微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の伝承〜 p.8


魔歌 家族の伝承・目次 back end

1 イベント・オリエンテッド・コントロール・メソッド
2 訪問(おと)なう者
3 ここより永久(とわ)に
4 いつか、ある日

★ イベント・オリエンテッド・コントロール・メソッド

 それから、俺は他にしたいこともないので、大学で研究を続けた。主任教授の強い推薦もあって、大学院に残り、研究を続けていたが、その課程で俺は一つの推論を得た。社会の動きは、適切なタイミングで適切な外挿イベントを発生させることで、100%コントロール可能だという推論を。

 俺はそれを検証するため、大学祭を利用して、一つのイベントを行った。その結果、学生の動きをかなり恣意的にコントロールできることがわかった。

 それに自信を得て、俺は自分の推論をまとめ、論文を作成した。これは、画期的な論文で、今までに発表されたこともないものであるはずだった。しかし、主任教授から、発表を止めるよう指示があった。俺は疑問を持ちながらも、とりあえず論文を持ち帰った。

 確かに、これは悪用することも可能だ。だからこそ、日の下にさらけ出すべきだと思ったのだが。



★ 訪問(おと)なう者

 数日後、訪問者があった。訪問者はジギタリスとベラドンナと名乗った。ジギタリスは初老の紳士、ベラドンナは30前後の女性。馬鹿げている。

 適当にあしらおうとする俺に、ジギタリスはイベント・オリエンテッド・コントロール理論について、質問してきた。これは、俺の論文の中核になる理論である。

「確かに、かなりの確立でコントロールできるのは確かです。ですが、必ず偶然の要因が絡んでくるので、70%もきついでしょう」

「偶然などというものはないんですよ、ツクミ君。偶然にはそれを引き起こす前駆現象が必ずある。その前駆現象も考慮すれば、限りなく100%に近づけることができるでしょう」

「そりゃ、理論的にはそうですが」

「君は理論を重んじないのかね」

 ベラドンナと名乗る女が口を挟んだ。

「理論的には可能だということは、可能であるということでしょう」

「まあ、そうです」

「それを阻害する要因を除去するのは、阻害要因が特定できれば簡単なことなのじゃないかしら」

「まあ、篭の中の鳥を掴むようなもんですね」

「では、訊きましょう。阻害要因を特定できないと、あなたが考える理由を教えて」

 俺は一瞬詰まった。

「...まず、前駆現象の原因となる要素を網羅できないだろうという点ですね。ありうる可能性をすべて検討するというのは、逆説めいてきますが、また新たな可能性を作り出しませんか」

「気に入ったわ、あなた」

 ジギタリスが再び話し始める。

「君は解析ツールの勉強はしているね」

「ええ、まあ一通りは」

「では、ある事象の真の要因は、考えられるすべての要因のうちの数パーセントであるということも理解しているね。それを考慮しても、君の意見は変わらないかね」

 このじじい、相当できる。

「理屈では、可能だと思えます。しかし、必ずしも綺麗にそうなるわけではありませんね」

「もちろん、その通りだ。だが、それを考慮して君の理論を展開すれば、必要な工数はずいぶん減るだろう。確かに、闇雲に100%を求めるのは愚か者だ。しかし、目指すことが可能なのに、100%を追求しないのは、怠慢だと思わないかね」



★ ここより永久(とわ)に

 俺は、返す言葉を持たなかった。ジギタリスはベラドンナを見た。ベラドンナは頷き、どうやらこれが本題らしい話に入った。

「あなたにあなたの理論をさらに追及していただきたいのです。大学にいたのでは、様々な枷があって、実験も難しいでしょう。あなたの理論は、対象が大きくなればなるほど、正確な着地点を見出せるものですから。事実上、不可能でしょう?」

 俺はもちろん、相手の言うことを鵜呑みにするほど初心(うぶ)ではない。

「どこの誰がそんなことに金を出すんだ?いろいろ利用法は考えられるが、ペイするまでに相当かかる。普通の民間企業では無理だろう。それに、俺にはこの理論を作り出したものとして、倫理の枷を持っている。あいにく、怪しげなところにその枷を預けてしまう気はない。見た目より、頑固なんでな」

「見た目より頑固とは思えないわ。見かけどおり、頑固ね。確かに怪しげなところであれば、これを使って民主主義を標榜したまま、完全な支配を実現することも可能でしょう。非常に危険な理論だわ。でもね、怪しげなところじゃないと思うのよ、私の考えではね」

「私も、組織が怪しげなものとは思えない。私の知性は理解しているね。それに、こちらを疑った時点で、いくつか洗脳チェックも仕掛けられたようだ。違うかね」

 俺には一言もない。そこまで読まれたのか。

「あなたの頭脳はとっても魅力的よ。洗脳チェックの存在はわかったけど、詳細は掴めなかった。従って、あなたの結論もこちらには見えていない。どうだったの?結論は」

 俺は渋々と言った。

「Noだ。あんたらは洗脳されてはいない。俺の知らない薬物とか手法があれば別だが、そんなことはなかなかあり得ないしな」
「それでは、話を聞いてくれるね。我々は君の頭脳を、我々の組織に欲しい。報酬は大きいが、莫大というほどではない。そんなことより、君には、研究のための便宜が、倫理的に見て問題のない限り、最大限にはかられることになるだろう。もちろん、これも無限ではないが、現在よりははるかに高い自由度がある」

「言われてすぐに納得は出来ないでしょう。とりあえず、回答を保留して、しばらくの間、私たちと交流して、決断のための時間を取ることもできるけど」

 俺はもう、全面降伏していた。

「時間の無駄だな。あんたたちを見ていれば、おかしな裏がないことはわかる。騙しがあって、黙っているような玉じゃなさそうだしな。雇い主に対する忠誠心みたいなものもない。あるのは純粋な知的興味と知的満足だけだ。一種の化け物だな」

「わかっているんでしょう。あなたと同じなのよ、私たちは」

 そして俺は、自分の理論を抱えて、所属することになった。国家が運営している、この組織に。俺は道を誤っていないはずなのだが、ここに所属してから、俺は時々、お菓子の家の夢を見る。そして、その後は決まって汗びっしょりになって飛び起きる。何か、どこかが間違っているのかもしれないが、俺にはそれが見えない。そして、それを教えてくれる人も、今の俺のそばにはいないのだ。



★ いつか、ある日

 ある日、荷物が届いた。実家からである。開けてみると、立派な蒔絵の箱が入っている。

「ユウのか」

 姉の手紙。ユウが初めて完成させた作品を送ります。どうしても、ズクに送りたいと、ユウが言うのです。まだまだ未熟ですが、それほどひどい出来じゃないと言われたそうです。

 意匠は女性。もちろん、モデルはユウの愛する人。でも、俺にはどうしても寂しそうに見えてしまう。


 そしてまた時間は黙々とその営みを続けて、その時間軸のどこかで俺は少女と出会うことになる。少女の名はキスゲ。あらゆるものに絶望し、何より自分自身を憎み抜いた少女は、やがて自分の足で歩き出す。

 その少女と出会ったことで、俺はそれまでの人生で、色恋に巻き込まれなかった理由を知る。俺は、その少女と、仲間たちと共に歩むために存在していたのだということを。どこか歪な仲間たちは、そこに集うことで、例えようもなく美しい楽土を、現世に作り出すことになる。それは、決して悪いことの起こらないユートピアではなく、人間が人間として生きていける世界である。そしてそれを実現することこそが、俺が、仲間が、この世を生きていくための支えとなるのだ。

 キスゲという花は、人の来ることのない高原で、緑の中に埋もれ、固いつぼみの中に隠れ、強く自分を主張することのない花だ。そしてある時に、その花は開く。鮮やかな黄色の顔を太陽に晒し、自分の生を高らかに歌い上げるのだ。


魔歌 家族の伝承・目次 back end

微量毒素