黄の魔歌 〜打つも果てるも〜 p.1
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黄の魔歌 〜打つも果てるも〜 |
李・青山華 |
【ユカルの独白】 |
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あの男を見てから、ユカルはずっと眩暈のような感覚から抜けられなかった。疑うことを知らない瞳。私がずっと前になくした夢のかけら。私の里、私の神々。力を持って襲いくる、資本主義の群れに押し倒され、轢き潰された、私の夢。あの男は、それを思い出させる。 ユカルは、執務室の灰色の壁に耐えられなくなり、屋上に行った。屋上に行けば、このあたりは森も遠くに見え、目の前には野原が広がっている。野原には小川が流れている。時々、犬を離して遊ばせている人もいる。白衣を来た二人組みが来て、何か探し回っていることもあるし、木陰で憩っている人々も来る。虫取り網を持った子供たちが来て、走り回っていることもある。いつかは、カナリヤの声さえ、聴いたような気がした。カナリヤがこんなところにいるわけはないが、どこかの鳥かごから逃げ出したものが、住みついているのかもしれない。 ユカルは、自然の息吹を感じないと、どうも落ち着けなかったので、屋上に来ることが多かった。しかし、きょうは、空気が凝っているようだ。野原に生えている木々が、輪郭をくっきりとさせて、常よりも力がこもっているようだ。野原の草花さえ、ひとつひとつが見分けられるほどに、色あいを強くしている。自然の中に身を置いたことで、かえってユカルの胸騒ぎは強くなってしまったようだ。遠くの森は、こちらに何かを強いようとしている。空が暗いほど蒼く、ユカルの上に落ちかかってくるような気がして、ユカルはしゃがみこんでしまった。 眩暈が治まった。ユカルは屋上の手すりにつかまって、しゃがみこんでいた。胸が、おかしいほど脈打っている。病気?いや、違う。これは、私自身が求めているものだ。その時、視界に動く影が見えた。子供たちだ。網を、虫取り網ではなく、魚とり用の網を持っている。別の子は、水を入れた採集ケースを持っている。男の子4人に、女の子が2人...いや、違った。もう一人女の子が、草の中から出てきた。どうやら、小川に、何かを採りにきたらしい。少し離れたところに、もうひとつ動く影。道を歩いている。あれは、コジロー。 いやだな。また、おなかが気持ち悪い。内臓が、私の言う事を聞いてくれない。コジローは止まっている。子供たちを見ているのね。笑っている。私、田舎もんだから、視力はいいんだよね。あ、座り込んだ。子供たちは小川の周りで騒いでいる。コジローに気付いた子が手を振ってる。知り合いかな。まさかね。まだここに来て、一週間も経ってないし。でも、何人か、コジローのほうに来て、話をしている。やっぱり知り合いなのかな。あ?悲鳴? ユカルは思わず立ち上がっていた。身体の不調もまったく感じていないし、そのことに気付いてもいない。悲鳴は、子供たちのところからあがっている。誰か、落ちた?小川とは言え、ところどころは深くなっているし、流れの速いところもある。暗渠に入ったら?かけつけようと身を翻した時、その必要のないことがわかった。コジローが走り、小川に飛び込んで、子供を引っぱりあげている。女の子と、男の子だ。泣いている。でも、怪我もなさそう。大丈夫。 コジローは怒っている。そして、女の子を抱きしめた。しばらく抱きしめて、しゃがみこみ、何か話している。今度は、男の子の方を見て頭を小突いている。それから、頭を抱いて、何か言っている。離された男の子は、にーっと笑っている。男の子は、女の子を助けようと飛び込んだのね。今度はみんなに何か言っている。みんな、神妙にうなづいてるわね。なんか注意してるんでしょう。コジローはズボンを摘まんで、気持ち悪そうにしている。みんなの方を振り向いて、あ、小川に飛び込んだ。ばか?ばかねえ。 網を受け取って、何かを取ろうとしている。網を上げて、子供たちに見せている。子供たちは首を振っている。また、探っている。子供たちに見せている。今度は、子供たちが手を出した。コジローは手を出して、取ろうとした子供たちを抑えている。ああ、ケースを持ってこさせて、そこに直接入れようとしている。なんか、すっかりガキ大将の雰囲気。ユカルは、すっかりいい気分になっていた。野原を渡ってくる風を、胸いっぱいに受けて、大きく伸びをした。遠くの森が、近くに見える。なんだ、簡単なことだったんだね。わたしは、コジローが好きになったんだ。 カナリヤの、ピィという鳴き声が聞こえた。周りを見回したが、カナリヤの姿は見えなかった。 |