう事になる。」

「やはり、故意はあるんだな。」

「いや、ない。あくまであるのは、未必の故意だ。これなら、かろうじて自分に言い訳ができるからな。あまりにも奇矯なものは、組織に入れることで矯めることもできない。そのような場合は、同じように矯正不可能なものに対応させることがある。」

「その場合に、「事故」が起こる可能性が出てくるわけだ。あくまで、事故が。」

「その通り。しかし、この事実は、組織の中でも数人しか知らない。大多数の人間は、自分がやっていることが、害のない、社会に貢献することだと思ってやっている。だから、あんたに騒ぎまわられると、組織自体が崩壊してしまう。そのために、あんたには十字架を背負ってもらう。」

「嫌だと言ったら?」

 プラタナスは顔をカルラに向けた。眉をあげ、値踏みするように、カルラを見つめた。

「やはり、排除する体制はあるんだな...」

「あんたは背負ってくれるだろう。なのに、それを言うのか?」

「念のため、だ。大丈夫、背負う以上、すべて覚悟しているさ。」

 プラタナスは顔を伏せた。常にないプラタナスの様子に、カルラは動揺した。

「プラタナス?確答は要らないぜ。」

 プラタナスは顔を伏せたまま、言葉を歯の間から押し出した。

「...ある。」

 カルラもプラタナスも、まったく動かなかった。ずいぶんと長く感じられる時間が過ぎて、カルラが呟いた。

「すまんな、プラタナス。」

 空気清浄機が働き、快適に整えられている室内の、その空気が今は重く、毒を持っているかのように凝っていた。その瘴気の中で、二人の男の影は、やはり身じろぎもしなかった。



★ キスゲ、客船で目覚める。

(ここはどこ...静かだけど、どこか遠くから振動が伝わってくる...)

キスゲは目を開けた。男の背中が見える。

(たぶん、私の知っている人。彼はお仕事をしている...)

 キスゲはゆっくりと回りを見回す。

(いやなことがあった気がする...思い出したくないけど、急いで思い出さなくちゃ...私は彼を知っている... 彼は誰?)

プラタナスは左を向く。キスゲはその横顔を見る。

(彼は蜂蜜が好きなの... 違ってる?... いいえ、私は正しい。... 彼は... 彼の名前は...)

 キスゲは寝返りを打つ。プラタナスはキスゲの方を振り向く。

「プーさん!」

 キスゲは瞬間に全てを思い出し、悲鳴をあげる。プラタナスは急いでそばにより、キスゲを抱きしめる。

「目覚めたか、眠り姫。怯えるな。私がそばにいる。」

 キスゲ はしばらくの間、逃れようと身をよじるが、やっと静かになった。抱きしめられたまま、キスゲは呟いた。

「私は友だちを傷つけた...」

「俺には、あんたをごまかせないだろう。そうだ。おまえのシミュレーションはうまく機能し、事故は起こった。」

「計画された事故ね、私が作り上げた。ほかにもたくさん...」

「そうだ。もちろん、いくつかはうまくいかなかった。おまえの仕事は正確で、決して過剰な損害を与えることはない。」

「ぷーさんは実行された私のすべての仕事を知っているの?」

「ああ。私はお目付け役として、おまえをサポートする必要があったからな。」

「じゃ、教えて。私がやったことで、どれくらいの人が傷ついたり...死んだりしたの?」

「きのうまでは、0だ。自分のやったシミュレーションを確認してみることだ。どこにも、人を傷つけるような要素がないことがわかるはずだ。」

「ええ、あなたの言う通りよ。でも、もし私があの事故に気付かなかったら?私はもっと危険な要素を扱うようになっていったんじゃないの?事実を教えられないままに。」

 プラタナスは、初めて言葉に詰まった。そして、ゆっくりと言葉を吐き出した。

「おそらく、そうだ。」

「この組織は、人を殺す機能もあるの?」

「...いや。私の知る限りでは、ない。」

「でも、あなたはその可能性があると思っている。私もそう思ってる。」

キスゲは黙って、自分の考えに沈みこんでいった。

「私、私の友達が怪我したって言ったけど、ほんとうはあの子は友だちなんかじゃなかったの。」

「わかっている。」

「何ですって?」

 キスゲは顔を上げた。視線がプラタナスを刺し貫く。

「わかっている、と言った。我々は、おまえの全てを調べあげている。私は、おまえのすべてを知っているんだ。」

「そうなの...」

 キスゲの目はプラタナスから離れ、さまよいながら、また布団の上の自分の手に落ち着いた。

「私は傷ついた人たちに、何もしてあげられないわね...」

「いくらでも道はある。何もできないなんてことはあり得ない。これからしばらく、何が出来るかをじっくり考えてみればいい。」

「これからしばらく?」

「我々は今、航海中だ。この部屋は、島に向かう船の中にある。おまえはその島で、しばらく休養するといい。」

「リゾート・アイランドでバケーション、ってわけ?お笑いだわ。私一人で?」

「私がついてゆく。」

「お目付け役ってわけ?...いえ、ごめんなさい。もしそうなら、プーさんが来るわけないわよね。」

 キスゲは考え込んだ。

「そうなの...あなたは、組織とは関係なく、私のために来てくれたのね。」

「そういうわけじゃない...」

「照れちゃってるの?愛いヤツ。うりうり。」

「いいかげんにして、休め。」

「駄目よ。あなたは私を癒してくれなくちゃ。」

「やめてくれ...」

 キスゲはプラタナスの背中に頭をもたせかけた。

「...寒いわ。」

「おい、いい加減に...」

 プラタナスは言いかけてやめた。キスゲは声を出さずにしゃくりあげていた。プラタナスはキスゲを抱き上げ、ベッドへ運んだ。

「...寒いの...」

 プラタナスはため息をつき、ベッドの横に座った。そして、キスゲの手を握り、キスゲの頭を撫でた。すると、キスゲは、瞳を閉じたまま、涙を流し始めた。涙は次から次へと溢れ出し、止まることの知らないようだった。その涙がようやく止まったとき、キスゲは眠りについていた。プラタナスはそのまま、キスゲをじっと見おろしていた。


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