微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の神話〜 p.1


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1 お菓子の家
2 弟が来た日
3 兄弟の秘密の場所


魔歌:Bonus Track 〜家族の神話 【 The Legend of Family 】
李・青山華
★ お菓子の家

 このお話は、プラタナスが子供の時のお話です。プラタナスは、組織のコード・ネームなので、ここでは本名でお話が進みます。プラタナスの名前はツクミ。お姉さんにはズクと呼ばれています。


 その家は、森の中にある。低い垣根に囲まれて、鎮座ましましている。この家は、遠くからは見えない。森の中を歩いていると、突然視界が開けて、目の前に現われるって寸法さ。それだけで、特別な家だって事がわかるだろ?

 門はピンクの砂糖菓子。それを押して開くと、カステラが煉瓦のように敷き詰められて、アプローチを形作っている。その両側には、砂利代わりのマーブルチョコが敷かれている。その両側には、セロファンに包まれた山ほどのキャンディが、花壇を彩っている。ふわふわのアプローチを踏んでしまっていいのか、迷いながら行くと、大きな飴細工のバラがからまるアーチがある。それをくぐると、その家が見えてくる。お菓子の家が。

 鮮やかな色の屋根は、色とりどりのゼリービーンズで葺かれている。。煙突は、ソフトクリームで出来ている。魔法で、どんなに暑くても融けない、甘くて冷たいソフトクリームで。家を支える柱は、極太のキャンディ・バー。壁はウエハースに白い砂糖の衣がかけられており、窓は透明の飴が平たく延ばされて嵌められており、少し歪んだ風景を映している。ドアは茶色の巨大な板チョコ。ドアの取っ手はボールチョコ。握ったら溶けちゃうんじゃないかな、と君は思う。

 そして最後の仕上げ。ドアの横には、やっぱりチョコの、変わった形のウェルカムボード。そこに書かれたこのうちの主人の名前は...なんと、君の名前じゃないか。本当に素敵なお菓子の家。

 だけどさ、注意してご覧、耳を澄まして!

 ほら、ここでは、森の中なら必ず聞こえる音が聞こえない。蜜を集める蜂たちの羽音が聞こえない。そそっかしいリスが、どんぐりを落とす音も聞こえない。何より、森の中を楽しげに飛び回る、小鳥たちの囀りも聞こえないじゃないか。そう、ここには生き物はまったくいないのさ、君以外には。甘い匂いに引き寄せられて、どこからだって集まってくる、あのアリの姿さえ見えないじゃないか。ここには、このお菓子の家を構成する物以外はまったく存在していない。そこで君は、自分が捕まえられたことに気付く。そうさ。本当はお菓子の家は、悪い魔女が作っているんだよ。子供たちをおびき寄せて、食べてしまうために。



★ 弟が来た日

 姉さんは頭がいいので、ずいぶん前から今日のような日が来ることは覚悟していたようだ。僕はと言えば、まだ実の母親のことがずいぶんと心にかかっていて、素直に受け入れられたとは言い難い。なんせ、お母さんが病気で逝ってしまってから、まだ1年も経っていないのだから。この1年間、父さんはよく頑張ってきたと思う。小学生の子供二人を抱えて、仕事も疎かにはできない。何より、最愛の奥さんを失ったことに耐えなければならなかったのだから。

 姉さんも頑張ってはきたが、やはり色々と歪みが出てきてしまう。小学6年生に家事を全てやれというのは無理な話。小学4年生のぼくでは、大した助けにもならない。お手伝いさんを雇うなんて余裕もあるわけがない。そこで、父さんは打開策を追及した。その結果が今日。新しいお母さんが、これから我が家に来るというわけだ。

 父さんも姉さんも、何か浮ついて、慌てて色々なところを片付けたり、埃を払ったりしている。え?ぼくはずいぶん落ち着いているようだって?とんでもない。ぼくも幼い心をかなり痛めながら、なぜか風呂掃除をしているのさ。一生懸命、湯船をこすっているところ。そんなに汚れてもいないんだけどね。少なくとも、ぼくはそう思う。


「この子が、おまえたちの新しい弟だ」

 二人を家に迎えての、父さんの第一声がこれだった。その子は玄関でも母親の蔭に隠れようとせず、人差し指を咥えてじっとぼくを見た。その子の目は黒くて大きく、でも何も映していないように見えた。ぼくがその目に吸い込まれそうになっていると、姉さんが助けてくれた。

「この子はズク。あたしはテルって呼んで。あなたは?」

 その子はじっとぼくを見ている。女の人が、慌てて話しに入ってきた。

「ごめん、テルミちゃん。この子は喋れないの」

「口が聞けないの?わかった」

 姉さんは女の人をまっすぐに見て言った。

「この子の名前を教えてください」

 このあたりが、姉さんがすごいと思うところだ。大人が相手だと、ぼくはどうしても顔を見て喋れない。姉さんは、相手をまっすぐに見て喋る。大人と対等のように見える。

「×××って言うの。よろしくね」

 姉さんは首を傾げ、聞いた。

「字はどう書くんですか?」

 父さんが慌てて紙を取りに行き、女の人が書いてくれた。姉さんはそれをしげしげと眺め、頷いて、男の子の方を見て言った。

「あなたはユウね。ユウ。わかった?」

 男の子はやっと姉さんの方を見て、じっと見つめた後に頷いた。

「よし!」

 姉さんは満足そうに頷いた。ぼくも、ようやく対面の儀式が終わったのでほっとした。そしたら姉さんは女の人を見て言ったんだ。

「それで、あなたのお名前はなんとおっしゃるんですか?」


 ユウのことで頭がいっぱいになっていたので、新しいお母さんの紹介がまだだったってわけさ。父さんも女の人も慌てて一緒に喋りだした。

「ナミです。初めまして...」

「この人はナミさんと言って...」

 二人はぱっと顔を見合わせ、赤くなって黙ってしまった。そしてまた同時に喋りだした。

「お父さんの...」

「ご自分で...」

 またぱっと顔を見合わせて、口を押さえた。ぼくは思わず、ぷっと噴き出してしまった。二人が同時にぼくの方を見る。あまりにぴったりと合っているので、ぼくはくすくす笑い始めてしまった。二人の顔が不安に翳ってくるのに気付いたけど、それまでぴったり一緒なんだもの。ぼくはくすくす笑いをどうにも止められなかった。そこで、パンという大きな音がした。みんなびっくりして音のしたほうを向くと、姉さんが澄まして手を叩いていた。

「ほんとによく気が合っているのね。うちに連れてくる前に、ずいぶんとよくお知り合いになったみたいね」

 父さんの顔が驚くほど赤くなった。お酒を飲んだ時でも、こんなに赤くはならない。見ると、女の人のほうも赤くなっていたが、こちらの方がきれいな赤だった。

「テルミ!」

「だって、話もしたことがない人が来たんじゃ不安でしょ。色々お話はしてるのね」

「あ、ああ」

「で、父さんはこの人ならうちに来ても大丈夫だと認めたと」

「お、おお」

「それで、私たちも、この人と一緒にやっていけるだろうと」

「う、うう、それは少し自信がないが...」

 父さんはぼくの方を見た。いや、ぼくの方を見られても...ぼくだって、言う時は言うさ。

「困ってる顔までぴったり合ってるんだもん。笑っちゃうくらい気が合ってるんじゃない?」

 姉さんは重々しくぼくに頷き、二人の方を見て言った。

「じゃあ、よろしくお願いします、ナミさん。ナミさんでよろしいんですよね?」

「え、ええ」

 二人は泣き笑いのような顔をして、顔を見合わせた。お笑いのコンビじゃないんだから、そんなところで息を合わせて見せることないのに。ふと、シャツが引っ張られてるような気がした。見ると、ユウがぼくのシャツを掴んでいる。ぼくはユウの手をとって、シャツから離し、手をつないだ。姉さんがいつもそうしてくれたから。女の人はユウを見て、困ったように笑った。そして急に姿勢を正し、姉さんを見て、ぼくを見た。

「ナミです。テルミちゃん、ツクミくん、これから一緒にいることが多くなるけど、嫌なことがあったら、気にしないでお父さんに言ってください。なるべく直すように考えてみますから。ユウをよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 姉さんも頭を下げた。ぼくも慌てて頭を下げた。顔を上げると、ほっとした顔をしている父さんが見えた。ほんとなら、父さんが仕切らなけりゃならないのに。気がつくと、ずっとユウの手を握っている。ユウの手は熱かった。なんだかおかしな順番になったけど、このほうがうまくいったみたい。ユウはじっとぼくの顔を見ている。なんだか恥ずかしいので、おでこをユウのおでこにつけた。ユウは押し返してきながら、笑った。



★ 兄弟の秘密の場所

「ねえ、テルミちゃん、ズクってのはかわいそうな感じがするんだけど」

「いいのよ、これで。馴染んじゃってるから」

「ふうん」

 ナミさんは飲み込みが早い。このあたりは父さんの好みだろう。何か理由があるってことがわかったみたいで、それ以上突っ込んでこようとしない。まずは、合格かな。きょうはナミさんとユウの引越し荷物が来たので、みんなで荷解きをしているところだ。大きな荷物はそんなにない。本箱と小さな箪笥と、鏡台。鏡台はうちにもある。もちろん、母さんのだ。今は父さんの部屋に置いてある。元、父さんと母さんの部屋だ。

「あら、鏡台」

「私のなの。お母さんのもあるのね...」

「じゃあ、お母さんのは私がもらおう。私の部屋に持っていくわ。いいよね、お父さん」

 一瞬、間を置いて父さんは言った。

「ああ。テルが欲しいんなら、使うといい。もう12歳だもんな」

 迷っちゃいけない。ナミさんが気にするだろう。せっかく姉さんが気を使っているのに、受けの甘い奴。ま、そのあたりが父さんのいいところなんだけど。嘘がつけないんだよね。荷物の残りは、ダンボールの山。台所用品と、食器と、服と、本だそうだ。色々差障りがあるといけないので、姉さんとぼくはユウの荷物をぼくの部屋に運んだ。

 ぼくの部屋は2階の6畳間。今日からは、ぼくとユウの部屋だ。ベッドは前に姉さんと使っていた二段ベッドを、また運び込んで、みんなで組み立てた。今度はぼくが上の段だ。何となく嬉しい。姉さんは、新しいベッドを買ってもらった。白く塗られた、木のベッド。姉さんのチェックが入ったとはいえ、父さんの趣味は悪くない。

 幼稚園のユウの荷物はそんなにない。懐かしいようなおもちゃがあったので、片付けを一時中断して、3人で遊んだ。ユウは楽しそうだ。ぼくは、ふと気付いて聞いた。

「幼稚園は行ってたの?」

 ユウは頷いた。

「じゃあ、友だちは?引っ越してきちゃったら、もう行けないだろ?」

 ユウの目に、涙が浮かんできた。しまった。やっちゃった。幼稚園の時に仲よしの子が引っ越して行っちゃって、すごく悲しかった記憶があったんで、つい聞いちゃったんだ。ユウはしゃくりあげ始めている。姉さんが腕を組んでいる。ぼくを怒ってるんじゃない。姉さんが、何かを必死で考えている時のポーズだ。頼みは姉さんだけ。

「よし」

 姉さんはユウの前に片手をついて、ユウの目を覗き込んだ。

「友だちと会えないのは寂しいね」

 ユウはしゃくりあげながら、姉さんの目を見て頷いた。

「じゃあ、今度会いに行こう。姉さんたちにも紹介してね」

 ユウはびっくりして姉さんの目を見た。姉さんはけっして目を逸らさない。そして、姉さんはけっして嘘をつかない。姉さんはその目でユウを見ていた。ユウもその目を覗き込んでいる。そして、ユウは頷いた。姉さんは、スカートを翻してくるりと立ち上がった。

「それじゃあ、探険に行きましょう。ズク、ユウ、ついていらっしゃい」


 ぼくたちは、近所の公園に来ていた。姉さんは回りを見回していたが、声を張り上げた。

「おおい、ヤマにハリにシイ、ちょっとこっちに来てぇ」

 3人を呼んだのに、8人くらいが集まってきた。

「なんだよ、テル」

 背の低い、きょろきょろした目の子が口を切った。

「紹介したいの。これ、ユウ。新しくうちに来た子なの。気にかけてやって」

「りょーかい!」

「なんだよ、新しい子って。もらわれっ子か?」

 そう言った男の子は、姉さんに凄い目で睨まれた。

「ヤマ、言葉に気をつけろっていつも言ってるでしょ。この子は、私の弟。わかったわね」

「へいへい」

「あ、それからこの子は口がきけないの。注意してあげてね」

 姉さんはヤマの方をきっと見た。ヤマは首を竦めた。

「何にも言わないってば」

「そう、シイ。この子はあんたと同じ学年だから、特によろしくね」

「任せて!」

 男の子はぴょんぴょんと飛び跳ねながら言った。

「で、今日は何をして遊ぶ?」

「鬼ごっこ!」

 そのまま学年縦断鬼ごっこに雪崩れ込んだ。そのまま怒涛のように大騒ぎをして逃げ回り、気がつくともう日が傾いていた。みんなそれぞれに帰っていき、公園に残っているのは3人だけになった。

「暗くなってきたわね。お化けが出たらどうしよう」

 姉さんは、ぼくとユウを見て言った。

「男は女を守らなきゃいけないのよ。お化けが出たら、あたしを守って戦うのよ。いいわね」

 ユウはうんうんと頷いていた。ぼくはそれほど単純じゃない。

「姉さんを怖がらせるようなお化けなんて、この世にいるのかね」

「ズク!」

 お化けはいるかどうか知らないが、姉さんは怖い。とりあえず、ここは姉さんを立てておくしかないだろう。

「了解しました!」


「よし。じゃあズク、誰もいないか、確認して」

 これもいつもの儀式だ。ぼくは公園を一回りして言った。

「テル、公園には我々以外、猫の子一匹おりません!」

「よおし」

 姉さんはぼくたちを繁みの方に誘った。

「ユウ、この2番目の枝に乗って」

 ユウは言われるままに、木に攀じ登った。

「右側に穴があるでしょ、見て」

 そう、公園のこの木にはうろがある。そして、そのうろにはおもちゃが隠してあるのだ。声のない歓声が聞こえた。

「わかった?これは、私たちだけの秘密よ。誰にも気付かれちゃいけないのよ」

 ユウは頷いた。そして、ぴょんと木から飛び降りる。

「よろしい。それでは、これからうちに帰ります。さあ、私を守るのよ」

 ぼくはいつも通り先頭に立ち、いい加減に回りを見ながら歩いて行った。振り返ると、ユウは姉さんの後ろで、真剣に回りを見守っている。思わず笑いかけた途端に、電信柱にぶつかった。頭を抱えてうずくまるぼくを見下ろして、姉さんは呆れたように言った。

「なにやってんの、バカねえ」

 一言もない。抱えている頭を、おそるおそる撫でてくる手がある。びっくりして顔を上げると、ユウがびっくりしていた。

「撫でててくれたのか」

 ユウは頷く。か、かわいい。弟はこんなにかわいいものだったのか。

「ありがと。もう全然痛くないから」

 立ち上がった途端にズキンと来た。顔をしかめたぼくの手を、ユウが心配そうに握る。

「だ、大丈夫」

 すっと頭に手が乗った。

「痛いの、痛いの、とんでけー」

 姉さんがおまじないをしてくれたのだ。感動した。やはり、姉さんもいい。痛みは少し残ったけど、ぼくはいい気分で、3人で手をつないでうちに帰っていった。もう、影がずいぶんと長くなっていた。


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