微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の伝承〜 p.2


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★ 姉さん

 夏休みになり、久しぶりに大学から帰ってきた姉が、ぼくの部屋で漫画を読んでいる。自分の部屋に持っていって読めばいいのに、そう言うと情がないとか言って怒る。漫画を読む場所を提供するかどうかで、情のあるなしを問われても困るのだが。姉は、そばに人がいてくれたほうが落ち着くらしい。しっかりしていると皆に思われる姉だが、実はかなり甘えん坊なのだ。で、とりあえずは放置している。

「そう言えば、姉さん」

 ぼくはナミさんが突然部屋に来たときの事を思い出し、姉に聞いてみることにした。

「何よ。今いいところなんだから、邪魔しないで」

 姉はめんどくさそうに、ベッドに寝転がって漫画を読み続けている。

「この前、ナミさんが突然俺の部屋に来てさ。お茶とお菓子なんて持って」

「いいじゃない。隠しておいたエロ本を持って来られたんならともかくさ」

「それそれ、それがらみかと思ったんだ。何か言いたそうにしてるからさ。そしたら案の定、彼女はいるかなんて聞いてくんの。まあ、残念ながらそういうこととは縁が遠いということを述べてたら、ナミさんがすごい顔してさ。びびったよ、俺」

「すごい顔?」

「不安、というより、恐怖かな。怯えてるみたいだった。俺、何かおかしなことをしたかな、って思っちゃったよ」

 姉は何か考えているようだった。そして上の空のまま、こんなことを言った。

「あんた、物凄いエロ本を隠していて、それを見られたんじゃないの。激アブノなやつ」

 姉はこんなことを言うタイプじゃないと思っていたのだが、女子大生生活は、姉のような女をも変えてしまうのだろうか。

「そんなもん、持ってないわい」

「あんた、学究精神旺盛だからね。とんでもないのを持ってたりするんじゃないの?」


 ぼくは内心ぎくりとしながら言った。

「冗談。俺は、女は服を着て、装っている方がいいもん」

「変態ね、と言いたいところだけど、まだ高校生だからね。あんたは昔からロマンチストだったから。まあ、お子様だってことよ。」

「そうかな。より高尚な考え方だと思うんだけど」

「そういう意識で言っているなら、変態ね」

「姉さん、言葉悪いよ。なら、人は何で装うのさ。服を着ないのが大人で、変態でないんなら、みんな露出度の高い服を着るんじゃないか。現実は逆だろ。高齢になって、パンツ一丁で歩いているおじさんを見たら、姉さんは変態って言うだろ」

「言うわよ。言っちゃ悪い?」

「悪くないよ。ただ、さっきの姉さんの言葉が、単なる思い付きだったってことがわかるだけで」

「相変わらず、可愛くないわね。屁理屈男」

「理屈が納得できないんなら、大人で正常な姉さんは、裸でいるのがいいと思ってるんだろ。脱いでご覧よ、ここで。出来るもんならね」

「やってやろうじゃないの」

 言葉の勢いとは裏腹に、姉はまったくそんな気はないようだ。しばらくぐずぐずしていたが、何か口の中でぶつぶつ言いながら、また漫画を読み始めた。

「裸がいいなんて、肉欲しか頭にない、バカどもだけが言う言葉さ。裸なんて、ただの肉の塊さ。尊厳も何もない、ただのズタ袋さ」

 やめときゃいい言葉を、つい吐いてしまうのは未だにぼくの悪い癖だ。

「何言ってるのよ。獣は裸じゃない。獣は美しいわよ。頭陀袋なんかじゃないわよ」

「そう、獣は美しい。それだけで完結した美を持っている。人間が服を着るのはね、自分の醜い肉体を隠すためだよ。動物のような機能美もない、散漫な肉体をね。人間は獣じゃない。素のままでは、獣ほどの美は持っていないんだ」

「ずいぶん突っかかるわね。あなた、人間が嫌いなの?」

「好きじゃあないね。肉体も、精神も、人間は獣たちほどの純粋性を持っていない。大脳は本能を誤魔化すためにあるし、衣服は人間の錯誤が生み出した媚薬なんだ」

「大脳だけが拠り所のあんたから、そんな台詞が出てくるとは、驚きだわ」

「だからこそ、出てくるのさ。大脳の限界を知っているからね」

「かっこいいことを言ってるけど、目の前に女の裸が出てきたら、それでもそんなことを言っていられるの?」

「裸が興奮を誘うのは、衣服のせいさ。衣服を普段着ているから、裸が非日常に思えて、興奮するんだ。ヌーディスト村って知っている?そこの人は、異性の裸を見ても、それだけで興奮したりはしないんだ」

「それは特別でしょ」

「誰でもそうなんだよ。裸は、衣服という日常があるから、特別なものに思えるだけなんだ。フェティッシュって言う言葉を知っている?玩物崇拝っていう、変態性欲の一つなんだけど、衣服が前提の裸も、それと変わらないよ」


 姉は呆れたようにぼくを見た。

「あんた、高校生だよね。よくそんなものが詰め込まれてて、おかしくならないもんね」

「そこは、自分でも不思議だよ。皆があんなに夢中になる色恋ってのを理解したくて、調べて、考えたんだけど、追求すればするほど、そんなのは幻想だとしか思えない。けっきょく、色恋なんてのは、大脳が見せている極彩色のパノラマに、偶然そこにいる人間を載せているだけじゃないのかな」

「お菓子の家の時と言い、あんたって、ほんとに散文的なのね。情がないわ」

「やっぱり、おかしいのかな...」

「まあ、それはそれでいいんじゃない?あんたを理屈で言い負かせるような女の子がいたら、ぴったりなんだろうけどね。あ、でもそうしたら、今度はあんたが認めてもらえないか。私に言い負かされる程度の男なんて、ってね」

「知的探求者は孤独だなあ」

 思わず、本音が漏れる。姉は鼻で笑った。

「探求者は猟色者と変わらないわね、本質的には。あれこれ言いながら、これだけの材料を集めるのは大変だったでしょう。普通なら、この追求だけで鼻血がとうとうと流れ出るわよ」

 ぼくは赤面した。やっぱり、姉は怖い。しかし、姉はぼくの顔色など見ていなかった。何かじっと考えているようだった。

「変態性欲か...変態性欲っていうのは、やっぱりタブーを犯すことで喜びを感じることだよね」

「そうだね。普通じゃ、考えようもないものもあるようだよ」

「あるようだよ、じゃないわよ。あんたがそんな不明瞭な答えで満足するわけがないでしょう。みっちり研究してるんでしょ」

「まったく、敵わないな。でも、俺は変態性欲なんてのも、言葉遊びに過ぎないと思っている。現象面だけでバリエーションがあるように捉えられているけど、現象は百の出来事があれば百に分類できちゃうからね。俺は、性欲は排泄欲と支配欲に分ければ、それで十分なんじゃないかと思ってるんだけど」

「愛情は?愛情は性欲とつながらないの?」

「つながらないね。愛情を強く持ってことに及ぶと、逆にうまくいかなかったりするだろ」

「何でそんなことを知ってんのよ」

「ははは。愛情は基本的に、慈しみ、与えるものだから。相手にそう言う気持ちを強く持っていたら、性欲は尻尾を巻いて引っ込んじゃうでしょう。双方が十分に成熟して、相手と一つになりたいという気持ちを、両方が強く持っていれば、愛情経由の性行為もうまくいくだろうけど、それは性欲とはちょっと違うよね」

 姉はぼくの頭をこづいた。

「まったく、この頭のどこでそんなことを考えてるんだろうね」


「理解できないって人が言っているのを聞くと、ついむずむずしちゃうんだよ。話を聞いている限りは、理解出来そうな気がしてね。それで、いろいろ考えちゃうんだな」

「資料も集めてね」

「それは言わないように。でも、実際俺が調べるのは際(きわ)のあたりだからね。俺が見ても気持ち悪いだけで、性欲なんて湧かせようもないよ。俺は嗜好はまったくノーマルだから。ある意味、人間の暗黒面の極北で、できれば、一生見ないで済ませたいものばかりだね」

「じゃあ、見なきゃいいのに」

「知りたい気持ちは抑えられないんだ」

「知識欲を抑えられないってのも、一種の変態じゃないの?」

「知識欲も欲だからね。でも、俺のはちょっと違うな。あらゆるものを綺麗に分類しておきたいというような気持ちなんだ」

「分類して、ファイルに収めて、綺麗に整理整頓清潔清掃しておきたいんだね。それは不潔恐怖症の現われの一つなのでは」

「うん、そうかもしれない。俺はたぶん、分類不可能なものをそのままにしておきたくないんだね。性欲は、分類不可能みたいに言われると、排泄欲と支配欲の二つに分けて全て説明できることを示したいんだろうな。あなたの言い分はそうだけど、実際はこんなもんですよ、と。姉さん、やっぱりすごいな」

「すごいかね」

 姉は投げやりに言った。そして、また話を戻した。

「性欲は、排泄欲と支配欲に分けられるって言ったよね。変態性欲は分類できるの?」

「変態性欲は、難しいんだよ。そもそも、性欲じゃないものも、ここに押し込められるからね。まずは、性欲系と非性欲系に分けられる。というより、そもそも別の括りで考えなきゃいけないものなんだと思うんだけど」

「性欲系は、やっぱり性欲と同じなの?」

「うん。でも、支配欲の方だけだね。排泄欲は、食欲と同じで、それほど複雑な屈折をしようがないんで」

「非性欲系は?」

「禁止されている行為をやることによって、快感を得るものだね。だから、性が絡まなくてもいいのさ」

「つまり、変態性欲は、破られるべきタブーが重要だってことだよね。人間にとって、一番のタブーって何なんだろう」


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