微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の神話〜 p.2


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★ 裏切り

 ユウとナミさんがうちに来てずいぶんと経ったが、一応うちの家族は問題なく推移していた。問題が起こらないのが問題とも言える。二つの成り立ちの異なる文化が一つになるとき、そこに軋みが起きないわけはない。まあ、それが起きないようにするのが、人間の調整力の見せ所なのだが、結局はどちらかが引いて、どちらかが合わせることの積み重ねで、うまいところに落ち着けるわけだ。

 うちは小姑たる姉さんが出来ていたから、本当にうまくいったと思う。ナミさんも理解力のある人だったので、そのへんでぎくしゃくすることはなかった。それにしても、姉さんは小学生にしては出来すぎであると思う。母が死んで3年、色々思うところもあるだろうに、新しいお母さんとしてナミさんを受け入れるための努力を惜しまないんだから。姉さんは父さんが好きだから、余計な負担をかけたくないんだと思う。父さんだけじゃ、ぼくたちの世話を仕切れないのも確かだし。

 ぼくは姉さんほどふっきれない。ぼくはまだ母さんの腕の感触を覚えているから。母さんは母さん、ナミさんはナミさんとしきゃ、言えない。まあ、勘弁してもらおう。小学校4年生では、これが限界だ。歳には関係ないのかな?まあ、それはぼくには判断しようもない。と、言うわけで、ナミさんとユウは、それなりにうちの家族に溶け込んでいた。


 ユウはよく公園で遊んでいる。幼稚園児は遊ぶのが仕事だが、本当に公園が好きだ。ぼくはあまり外遊びが好きじゃないので、家にいることのほうが多いが、ユウは幼稚園から帰ってきても、昼間はほとんど家にいない。姉さんが公園デビューさせた時に頼んだ連中は、まさか、姉さんの脅しのせいじゃないと思うが、よくユウを見てくれる。口がきけなくても、こちらの言うことはちゃんと理解して、無茶をしないユウは、遊び相手として好ましいようだ。口がきけない分、馬鹿なことは言わないし、相手もわかっているからちゃんと理解させようとする。そのあたりの微妙なバランスがうまくいっているのだろう。そんなある日、姉さんが真っ青な顔をして帰ってきた。

「ユウが裏切ったの」

 おいおい、穏やかじゃないぜ。

「どうしたの、姉さん。なんだよ、裏切りって」

 姉さんはランドセルを下ろし、いらいらと歩き回った。

「だから、どうしたんだって」

「ユウが秘密の場所を皆に教えちゃって、みんなとあそこのおもちゃで遊んでるの」

 なるほど、そういうわけか。ぼくも少し考え込んだ。あそこは秘密の場所なんだ。誰かに見つけられちゃったらしょうがないけど、秘密と決めた場所を、秘密を共有している者に断りもなく、みんなに教えてしまうのはルール違反だ。姉さんが裏切りというのも無理はない。

「私たちだけの秘密だって言ったのに」

 姉さんはついに爪を噛みだした。かなり、ショックだったんだな。

「ズクは絶対そんなことはしなかったのに。ユウはなぜこんなことをするんだろう」

 けっこう、重症かも。善後策を練る必要がある。

「姉さん、手を洗ってうがいをした?」

「まだ。やってくる」

 姉はぴょんと洗面所のほうに消えた。ぼくはその間にじっくりと考えた。ことはそれほど複雑じゃない。起こったことは一つ。

一.ユウが、遊び仲間と、秘密の場所のおもちゃで遊んでいる。

その結果、起こっていること。

一.姉が怒っている。理由は、ユウが裏切ったから。

 ふむふむ、実に単純じゃないか。これを解きほぐせばいいんだ。結果の方は、事実じゃない。ユウが裏切ったという、姉の推測だ。問題は裏切りの定義だけど、それは後で考えよう。まず事実確認をする必要がある。

一.ユウは裏切ったのか?

一.ユウが皆に場所を教えたのか?

一.そうだとしたら、なぜそうしたのか?

 とりあえず、これを取っ掛かりにしよう。フィールド・ワークが必要だな。ぼくはあんまり得意じゃないんだけど。まあ、家族の平和のためだ、仕方がない。姉さんが戻ってきた。顔まで洗ったらしい。髪の先に滴が残っている。

「ちょっと、出かけてくる」

「あんたが?どこに?」

「ちょいとそこまで、フィールド・ワークに」

 姉は鼻の頭に皺を寄せて言った。

「あんたって、本当にわかんないわね。ユウに裏切られて、私がこんなのショックを受けているのに、慰めてくれないの?」

「必要があれば、いい子いい子してあげるよ。まあ、様子を見て」

「私は、今傷ついているって言うのに!」

「行って来ます」

 まだぶつぶつ言っている姉さんを置いて、ぼくはうちを出た。目指すは公園。日差しが熱い。帽子を被ってくればよかった。


 公園には木陰があり、快適とまではいかないが、日射病で倒れる心配はなさそうだ。なるほど、確かに、ぼくらの秘密のおもちゃで遊んでいる。お気に入りの電車が乱暴に扱われているのを見て、ぼくの胸は痛んだ。姉の変身セットも砂にまみれて放り出されている。姉があんなに怒ったのも無理はない。あまりのことに、取り返すことも出来ず、うちに逃げ込んできたのだろう。ぼくもユウに腹が立ってきた。いけない、ぼくは事実確認に来たんだ。そのぼくが感情的になったら、正当な解決は望めない。ぼくは痛々しいおもちゃたちを敢えて無視して、ユウを捜した。

 ユウは滑り台の上で、ロボットを掴んで、動かしていた。ユウはぼくに気付いて目を丸くして、にっこりと笑って手を振った。ユウは、裏切ってはいない。定義にもよるが、ユウはぼくたちを裏切ろうとして裏切ったわけではない。それは、わかった。ユウはロボットを下に置いて、滑り台を滑らせた。ロボットはぼくの足元に滑り降りてきた。ぼくはそのロボットを拾い上げ、ユウを見上げた。ユウはニコニコ笑って、手を伸ばしている。ぼくはユウに聞いた。

「ユウが皆に、秘密の場所を教えたのか?」


 ユウは笑うのを止めた。いけない、事実を聞き出すだけのはずなのに、ぼくの言葉には棘がある。しかし、これを消せるほどの人生経験は、ぼくにはない。

「ユウが教えたの?」

 ユウは頷いた。不安そうに、ぼくの顔を見ている。そんなに出ているんだろうか、怒った気持ちが。いけない、これではユウが本当のことを言えなくなってしまう。ぼくは滑り台の下に近づき、手を伸ばしてユウにロボットを渡した。ユウは受け取り、少し安心したようだ。

「ロボットと一緒に降りてきな」

 ぼくは言って、滑り台の降り口に回った。ユウはロボットを持ち、神妙な顔をして滑り降りてきた。ぼくはユウの手をとって、木の下に連れて行った。そこに座り、ユウに話を聞くことにした。


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