微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の伝承〜 p.1


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1 お菓子の家、再び
2 ナミさん

魔歌:Bonus Track 〜家族の伝承 (The Folklore of Family) 〜
李・青山華
★ お菓子の家、再び

 再び、甘い甘いお菓子の家だ。あれから12年が経った。ぼくはお菓子の家の中にいる。そして、ふと音がしているのに気付く。お菓子の家には、音がなかったはずなのに。ぼくは音の出所を探して、耳を澄ましながらそっと歩きまわる。近づいてくるかと思えば遠ざかり、音の出所が特定できない。薄暗い家の中で、かすかな音がしている。

 注意してみると、その音に合わせて、壁がかすかに光っているようだ。目を細くして焦点をぼかすとよくわかる。この家はかすかに音を立て、脈動している。これではまるで...

 ぼくは壁に耳をつけた。そして音の出所を知った。何かが壁の中を流れている。いや、壁だけじゃない。柱の中も屋根の中も、地面の中も。規則正しく何かが流れているような音がする。そして、それに合わせて、脈動している。ぼくは気がついた。このお菓子の家は、生きているのだ。ぼくは、この家から出なければならない時が来たのを知った。



★ ナミさん

 いつの頃からか、家の中の空気が微妙に変わってきていた。初めに気づいたのは、ぼくが高校に入った頃。受験で腫れ物に触るように扱われていたので、気付くのが遅れたのだろう。姉はその頃、大学に行っていた。始めから行くつもりだった大学に、当たり前のような顔をして入っていた。受験期間のせいで、ぼく一人が浮いてしまったのかと思ったら、そうでもない。家族が皆、それぞれ孤立して、薄い幕の向こうにいるように、本当のところが見えなくなっていた。ある日、その幕を遠慮がちに開いて、ナミさんが入ってきた。


 ノックの音がした。

「どうぞ」

 勉強をしていたぼくは、声をかけた。姉か、ユウだろうか。しかし、入ってきたのは、意に反してナミさんだった。お茶とお菓子をお盆に載せている。

「おやつ」

「ありがと」

 お盆を机の端に置き、ぼくは勉強を続けようと思った。しかし、ナミさんは出て行かない。ぼくは振り向いた。ナミさんは本棚を見ている。

「なに?」

 ぼくが訊くと、ナミさんは慌てて手を握り合わせて、言った。

「うん、別に何でもない」

 ぼくは勉強を続けたが、ナミさんはまだ出て行かない。高校生ともなると、あまり親に部屋の中にいて欲しくない。これは普通だと思うんだけど、そうでもないんだろうか?仕方なく、自分で持ってきておいたお茶をごくりと飲んで、ぼくはまた振り向いた。

「話があるの?」

「え、うん、まあ、ね」

 歯切れが悪い。いつもはもっと回転の速い人なんだけど。ぼくは勉強を諦めて、椅子を回してナミさんのほうに向き直った。

「お聞きしましょう。何でしょうか?」

 ナミさんはまだ言い出しかねている。尋常じゃないな、この躊躇は。

「まさか、ぼくの女性関係について訊きたいんじゃないでしょうね」

 ナミさんはぱっと顔を上げ、ぼくの顔を見て、またぱっと顔を下げた。参ったね。いきなりビンゴかよ。まさか、ナミさん、テレビか雑誌で怪しげな教育論かなんかを見て、年頃の息子に性教育をしておこうなんて思い立ったんじゃないだろうな。まあ、幸いに、というか残念なことに、ぼくはまだ女性とお付き合いしたことがないし、その兆候もない。いいな、と思う女の子もいるが、みんな男勝りの姉さんタイプばかりだし、ときめくという事がない。自分の感情を分析すると、その子たちは、同性の友人と同じところに属しているようだ。つまり、いい友達ってやつ。色気はない。

「何で突然。姉さんにいい人でも出来て、それで臨時検査ってこと?ツクミ、16歳。現在、交際中の異性なし。もちろん、同性もね。候補者も今のところなし。言い寄ったことも言い寄られたこともないよ。マザコンでもないし、たぶん異常者でもない。女性には普通に興味はあるし、エッチな本も、多少の在庫はある。隠してあるけど、すぐ見つかるところにあるから、捜さないでくれると嬉しい。こんなもんですけど」

 長い告白を終えてナミさんの顔を見た。どぎまぎしているところを見られるかと思ったのだ。後々までからかいのネタにできるからね。ところが、ナミさんの顔を見て、ぼくの方が驚かされた。ぼくがナミさんの顔に見たのは、不安...。いや、もっと強い感情、たぶん恐怖だったのだ。


 まさか、息子がエロ本を隠し持っているのがわかって恐怖に襲われている?義理の息子だから...あり得る。いや、ないって。子供までいるんだから、男のことは、ぼくなんかよりずっとわかってるんだろうから。それに、見つかるエロ本は可愛いものだ。それくらいの方が興奮できるし。知的興味から、解剖学的なところまでわかるような本も持っている。これはきっちり隠してあるから、見つけられないだろう。まあ、物事は何でも追求しすぎると、本来の欲望からかけ離れてしまうものだ。ぼくは女の子は服を着ているほうがエロチックであると思っている。閑話休題。

「あ、ありがとう。そこまで訊こうとは思っちゃいないから」

 ナミさんはぼくの視線から目を逸らし、出てゆこうとした。結局、謎は深まるばかりだ。いつもぼくが自分で用意するお茶があることは知っているのに、わざわざ用意したお茶を持ってきてまで知りたかったことは何か。そして、あの恐怖の表情は何か。知的欲求不満を抱えた息子を残して、ナミさんは部屋を出て行った。そして、ドアを閉めようとして、また躊躇い、顔を上げた。

「あのね、あの...」

 ぼくは謎の一端が明かされるものと期待したね。ナミさんは、また下を向いた。しばらくそのままでいて、顔を上げたときは笑っていた。どこか疲れたような笑顔だったけれど。

「エッチな本を見るのはほどほどにするのよ」

 ナミさんはドアを閉めて、1階に降りていった。ぼくはたぶん、閉まったドアに向かって、思い切り間抜け面を晒していただろう。女という奴は、これだから侮れない。結局謎は明かされないままだった。


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