黒の魔歌 〜序・破・急〜 p.1
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1 | 小糠雨(ペニーレイン) | p.1 |
2 | 食い扶持を稼ぐには |
黒の魔歌 〜序・破・急〜 |
李・青山華 |
★ 小糠雨(ペニーレイン) |
雨が降っている。山に囲まれ、見渡す限り、田んぼが広がっている中の、壁のない、屋根がけの小屋の上に、ぱらぱらと音を立てて、雨粒が落ちている。高さも120cmほどで、人が立っては入れない。普段は材木や、農機具でも置いているのだろうか。今は藁束が積まれている。その中で、藁束に座り、雨宿りをしているのは、コジローとアザミだ。ようやく伸び始めた稲が、心細いほど間を空けて植えられている中に、雨は降りしきっている。 「ふう...」 アザミは大きなため息をついてしまう。降り込められているのに、周りは妙に明るい。春の雨だ。藁の懐かしい匂いが鼻をくすぐる。とてもリラックスしているので、ため息は明るい。まいったな、と言う感じだ。しかし、どこか浮ついたアザミの気分は、隣のコジローを見ると、少し沈んでしまう。目深にかぶったカウボーイハットの下で、コジローの表情は暗く、何かを見据えているようだ。また、妹さんのことを思い出しているに違いない。そして、アザミの思ったとおり、コジローは離れてしまった妹、エミのことを考えていた。 |
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「どうしたんだよ、エミ」 エミは部屋の隅に寝転んで、自分の足の親指をつまんで引っ張り、強度検査をしている。コジローの後ろに母親が立った。暖かい気配。 「エミったらねえ、雨が降らなくて、せっかく買った長靴が履けなくて拗ねてるのよ」 柔らかなため息。エミが拗ねているのを嫌がっているのではなく、どうして傷つけないように説得するかで悩んでいるのだ。 「何とかできないかしら、コジロー」 「まかせといて、かあさん」 コジローは寝転がっているエミの隣にいき、座りこんだ。エミは壁の方を向いて何も言わないが、びんびんにコジローのことを意識しているのがわかる。コジローは微笑み、声をかける。 「エミーリア。いつまでも拗ねてんなよな」 「お、おにいちゃんだってダメだもん」 明らかに動揺している。コジローはくすりと笑った。 「笑うなー」 エミは怒っているが、気恥ずかしさから怒っているようだ。コジローは言った。 「新しい靴を履きたいんだろ」 返事はないが、沈黙が肯定を雄弁に物語っている。コジローは言葉を続けた。 「いいんだよ、いつだって」 エミが、ようやくもぞもぞと動き、コジローの方に視線を半分だけよこした。 「晴れてたって、いいんだよ。いつでも好きな時に履いても。ぜんぜんいけないことじゃないんだ」 エミは身体を起こし、コジローの方に向き直った。 「エミが履きたいときなら、いつでも履いていいんだよ」 「ほんと?」 コジローは頷いた。 「いつでも?エミの好きな時に?」 「その通り。」 エミはコジローの前に立ち上がり、コジローに抱きついてきた。 「いつでも履いていいの?あたしが履きたいときなら?」 「そうだよ。エミーリア王女様。」 エミに思い切りのしかかられて、コジローはエミと一緒に転がった。コジロー、はその時のエミの笑い声をよく覚えている。一人きりでいる時に、よく耳元でしたような気がすることがある。もちろん、幻聴だということは、よくわかっているのだが。 |
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「コジロー!」 コジローは夢を破られ、目をしばたいた。 「......うん?」 アザミが立ち上がり、小屋の外に立って、先を外を指差している。 「晴れたよ。行こう」 コジローは回りを見回した。田の若い稲は、青々と艶めいているが、水面に波紋は広がっていない。 「ああ...」 コットンのつなぎを着たアザミは、つばの広いシンプルな帽子をかぶり、田の面を渡る風を浴びて、思い切り伸びをしている。コジローはすらりと立ち上がり、荷物を持ち上げた。 (あの後) 歩き出しながら、コジローはエミーリアの夢の残滓を追った。 (それなら、おにいちゃんも一緒に来てと言われて、えらい苦労したな。) さんさんと日の照る中、雨合羽を着て、傘をさしてエミーリアと一緒に歩いたことを思い出し、コジローは苦笑いした。 (通り過ぎる人はみな、不思議そうに見ていたが、眉をしかめる人はいなかったな。みんな、おかしそうに見ていた。それが余計恥ずかしかったっけ。) 「陽が出た!」 アザミが叫ぶ。水墨画のように落ち着いていた景色が、みるみる色づいてゆく。雲の切れ間から、光の柱が斜めに地面に突き刺さって、幅を広げてゆく。何かが降臨するような風景の中を、コジローとアザミは歩いていった。 |
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★ 食い扶持を稼ぐには |
コジローとアザミは繁華街の中に立っていた。 「さて、と。とりあえず、食い扶持を稼がにゃならんな。」 「どうする?」 「雇ってくれるところがあるかどうか捜してくる。」 「見つけられるのか?」 「難しいけどな。保証人なしの流れ者だから、まず雇ってくれない」 「どうするの?」 「とにかく回る。中には雇ってくれる店もあるもんさ。条件は最低だけどな」 「まあ、そうだろうね。じゃあ、行ってきて。その間、あたしはこのあたりで例の小物を売ってるから」 「大丈夫か?」 「大丈夫。何かあったら、その辺りの店に泣いて飛び込むから」 「大丈夫そうだな。じゃあ、行ってくる」 「大丈夫?あんまり変な店に雇われんじゃないよ」 コジローは頭を振り、アザミを振り向いた。 「俺は今までこうして来たんだ。経験もある。少しは信用しろ」 「だって、あんたガキだもん。危なっかしくてさ」 「年下に言われたくない台詞だな、それ」 「いいから行きな。いっぱい回んなくちゃいけないんだろ」 「店広げんの、手伝おうか?」 「広げるところから一人のほうが印象いいのさ」 「なんでわかるんだ?」 「なんとなく。でも、僕のそういうのって、ほとんど外れないから」 「ふうん。じゃ、気をつけるんだぞ」 「そっちも」 コジローはアザミに向かって親指を立ててから、歩き出した。アザミは歩きながらあたりを物色し、とある大衆料理店の前で頷いて、中に入っていった。岩のような顔をしたおじさんが、精一杯にこやかに見せようとしている顔で言った。 「いらっしゃいませー」 「あの、食事じゃないんだけど。このお店の外で小物を売りたいんだけど、だめでしょうか」 「そういうのは困るんだよね。何かとトラブルの種になるからさ」 「けっしてご迷惑はおかけしませんから」 店主はじろじろとアザミを上から下まで見た。 「なんでか、うちの前にはよく小物売りが座るんだけどね。面と向かって挨拶をされたのは初めてだね。年は?」 「16です」 店主は渋い顔をした。 「そんな年で露天の物売りかい。まあ、事情は聞かないけど、ちゃんと人生は考えてるんだろうね」 「まだ見えてないけど、考えてます」 「ふうん」 店主はまたじろじろとアザミを見た。 「ま、いいか。店の前で広げてもいいけど、うちは一切関わりなしだからね」 「ありがとうございます!」 認めてしまうと気が楽になったのか、店主はぐっとくだけた様子で話し掛けてきた。 「で、どんなものを売るんだい。やっぱりネックレスとか、髑髏のペンダントとかかい」 「自分で作った人形です。ちっちゃいんだけど」 アザミはバッグの中からケースを取り出し、開けてみせた。店主はいくつか取り出し、眺めた。 「ほう」 それは6センチ位の大きさの人形だ。人形なのだが、中には楽器や日常生活に使う道具みたいなものもある。材料は決まっていない。木もあれば針金もある。革の切れ端のようなものや、藁もある。木に針金で布を留めただけのものや、革の切れ端に顔と手足を縫いつけたようなものもある。子供の人形は、パチンコ球くらいの折り紙の鶴を大事に持っている。素材もテーマもまったくばらばらなのだが、流れる雰囲気はとても暖かい。 「……」 店主はじっと人形を眺めている。はっと気がついて、アザミに謝った。 「いや、すまん。でも、これはなかなかいいな。俺が見てもわかる」 「欲しいのがあればどうぞ。場所代代わりに」 「え?いや、いいよ。でも、この人形じゃ、地べたは可哀想だな。ちょっと待ちな」 店主は店の奥に入り、古い二人掛けのテーブルを引っ張り出してきて、きゅっきゅと拭き出した。 「今使ってないんだ。この上に置きな。椅子も持ってくるから」 「いいよ、そんな。地面にシートを敷くから」 「いいや、人形が可哀想だよ。それに、お客さんによく見えないだろ」 店主は有無を言わせず、店の前にテーブルと椅子を出した。アザミは緋毛氈の布を敷き、その上に人形を並べた。 「これでよし、と」 店主は手をはたきながら店に入ろうとして、ふと足を止めて言った。 「そう言えば、一度聞きたかったんだ。なんでうちの前で店を広げようと思ったんだ?」 アザミはにっこりと笑って言った。 「このお店の前、すごく居心地がいい感じなんだ。あったかい感じ。だから、みんな来ちゃうんだと思う」 「そりゃあ、困ったね。箒でも逆さに立てておくかね」 店主は言いながら店に入っていったが、たぶん、やりはしないだろう。この一角は、そんな店主の人柄が滲み出て、居心地がいいところになっているのだ。アザミは机の横に座って、お客を待った。 |
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