微量毒素

黒の魔歌 〜序・破・急〜 p.2


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★ スナック・ウンディーネ

 コジローは何軒もの店を回っていたが、どこも反応は同じだった。飛び込みで雇ってくれるところが、まずない。雇ってくれそうな様子があっても、コジローがこの街に定住するわけではないと知ると、間違いなく断られた。街によって、よそ者に対する扱いは違っている。この街は、それほどよそ者に対して寛容ではないようだ。

 コジローは、こういう状況には慣れているので、それほど気にはしないが、それでもだんだん気が重くなってくる。今はアザミとの二人旅でもあるので、いつものように諦めて野宿というわけにはいかない。コジローは常にも増して忍耐強く回ったが、いっこうに色よい返事はない。気力を奮い起こして、コジローは小汚い雑居ビルの中、何十軒目かの小さな酒場の入り口をくぐった。まだ時間は早い。

「こんにちは」

「いらっしゃい」

 テーブルを拭いていた、縦より横が長い感じの、ごつい顔の男が声をかけてきた。

「客じゃないです。こちらで雑用の手は足りないかと思ってきました」

「雑用?」

 男はテーブルから離れ、睨め付けてきた。かなりの迫力である。

「手は足りてる、と言いたいが、意外にこれが忙しい」

 男はコジローを上から下までじろじろと見据えた。もう一度、今度は下から上まで眺めてから、顎をしゃくった。

「入り口に立ってられると商売の邪魔だ。とりあえず、入れ。話を聞く」

 男はスナック・ウンディーネに入っていった。コジローは慌てて後を追った。


 男はコジローの顔をじいっと見ている。コジローは男と店のテーブルに差し向かいで座って、面接の真っ最中である。

「俺はヌマジリだ。名前と歳は」

「コジローといいます。21歳です」

 ヌマジリは首を捻ってあらぬ方を向き、しばらく何かを考えているようだったが、コジローに向き直って、指で輪っかを作って見せて言った。

「安いぞ」

 コジローは頭を下げて言った。

「けっこうです。お願いします」

「けっこうですと来たもんだぜ。んで、俺に何か言っとくことはあるか」

「迷惑をかけるようなことはしません。よろしくお願いします」

 ヌマジリはまたコジローの顔をじい・・・っと見た。

「よし決めた」

 ヌマジリはポンと手を叩いて、かえってコジローの方が戸惑うほど、あっさりと言った。

「え...」

「雇う。条件はこっちの言い分。時給400円!安い!それで決め。いやなら止め」

 コジローは深く頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 コジローの様子を見て、男は顎に手をやり、また考え込んだ。

「んー...何か他に希望はあるか?」

「え?...希望...ですか?」

 ヌマジリは苛立たしそうに左手を振りながら言った。

「ほら、色々あるだろ。タバコ支給とか、酒支給とか、住み込み希望とか。宿はあるのか?」

「宿はまだ決めていません。タバコや酒は要りませんが」

 ヌマジリはコジローを見て頷いた。

「そうか...うむ」

 ヌマジリは振り返り、中に声をかけた。

「おーい」

 奥と店を分けている藍染の暖簾をさらりと分けて、細い首の、魅力的なファニーフェイスに、こってりとフェロモンを漂わせている女性が顔を出した。

「はァ〜い、なあにン」

 言葉が丸まっている。

「う、うわ」

 フェロモンの直撃を受け、コジローは思わず驚きを口に出してしまった。

「うちの奥さんだ。名前は小夜子。いい名前だろう」

「うわって何ン?」

「あ、いえ」

 全体は細身で、腰のところが少し膨らんだ、濃い紫のドレスを着ている。丈は膝が隠れるくらいで、胸にはかなり深い切れ込みが入っており、大きく膨らんだ胸のラインが少し見えている。面長の顔で、髪は黒く、上げられて簪のようなもので留められている。そして顔の両側に、くるくるとカールした髪が垂れ下がっており、顔の縁取りのようになっている。口は小さいが、唇は量感を持って存在している。目が細く、瞳はほとんど見えないが、顔全体で表情を伝えてくる。今は、なにか面白いものを見つけたような表情を浮かべている。

「お客様じゃないわねン。何か、ご用事?」

「倉庫の上、今空いてるか」

 ヌマジリは小夜子さんに確認した。小夜子さんは切れ長の目を吊り上げて笑った。

「ええ。空いてるわよン」

 ヌマジリはコジローに指を突きつけて言った。

「貸し宿。1日500円。昼、夕飯付き」

 小夜子さんもよくしなる指をピッとコジロ−に突きつけて言った。

「ただし汚い。風呂・トイレ・水道設備なし」

「あ、でも連れがいるんですが」

 小夜子さんは左の眉をぴくっとさせて言った。

「男?女?」

「女です。まだガキですが」

 コジローが答えると、小夜子さんは右手の人差し指を唇で挟み、眉を中央に寄せ、悩んでいるような表情を見せた。コジローを値踏みするように見つめている。じっとコジローを見つめてから、ころっと表情を変えて言った。

「オッケェよン。二人でも」

 ヌマジリは再びコジローに指を突きつけて言った。

「お二人様、宿賃、1日千円」

「え。でも、そんなにしてもらっちゃ...」

 コジローには、一瞬小夜子の瞳が覗いたように思えた。

「いいのよン。身元がはっきりしない時はねェ、近くにいてもらったほうがこちらも都合がいいのォ。それよりィ、うちの旦那に迷惑かけないでねン」

 小夜子さんはヌマジリさんのために言っているのだ。ならば、コジローも受け入れやすい。

「はい。そういうことなら、よろしくお願いします」

 ヌマジリさんは右手の人差し指を立てて言った。

「飯は明日から。11時と16時。手持ちの金はあるのか」

「はい。大丈夫です」

 小夜子さんはコジローとヌマジリの会話を聞きながら、何か紙に書いている。ヌマジリさんはコジローの顔を見て言った。

「床屋に行くこと。一万円前貸し。返しは天引き」

「でも、」

「ちゃんと働くよな」

「はい...」

 小夜子さんはにっこりと微笑み、両手を前に突き出した。鍵と地図のようなものを持っている。

「はい、これ。きょうから使っていいわよン。これ鍵ねン」

「ありがとうございます」

 コジローは手を出してそれを受け取った。ヌマジリさんが立ち上がりながら言った。

「明日は朝11時にここに来ること。いいな」

「わかりました。よろしくお願いします」

 コジローも立ち上がった。ヌマジリさんが手を差し伸べてきた。コジローも手を出し、がっちりと握手をした。コジローは地図と鍵を持ち、出入り口に向かった。コジローは出入り口で向き直り、頭を下げた。ヌマジリさんは頷き、小夜子さんは右手をひらひらと左右に振って見せた。


 コジローが出て行くと、小夜子はカウンターに向いた。大きく開いた背中が艶っぽい。置いてあるグラスをとり、ウィスキーを注ぐ。いい音をさせて、グラスに琥珀色の液体が流れ込む。向こうを向いたまま、小夜子は言った。

「相変わらず、悪い癖ねン、おせっかい」

 ヌマジリは小夜子の方を見ずに言った。

「家出少年か、若すぎる駆け落ちか」

「そんな感じでもなかったけドねン」

「21だと。19でも危ないところだ。ま、安い給料でこき使ってやる。少しは世間がわかるだろう」

 小夜子は作った水割りをヌマジリに渡した。

「はい、どうぞン」

「仕事前だぞ」

 言いながら、ヌマジリはごくりと飲んだ。小夜子も自分用に作った水割りを舐めながら、言った。

「真面目な子よねン」

 ヌマジリは水割りのグラスを持ったまま、呟くように言った。

「あいつは苦労する、たぶん。真面目な奴は、死ぬまでそうだ」

 小夜子は水割りをちろりと舐めて、ヌマジリに視線を送った。ヌマジリはじっとグラスを見つめている。

「やァッぱり、悪いクセ。私を助けてくれた時と一緒ねン...」


 コジローはアザミを探しながら繁華街を歩いていた。派手な構えの店が続く中、半世紀も前から変わっていないような一角がある。その一角の、食べ物屋の前にアザミは座っていた。それなりに繁盛しているようで、ふたりの少し年のいったおじさんと、アザミは話している。ひとりは人形を受け取り、金を払っていった。コジローは少し離れたところで立ち止まり、その様子を見ていた。

(よかったんだろうか。アザミを故郷から引き離して、こんなところまで連れてきてしまって)

 路上で物売りをしながら、アザミはくつろいでいるように見える。

(ここでは、誰もアザミを特別な目で見ないから、アザミは寛いでいられるんだ。誰かがアザミを妙な目で見たとしても、それは路上で物売りをしているからだ。誰ぞの診断のためじゃない。でも、本当にそれでよかったんだろうか。こいつの両親は、こいつを心配し過ぎるくらいに愛していたのに、自分たちではこの子の心を治せないと思い、俺に託した。俺は、自分の面倒を見るので手一杯なのに、引き受けてしまった。アザミにとって、俺と来ることは、本当に良かったんだろうか)

 その時、アザミはすいと目を上げて、コジローのほうを向いた。笑顔が広がり、手を振ってみせる。その様子は紗を隔てているようで、どこか現実味がない。コジローは手を上げて応え、改めて近づいていった。

「どうだった?」

 アザミはコジローに聞いた。

「ああ。何とか見つかった。激安価格だけどな」

「きょうはどうするの?」

「ああ、倉庫を貸してくれるって。住むことは住めるそうだ。まったく快適ではないそうだけど、屋根はあるから」

「見て来た?」

「いや。とりあえずおまえの様子を見てからと思ってな」

「じゃあ、行ってみよう。本当に住めるかどうか確認しないと」

「そうだな」

「じゃあ、きょうはこれくらいにしとこう。ちょっと待ってて」

「ここ、借りたのか?」

「うん。いいおじさんだよ。テーブルまで貸してくれた」

「ほう。じゃあ、俺もちょっと挨拶しよう」

 アザミについて、コジローも入っていった。店はけっこう繁盛している。

「おじさん」

 鬼瓦のような顔がこちらを向いた。

「あたしの連れ」

「コジローと言います。アザミがお世話になったそうで」

 店主はじろじろとコジローを見た。

「おい、にいちゃん、いつまでもこんなことさせてんなよ」

「そのつもりです」

 鬼瓦は頷き、料理に戻った。

「おじさん。きょうはこれで終わりにしたいんだけど、テーブルをどうしようか」

「明日も来る気か?」

「うん。しばらくお世話になります」

「迷惑なんだよな。世話かけんなよ」

 思わず詫びようとして、一歩前に出たコジローの足を、アザミは思い切り踏んづけた。

「い、痛っ?」

「いいんだよ、これで」

 アザミが小声でコジローを叱った。コジローが顔を上げると、鬼瓦の顔が崩れているのが見えた。笑ったのである。

「今、入れたら迷惑だよね」

「ああ。営業妨害だ」

「どうしよう。始末しといてくれる?」

「明日も来るんじゃ、奥にはしまえん。店を閉めるときに入れておく。店を開けるときに出しておく」

「ありがとう、おじさん。じゃ、お願いします」

 アザミは出て行こうとして、足を止めた。

「そうだ。これをおじさんに渡そうと思ってたんだ。おじさんに合ってると思ってたんだ、見てからずっと」

 アザミは人形を取り出した。小さい松ぼっくりがみっつ結わえられ、松の葉が数本、下に束ねられている。結わえているのは赤い紐。紐の先が輪になり、掛けられるようになっている。

「はい」

 店主は眉を顰めてアザミを見ていたが、渋々手を洗って受け取った。

「いつでも見えるところに掛けておいてね」

 店主は魅入られたように見ている。

「じゃ。明日もよろしく」

 アザミが言うのを聞いて、店主は我に返り、慌てた。

「おい、代金を受け取れ」

「いいよ。これはおじさんのだから。お世話かけるし」

「馬鹿野郎。商売をしてるんなら、ちゃんと商売しろ。たいした稼ぎじゃないんだから、無駄にしちゃいかん。いくらだ」

「いいってば」

「払わせないなら、使わせん」

「しょうがないな。じゃあ、300円いただきます」

「本当にその値段か?」

「僕の人形はみんなその値段だから」

 店主は100円玉を3枚、アザミに渡した。アザミは頭を下げ、ひょいと顔を上げて店主の顔を見ながら言った。

「大事にしてよ。きっとまた一緒になるから」

 店主は頷いた。コジローのほうを見て言った。

「ここにはしばらくいるのかい」

「はい。そのつもりです」

「そうか…」

 店主は今度はアザミを見て言った。

「テーブルは毎日出しておく。出し入れが面倒だからな。使いたければいつでも使え」

「ありがとう。おじさんも、稼ぐんだよ」

「稼がいでか。じゃあな」

「じゃあ、また」

 アザミはすいと出て行った。コジローは店主に頭を下げ、アザミの後をついて行った。店主は目を落とし、アザミの置いていった人形を見た。

「きっとまた一緒、か」

 店主はにっと笑い(たいそうな迫力のある顔だったのだが)、手を洗ってまた料理にかかった。人形はカウンターの内側に立てかけられ、物言わずじっとしていた。


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