微量毒素

青の魔歌3 〜ギルティ〜 p.2

魔歌 back end

1 キスゲの憂鬱 p.1
2 キスゲ、事故の記事を見つける。
3 ユカル、キスゲを介抱する。
4 プラタナス、せんせいと相談をする。
5 プラタナス、ユカルと話をする。
6 プラタナス、カルラと組織について話す。
7 キスゲ、客船で目覚める。
8 キスゲ、不満を述べる。 p.2
9 キスゲ、プラタナスと踊る。
10 キスゲ、プラタナスを追いつめる。
11 プラタナス、再検証をする。
12 ユカル、キスゲを迎えに来る。

★ キスゲ、不満を述べる。

 キスゲはパラソルの下の寝椅子に横たわっていた。ここに来て買ったらしい、派手な原色の水着を着て、海を見ている。プラタナスが横に立った。サングラスをかけ、派手な柄のアロハシャツを着ている。キスゲは顔を上げ、プラタナスを一瞥して言った。

「似合ってないわね。完璧に。」

「ほっとけ。」

 プラタナスはキスゲの横に腰かけ、これも派手なドリンクを一口すすり、顔をしかめた。プラタナスは、キスゲの見ていたほうをみて、目を細めた。

「何を見ていた。」

「私の内宇宙を。」

「何か見つかったか?」

「無数の煌き。ちょうど、あの海の表面でさざめいているのと同じような。」

 キスゲは身を起こして、プラタナスに向きあった。

「ねえ、つまんない。何か面白いことはないの?」

「何でも出来るだろう。クラブハウスに行ってみろよ。」

「一人じゃつまんない。一緒に来て。」

「俺は毎日6時間以上、おまえに付き合ってるんだ。少しは我慢しろ。」

「満足度を時間のカウントで計るつもり?なんて不細工な考え方なのかしら?私はお人形でもロボットでもないの。も、つ、と、遊びたいのよ。」

「この、ガキが!」

 キスゲはその言葉を聞き、唇の一方をきゅっとあげた。プラタナスは嫌な予感がした。

「ふうん?そう、子供の遊びはいやなのね。ふふん、私は大人の遊びだってできるわ。ねえ、やろ、やろ。」

 瞳をきらきらさせながら迫ってくるキスゲに、プラタナスは受身にならざるを得なかった。

「い、いったい何をしたいんだね。」



★ キスゲ、プラタナスと踊る。

 プラタナスは、カウンターに腰をかけ、苦い顔をして、ウィスキーを飲んでいる。

「なるほど。こういうことね...」

 キスゲは、鮮やかな青いドレスに着替えている。襟ぐりが大きく開いて、健康的な美しさを発散させているが、まだまだ色気のようなものは感じられない。アルコールの入った、これも鮮やかな黄色い飲料をちびちびと舐めながら、バーの中を興味深そうに眺めている。少し広めのスペースが空いているのは、ダンスをする人のためだろうか。

「お酒って、ちょっと苦いけどおいしいね。」

 プラタナスは、一応ちゃんとしたジャケットだが、それを着崩している。所在なげにウィスキーを飲んでいるプラタナスをちらりと見て、キスゲはマスターに声をかけた。

「すいません。ダンスに合う音楽をかけて下さる?」

 マスターは頷いた。キスゲはプラタナスの前に出て、言った。

「誘ってよ。」

「俺は踊れん。」

「ふふ、教えてあげよう。これはタンゴ。あなたの手はここで、足はここ。あたしがリードするから。こんな感じで...」

 キスゲは、プラタナスにステップを教えながら、一緒に踊った。艶やかな黒い髪に、ターンのたびに翻る光る青いドレス。『こいつが16歳か...女は怖ろしい...』

「驚いたね。こんなの、どこで習ったんだ?」

「私のことは調査してあるんじゃなかったの?私、中学校の時に、社交ダンス部に入ってたのよ。」

「ああ、そうだった。」

 酒のせいか、ダンスのせいか、プラタナスの頭も、少し機能を狂わせているらしい。キスゲはプラタナスを巧みにリードしながら言った。

「私が社交ダンス部を選んだ理由はわかる?」

「いや。」

「そこまでは、組織でも調べようがなかったでしょうからね。じゃ、当てて。」

「それは難しいな。」

「推論は得意でしょ。どうぞ。」

「友達がいたから。」

「私に、そんな友だちはいた?おおはずれ、ね。」

「先生が目をかけてくれる先生だった。」

「外れ。あたしが、あたしを認めてくれる先生から逃げ回っていたのは知ってるでしょ。あんた、あたしのこと、何もわかってないじゃな〜い。それで、お目付け役が務まるって〜の?」

「何か、喋り方がおかしいぞ。調子が悪いんじゃないのか?」

「そんなことないわよ...たぶんね。それより、ぜえんぜんあたしをわかってない、にぶ〜いお兄さん、当ててよ。あたしが社交ダンス部に入ったわけ。」

 言いながらキスゲはくすくすと笑い出す。こらえようとしているのに、こらえきれないという感じの笑いだ。それでもキスゲはプラタナスと踊り続ける。キスゲはよろける。プラタナスは半ば自棄になって言った。

「きれいな服が着たかったからだろう。」

 キスゲの目が丸くなった。瞳孔がすーっと閉じてゆくのがわかる。

「やだ。大当たり。」

 キスゲの顔が、プラタナスの胸にぐーっと押し付けられた。

「あたしね、目立たないように、目立たないようにって、いつも、意識して地味な格好をしてたの。でもね、本当はお洒落をしたかったのよ。私だって、女の子なんだもん。でも、私の理性は、ぜったい許してくれなかったの。中学校は、部活動がぜったい参加しなくちゃならなくって、だから、社交ダンス部に入ったのよ。そうするとね、たま〜にだけど、きれいな服が着られるの。すご〜く、夢みたいにきれいな服がさ〜あ。わかる?お兄さん。わかるわけないわよね〜、この朴念仁に。ほんっとうに、本当に嬉しかったのよぉ。きれいな服を着て、きれいに踊って、みんなが拍手してくれるのがさ...」

 キスゲはさらにプラタナスに体重をかけてきた。プラタナスは、キスゲを支えるのに必死だったが、もう踊るどころではない。プラタナスは、なんとなくキスゲに押し倒されようとしているように感じた。

「お、おい。キスゲ?」

「あら、やだ。なんか、身体が変。ちゃんと動いてくれないよ...」

「アルコールのせいじゃないのか?」

「ええと、問題ないわ。と、思います。たぶん大丈夫だと思う...えへへへへ」

 笑い出したまま、キスゲはプラタナスにもたれかかった。プラタナスが起こそうとしても、べったりとプラタナスの胸に頭を押し付け、鼻歌を歌っている。

「問題ないって、どのあたりが?あんたはOKかも知れんが、おれの方はえらい問題を抱え込んだみたいだぜ...」

「お酒を飲んだのは初めてだけど、変ね。ぜんぜん酔わないみたい。」

「ああ、そうか、そりゃよかったな。」

 まったく足腰の立たなくなったキスゲを、プラタナスは抱き上げ、そのまま部屋に連れて行った。



★ キスゲ、プラタナスを追いつめる。

「ああ、いい気持ち。雲に抱かれているみたい...」

 ベッドに寝かしつけられたキスゲは、右腕で目を隠し、呟いた。

「本当の私はここにいるんじゃないの。上空数千メートルの、雲の中でふわふわ揺れてるの。そこでは、何も心配することがなくて、私は本当の私のままでいられる...」

 キスゲはそのままの姿勢で歌を口ずさんでいる。少し、哀しげなメロディーラインの、他愛もない流行歌のようである。いつの間にか、プラタナスの頭の中でも、そのメロディーがリフレインし始めた。『ずっとそばにいたはずなのに 気がつけば遠い どこで間違えたのか それもわからないほどに...』プラタナスは胸を衝かれた。キスゲは突然喋り出した。

「ムサシのことだけど、あの人はやっぱり危険だと思うんだ。」

「ムサシの何が、そんなに引っかかるんだ?俺にはわからない。」

「以前に、ユカルさんの関係で調べた、世捨て人がいたじゃない?あの男も、成績が優秀だったから表に出なかったけど、ほんとうは社会をひっくり返すくらい、危険な人間だったのよね。ムサシも、そんな感じなの。うまくいい子を演じているから問題になっていないけど、きっと何か爆弾を抱えている、そんな感じ。私の考え過ぎかもしれないけど、でも、たぶん、違う...」

「確かに、表面に出てこない部分の判断は難しいが...」

「ムサシも、あの世捨て人みたいに破滅していくのかしらね。それとも、破滅させられるのかしら...」

 プラタナスは、話が危険な方向に向かっているのを感じた。今日なのか?今晩、決着をつけなければならないのか?プラタナスの焦燥をよそに、キスゲは意外なことを言い出した。

「さっき、踊りの時に言ったのは本当よ...私、ほんとうは可愛い格好をして、みんなにちやほやされたかったの。でも、そうすると危ないということがわかっていたから、出来なかったの。危ないなんていっても、今考えれば大したことないことばかりだったのにね。プーさんに当てられた時、心臓が止まりそうだった。ものすごい強さで心臓がどくんって跳ね上がって、そのまま。」

「でまかせを言っただけだ。ほんとうに偶然の大当りだったな。」

 キスゲは首を振り、だるそうに言った。

「また、あなたがそんなことを言うの?偶然なんて存在しない、ってのがプーさんの第一信条でしょ。偶然の訳ない。プーさんが当てられたのは、やっぱり私のことをよく見てくれているからよ。だから、偶然みたいな顔をして、ポコッと本当のことが出てきちゃうのよ。」

 プラタナスは、話を継げなかった。キスゲはまだ目を隠したままで呟いた。

「お酒って怖いね...考えていることがぜんぶ流れ出てしまいそう。」

「そうやって毒抜きしたりもするんだけどな。俺なんか、毒が多過ぎて抜き切れやしない。」

 プラタナスの軽口に応えず、キスゲはまた黙り込んだ。波の音が聞こえる。ずいぶん、長い時間が経ち、キスゲが寝たのかと、プラタナスが立ち上がろうとしたとき、キスゲは言った。

「この島に来てから、長い時間が経ったような気がする。今までの人生ぜんぶを合わせたよりたくさんのことを考えたような気がするわ。」

「収穫はあったのか?」

 プラタナスは何気なく訊いた。

「ええ、とってもたくさん。いろんなことが理解できたわ。でも、やっぱりムサシのことがずっと気にかかっているの。私は、ちゃんと理解しなくちゃならない。ムサシのことを、私が納得できるまで。でも、もう考える必要はないのかもしれない。」

「どうしてだ?まだ結論は出ていないんだろう?」

「もうひとつ。前からわかっていたことがあるの。」

 キスゲは上掛けをはいで、ベッドから降りた。青いドレスがまくれて、白い足が見えた。プラタナスは、何気なく目をそらす。キスゲはプラタナスの方は見ずに、窓の方に向かった。闇の中で、波が打ち寄せている。穏やかに。繰り返し、穏やかに。しかし、この浜がある間、休むことなく、ずっと。キスゲは振り返らず、言った。

「たとえば、あなたがここに来たのは、私を殺すためだ、という事実とか。」

 プラタナスは驚いた。

「ごめんなさい。私、他の人たちを傷つけるようなことは出来ない。もし私が組織のやり方についていけないなら、秘密を守るためには、当然のことよね。」

「馬鹿を言うな。」

「あなたなら、しょうがない。我慢できるわ。あなただけが、私を理解してくれていたんだから。でも、お願い。苦しまなくて済むように、始末して。」

 プラタナスは、何も言うことが出来なかった。キスゲはプラタナスに背を向けて跪いた。手を胸の前で握りしめ、目をつぶっていた。

「お願い、苦しませないで。」

 青いドレスの下で、細い肩が震えている。

(そうだ。本来俺は、このために来たんじゃなかったのか?)

 しかし、プラタナスはキスゲの方に近づくことが、どうしても出来なかった。

(俺はせんせいと約束した。組織を守るためには、こうするしかないと。なぜ、動けない?俺は、十分に考えて、こういう結論を出したはずだ。ここで出来なければ、おれは自分の理論を裏切ることになる...なぜ、動けない?)

 プラタナスは大きく息を吐いた。そして、キスゲに背を向け、ドアの方に向かった。ドアを開け、部屋を出た。もう聞こえるはずはないが、キスゲは今、泣いている。そのことが、プラタナスの心臓を締め上げるように痛めた。もうずっと、キスゲの口ずさんでいた歌が、プラタナスの頭の中でリフレインを続けている。哀しく、甘いメロディが、プラタナスの心を青い色の水で満たしていった。



★ プラタナス、再検証をする。

次の日からも、何事もなかったかのように、平和な日々が過ぎていった。まるで夢の中のような出来事だったが、あの緊迫した会話は確かにあったのだし、プラタナスが何も返せなかったのは事実としてある。そして、キスゲの言葉で、彼らは再び、元いた世界へ戻ることになる。

「プーさん?私はもう大丈夫。ずっと放っておいた、ムサシの件が気になるから、できれば早いとこ復帰したいんだけど。」

 プラタナスは組織に連絡を入れ、長い休暇を終えた。これで、やるべきことはやったのだろうか。打つ手は打ち終えたのだろうか。プラタナスは謂れのない不安を抱えながら、ユカルに連絡した。キスゲを迎えに来る役を、ユカルに約束していたからである。

「大丈夫なの?」

 ユカルは通信線の向こうで言った。

「ああ、大丈夫だ。本人はもうやる気十分だしな。」

「そうじゃなくって。」

 はるかに離れたところで、右手をうるさそうに振っているユカルの姿が見えるようだった。突然、激しい懐かしさが、プラタナスの心に湧きあがった。もちろん、そんな気配はまったく見せる必要はない。プラタナスは静かに、ユカルの次の言葉を待った。

「あんた、何かやろうとしてたでしょ?それはどうだったの?」

 プラタナスは愕然とした。場合によっては、プラタナスはキスゲを始末するつもりだった。それがユカルにまで悟られていたと言うのか?少し呼吸を整えて、プラタナスは返した。

「あ、ああ。あれはやめた。」

「ええ?」

 ユカルからは、信じられない言葉を聞いたという反応が返ってきた。

「なんで?今のままの方が、あの子にとっていいことだと思ったっていうの?」

「!?」

「あなたは、キスゲを組織から外すつもりでいったんでしょ。いろいろ問題があるだろうから、その工作をするために行ったんじゃないの?そうじゃなかったの?」

 今度こそ、プラタナスは愕然とした。返す言葉を見つけられず、プラタナスはしばらく絶句をした。通信線の向こうでも、言葉を失ったらしいユカルの、重い沈黙が続いていた。やがて、静かな声が、プラタナスの耳に伝わってきた。

「あなたは別のことも考えていたのね。」

「...ああ。そのようだ。」

「よく考えなさい。あなたが本当にするべきことを。ちゃんとしてないと、殺しちゃうわよ。」

 静かに言われた言葉だが、言ったことは間違いなく実行する気迫が込められていた。

「すまん。もういちど考える。」

「よろしくね。じゃあ、迎えに行くから。いいのね?行っても。」

「ああ。頼む。」

 通信を切り、プラタナスはもう一度考えた。自分は、何をやるつもりだったのだろうか。再検討してみて、プラタナスは、キスゲを始末すると言う考えが、自分にそれほど響いていないことに気付いた。キスゲとの関係から行って、もし、自分が始末しなければならないのなら、この程度の感情の振幅ではないはずだった。物悲しいような気持ち程度しか、プラタナスは感じていなかった。と言うことは、プラタナスは初めからキスゲを始末する気持ちなどなかった、ということにならないか?

「だとすれば、俺が採るべきだったのは。」

 プラタナスは声に出して呟いた。

「もう一つの道だったのか?俺が検討しなかった。」

 プラタナスは、もう一度、初めから、検討を始めた。糸がどこで縺れて、たどるべき糸とは異なるものをたどってしまったのかを確認しながら。

「間違ったとしたら、感情が加わったところだ。俺のキスゲに対する思い入れと、俺の組織に対する思い入れの、この二つが一番の問題だ。」

 この検証には、長い、長い時間がかかりそうだった。プラタナスは、今度こそ間違いなく、最善のルートを見つけ出そうと決心していた。



★ ユカル、キスゲを迎えに来る。

 緑がかったような青空に、無粋なエンジン音が響いている。ヘリポートにヘリが到着したのだ。通常の観光客は、客船でのんびり来るが、時間がもったいない者や、ビジネスがらみの場合は、ヘリを使うものもいる。ローターが止まるのを待ちきれないように、サングラスをかけ、マニッシュな黒い縦じまのスーツに身を包んだ女が、飛び降りた。係員の制止を振り切って、まだ回転しているブレードの下を、平然と歩いてくる。長い髪はメデューサの髪のようにうねりまくっているが、気にせずにダウンウォッシュの下を抜け、ホテルの方に向かって歩いていった。

 ホテルの前で男が待っている。プラタナスだ。

「やあやあ、お出迎え、ご苦労。」

「こんな時期にヘリで来るのはおまえくらいだろうからな。」

「ひどいわ。私だって、本当はゆったりと豪華客船で訪れたかったのよぉ。お仕事がらみだから許してもらえなかったのに...」

「ああ、ありがとう。済まないことを言った。」

「相変わらず、バ、のつく真面目さね。とりあえず、迎えには来たんだけど、どうなの?」

「立ち話もなんだ。中に入ろう。」

「おや、どうしたの。プラタナスがこんなことに気がつくなんて。やはり、何かあったのね。」

「私は気が利かないか?」

「わあ、よかった。いつもの鈍〜いプラタナスさんだ〜。」

「おまえ、磨きがかかってないか?その嫌がらせ。」

「まあまあ、遠くから来たんだ、ゆっくりさせてやれよ。」

「...自分で言うか。まあ、そうだな。」

 二人はホテルのラウンジに入っていった。



「けっきょく、現状維持というわけ?」

「ああ。仕方がない。キスゲは今のまま続けたいといっているんだから。」

 ユカルはため息をついた。

「やっぱり戦略考案チームは、頭でっかちの巣窟って、コウガの観察は当たってるのね。」

「何だって?」

「言ってもわかんない人に、説明して差し上げる自己犠牲の精神は持ち合わせておりませんのよ。」

「わからないとは限らないだろう。」

「限るのよ、この場合。これだけ散りばめられたヒントを、すべて外すような人にはね。」

 プラタナスは、さすがにむっとして黙り込んだ。ユカルは構わず、自分の話題を推し進めた。

「で、キスゲとはやっちゃったの?」

 プラタナスの目が見開いた。ユカルは感動した。この人にも目があったんだ。ずっと細めてるから、ないのかと思ってた。プラタナスは明らかにうろたえていた。

「な、何を。キスゲはチームメイトだぞ。前にも言ったろう。」

 ユカルは化け物でも見るような目で、プラタナスを眺めた。

「信じらんない。惚れた女と、一ヶ月も二人きりでいて、何もしてないの?...不潔だわ。不潔過ぎる。」

「馬鹿な。キスゲはまだ子供だ。子供相手に惚れたの何だの...」

「関係ないでしょ、歳なんて。惚れるのに相手の条件をぐちゃぐちゃ考えるのは、自分のバージニティを高く売りつけようとする馬鹿どもだけよ。何で、自分の気持ちを誤魔化したがるのよ。」

 ユカルは立ち上がり、キーを持って立ち上がった。

「自分の気持ちを誤魔化している?」

「自分の胸に、よっく聞いてみてご覧。あんたがレールの敷かれている通りに行動しないのは、キスゲがらみの時だけでしょ。やって御覧なさいよ、お得意の分析って奴をさ。」

 ユカルはぶらぶらとロビーを横切りながら言った。考え込んだプラタナスを見て肩をすくめ、ふらふらと自分の部屋へ向かった。



 ノックの音がした。キスゲがドアを開けると、ユカルが立っていた。

「よお。元気そうじゃない、頭でっかちさん。」

「ユカルさん!どうしてここに?今度はユカルさんがお休みを取るの?」

「因果と丈夫で、働きもんだから、お休みはまだ。あんたらを迎えに来たのさ。」

 キスゲの顔に翳りが走った。ユカルは心の中で、舌打ちをした。

(ぜんぜん、帰りたがってなんてないじゃない、キスゲは。プラタナスの鈍ちん野郎、やっぱり読み損なってるわ。まあ、ここまで洞察力が曇るところを見ると、おっさん、やっぱり惚れてるわね。)

「これからすぐ帰るの?」

「冗談じゃない。ここまで迎えに来たんだぜ。何日かは遊ばせてくれよな。で、なんかいい遊び場はある?」

 キスゲは、ユカルが嬉しくなるほど、ぱぁっと明るい顔をした。

「ある、ある、あります。遊びきれないほどいっぱい。一緒に遊んでくれます?」

「おうよ。そのつもりで来たんだぜ。たっぷり穴場を案内してくれよな。」

「ええと、あたし、大人の遊び場はあまりわかんないんですけど...」

「当たり前だろ。そっちに詳しかったら、その方が大問題だ。プラタナスを絞めないといけなくなっちゃうぜ。あくまで、健全な昼の遊び場よん、私が行きたいのは。夜の遊び場は、自分で探すのが、また楽しいんだから。」

「お酒が飲める場所なら、ひとつ知ってますけど。」

「へ?プラタナスと行ったの?」

「ええ、私がおねだりして。そこで飲みすぎて倒れちゃったんだけど、プーさんが部屋まで連れて行ってくれて。」

 ユカルは思わず、生唾を飲み込んだ。

「で?で、どうなったの?」

「ずっと、お話し相手になってくれました。私が寝てしまうまで。」

 殺されるなら、プラタナスがいい、なんてお話をしたことまでは、さすがに言えない。もじもじしているキスゲに気付かず、ユカルはまた心の中でプラタナスに毒づいていた。

(なんで、そこまで行って、お話し?あの、見掛け倒しの○○ポ野郎が...何でそこで、そのまま一気にどどっといけないかな...)

 キスゲの不審そうな顔に気付き、ユカルは手を振った。

「あ、いやいや、何でもないの。じゃ、夜はそこに案内してね。そこを足がかりに、いろいろ出張ってみるから。」

 ユカルは嬉しそうに言った。

「ええ、ぜひ、ご一緒に。ずっとプーさんだけが相手だったんで、つまんなくって。」

「そりゃ、そうだよ。ほんとうは朝晩がわからなくなるくらい、やることがあるはずなんだから。これはもう、絶対プラタナスがよくないね。」

「ええ。プーさんたら、すぐに私を邪魔にするんです。子供の相手はしてられないって。」

「そりゃ、自制心に不安が出てきたからじゃないのかな...」

「え?何です?」

「ああ、なんでもない。それより、ここはプライベートビーチとかあるんだろ。」

「ありますよ。ホテルのすぐ前です。」

「行きたいな。一緒に行かない?」

「いいですよ。じゃあ、着替えてきますか?」

「へへっ。」

 ユカルはドレスの前をババッとはだけた。下にはもう水着を着込んでいる。

「じゃーん。」

「すごい。じゃあ、ちょっと待っててくださいね。すぐに着替えちゃいますから。」

「うん。」

 ユカルはさっさとドレスを脱いでしまった。かなりきわどい、ハイレグのワンピースである。黒地に鮮やかな黄色のラインが美しい線を描いている。支度を始めるキスゲに、声をかけた。

「ねえ、プラタナスも拉致していって、写真を撮らせよう。カメラは持ってきたから。」

「ええ?恥ずかしいな...」

「何言ってんだい、お子ちゃま。美しい時にたくさんのポートレイトを残さないでどうすんの。ほんとなら、ヌードだっていいのに。」

「やだあ。」

「おこちゃま!」

 言いながら、ユカルはプラタナスの気持ちもわかるような気がした。この子は、本当に幼すぎる。やはり、あーしたり、こーしたりするのは難しいかもしれない。

(まあ、当人たちがよければいいんだけどさ。)

「着替えましたぁ!」

「よっしゃ。」

 ユカルは大またでドアの方に向かった。キスゲは嬉しそうについてくる。

「プラタナスの部屋は?」

「隣です。出て、すぐ右側。」

 ユカルは首を振った。

(このシチュエーションで、なぜ?やっぱり、○○ポ?それともホ○?)

 ユカルには理解できない世界が渦巻いている。立ち止まったユカルに、キスゲがぶつかり、脇腹をくすぐった。

「ひゃあ!」

 ユカルはすかさず逆襲し、キスゲは息を詰まらせるほど笑い転げた。眉間にしわを寄せて、ユカルはキスゲを先に行かせた。その途端、ニャッと笑ったユカルは、キスゲの腰の上をくすぐった。きゃあきゃあ言う声が扉の向こうに消え、静かになった部屋には、椰子の葉を通す光が柔らかく差し込んでいる。ソファとベッドに脱ぎ捨てられた服も、不思議に、どこか夢の中の世界に似た南国のリゾート地の風景に馴染み、典雅な雰囲気を醸し出していた。


魔歌 back end

微量毒素