微量毒素

緑の魔歌 〜むかし、昔〜 p.1


魔歌 start next


1 野生の夢 p.1
2 ムサシの立場
3 夜に吹く風
4 なんとも洗練されていないそれ
5 ルカは腹を立てている p.2
6 思いっきり、ダイビング
7 いわでもがなのお話
8 それがそうしてそうなった


緑の魔歌 〜むかし、昔〜
李・青山華
★ 野生の夢

たとえば− 雨に濡れそぼり 目だけ光らせている野良猫
たたかい部屋の中で ぬくぬくと過ごす猫

雛を守るために ヘビと戦って傷つく鳥と
鳥かごの中で えさも水も たっぷりもらって生きている鳥

すでにカオスすら読めると豪語する 科学を持つ時代に
運命は分かれ 未だに読むことができない

死んだ子を 舐めて癒そうとするチーターと
油の海で溺れる海鳥と
魚の棲めぬ川と

守られた ヒナたち...


「おい、ムサシ」

「ん?」

「川村の家でな、手乗りインコを飼ってたんだそうだ」

「ああ」

「それがこないだ、えさを忘れてな、そのインコは死んじまったそうだよ」

「ほう」

「自分たちの食事は忘れないくせに。かわいそうなことをするよな」

「...そうかな」

「そうかな?そうかなって、どういうことだよ」

「んー」

「......」

「ある家でな。怪我したスズメを捕まえたんだそうだ。ところがそのスズメは、何をやっても食わないんだ」

「それで」

「スズメは死んだ」

「......」

「スズメは、かわいそうだと思う」

「むー」

「俺はな、カラスやツルが撃たれても、気の毒に思わないが、カナリヤやインコが籠から放されるのはかわいそうだと思う」

「...難しいな」

「とにかく、自由ってな、難しいもんだ」


ムサシ 14歳。

自らを恃み、

何に恥じることなく、
何をも怖れることなく、

「生」を見つめる。
「自由」を見据える。

照りつける 真夏の日のもとで。



★ ムサシの立場

 朝。これからまた1日が始まる。丸々一日、同じ机で、ずっと話を聞き続けることになる。前に立つ者は変わるが、すべて一方向の知識の移植作業である。知識の伝授者からの返答要求もあるが、それは全て移植されるべき知識が、きちんと伝達されたかどうかを確かめるための作業でしかない。結局、ワン・ウェイであることに変わりはない。だが、しかし、その知識を素直に吸収していけるものにとって、ここはそれほど居心地の悪い場所ではない。実社会に出る前の、心地よいモラトリアムの時間。それなりに、花も嵐もあるが、大多数のものにとっては、心地よい、群れの中で守られて過ごせる時間である。ムサシは理解力があったので、教師の受けもよく、ほどほどに安逸な日々を過ごしていくことが出来た。しかし、その平穏は、ある日、教室の扉の開く音とともに打ち壊されることとなった。

「おはようございまーす」

 聞き慣れない声が教室に響き渡った。

「3組のルカでーす。本日ははるばる隣組まで挨拶にまいりました!」

 女子は顔を知っている者もいるらしく、言葉を返している。

「なによぉ、ルカ。朝っぱらからお賑やかな」

「おす」

「おはよー」

 クラスの中でも一目置かれている、それなりに癖のある女性陣は、みな顔見知りのようである。ムサシは、特に興味はなかった。モラトリアムの中で渦巻く、学生なりの思いに耽りながら、ぼーっと聞き流していると、言葉が直接、ムサシに向かって放たれた。

「あっ、いたいた」

 なぜか、この言葉が直接ムサシの耳朶を打ったのだ。顔を向けると、昨日悠久山で会った女の子がこちらに向かって両手を振っている。混乱した思いの中で、ムサシは片手を上げて応えた。

「ムサシさま、おはよ〜」

 クラスは低くどよめいた。ムサシさま?頭の中が混乱しきっているムサシに、このどよめきを沈められるはずもなく、ただひたすら冷や汗をかいているしかなかった。


 昼休み、ルカはムサシと屋上に行った。

「それで、休みの日はいつもあそこで鍛錬しているんだ」

 前に回ったルカは、くるりと回って上目遣いにムサシを見ながら、悪戯っぽく笑う。

「いつ頃から?」

「子供の頃からずっとだな」

 ルカは今度は目を伏せ、どことも知れないところを眺めながら言う。

「ふーん...」

 ルカは手すりにつかまり、はるか下界を見下ろす。

「あ、ムサシさま」

「あぁ?」

 ルカは何かを見つけたらしく、ムサシを手招きする。ムサシが並ぶと、ルカは校庭にいる一人を指さして言う。

「あの人。イガくんって言うんだけど、やっぱり修行みたいなことしてるの。うちのクラスで有名なのよ」

「ああ、名前は聞いたことがあるな」

「そのうち、ムサシさまに紹介するわね」

 喋るルカは屈託がない。ムサシは息を吸い込んで、構えた。

「おい」

 ムサシの言葉の固さに気付いたのか、気付いていないのか、ルカはあどけない表情で振り向いた。

「え?」

「そのムサシさま、っての、やめてくれないか」

「あら」

 ルカは何かを考えているかのようだ。

「ムサシさまって呼び方はいや?」

「なんか変だよ。やっぱり」

 これだけ言うだけでも、ムサシはかなりの力を使っていた。

「他の連中みたいに、ムサシと呼んでくれた方がいい。けっこう、負担になる」

「そう」

 ルカは下を向いて応える。さっきまでの明るさが嘘のように、静けさが降りてくる。

「じゃ、やめるわ」

 ルカは宣言するように言う。目はあげようとしない。静かに、静かに。ルカは軽くスキップをして、ムサシから離れる。そして、立ち止まり、言う。

「やめるわね」

 ルカはそう言ったが、ムサシは返す言葉を持たない。何か、とんでもないしくじりをしたような気がして、ムサシは黙っていた。



★ 夜に吹く風

 窓の外では、風が吹き荒れている。吹き荒れる風の音を聞きながら、ムサシは考えをまとめあぐねている。教科書を開いたまま、ムサシは考えを追い続けている。

《あのルカの眼。何かを思い出しそうな気にさせる。そうだ。ルカと話していると、忘れている何かを思い出しそうになる》

 ルカは先に立ち、ムサシを招いている。

《だいたい、初めて会った気がしなかったんだ。だから、あんなにすぐ友だちになって》

 ルカは笑っている。

《でも、俺はルカの何を知っている?ルカは俺の何を知っている?》

 ムサシは、鉛筆をもてあそんでいる。

《何も知らない。俺もルカも。だとすれば、俺はルカと友達ではいられない》

 ムサシは立ち上がり、カーテンを開けた。外はもう夜だが、部屋の明かりを受けて、木々が風に煽られているのが見える。

《あいつのことをよく知らないのに、友だちとして付き合っていくなんて。そんないい加減なことは出来ない》

 ムサシはじっと外の、荒れ狂う木々を眺めている。風に狂う木々の踊りを見ながら、ムサシの眼にはルカが映っている。吹き荒れる風の中、ルカの声が何かを訴えている。俺にはわからない。俺には聞き取れない。

 ムサシは闇の中、風の中を睨みながら、自分の考えを決めかねていた。



★ なんとも洗練されていないそれ

 次の日の朝も、ルカは2組の扉を開けた。

「おはようございまーす」

 ルカが言った途端、ムサシが向こうを向くのが見えた。ルカはきょとんとした。久美の口上を上の空で聞き流しながら、ルカはムサシの方を見ていた。ムサシは決してこちらを見ない。見ないのだが、ものすごく肩に力が入っている。ルカは、ムサシの方に近づいた。

「ムサシさま?」

「その呼び方はやめてくれないかな」

 妙に固い声でムサシは言った。ルカのほうを向こうともしない。

「ああ、ごめん」

 ルカは言ったが、ムサシのおかしな様子に気を取られていた。ルカは、ムサシを見ながら、机の横に行った。するとムサシは、不自然に反対側に顔をやった。ルカが前に回ると、ムサシはさらに顔を背ける。見ていた久美は、思わずぷっと吹いた。

「何やってんの、あんたら」

 しかし、ムサシとルカは大真面目だった。ルカがさらに回り込むと、ムサシはそれ以上身体を捻ることが出来なくなり、しばらくぴくぴくしていた後、立ち上がって、教室の外に出て行った。ルカは眉間に皺を寄せて、出てゆくムサシを見送った。久美が立ち上がり、ルカのところに行き、ルカの眉間を指でさすりながら言った。

「これこれ、乙女よ。そんなところに皺を寄せていると、定着してしまうよ」

ルカは腕を組んで言った。

「ねえ、あれ、何だと思う?」

「新しいネタじゃないのかね。けっこう壺にはまったぞ」

「いや、どうもネタっぽくなかった」

「そうか。そうするとけっこう判断が難しいな。ルカに対する拒否と取れないこともないが、あまりにも見え見え過ぎて、逆にそうとるのが難しい」

「そうだよね。やっぱり拒否系の行動だよね」

 ルカは腕を組んで、しばらく考えていたが、始業のチャイムが鳴ったので、自分のクラスに戻っていった。入れ替わりにムサシも戻ってきた。久美は首を振り、自分の席についた。その後、さりげなくムサシの様子を窺っていたが、ルカが関係しない限り、特にいつもと違う様子は見せなかった。


 昼休みになり、食事を終えたルカが2組に来ると、ムサシの姿はもう見えなかった。きょろきょろしていると、女の子が教えてくれた。

「屋上に行ったみたいだよ」

 ルカは礼を行って屋上に行ってみたが、ムサシの姿は見えなかった。しかたなく、屋上から校庭を見下ろして、サッカーをしている子や、バレーボールを打ち上げあっている子達を眺めていた。

「やっぱり、避けられてるよな」

 ルカは呟いた。初夏の風がルカの髪をなびかせる。毛先が頬をくすぐるに任せて、ルカはしばらく翻るポプラの葉を眺めていた。この季節、ポプラは風に翻り、日の光を反射して、さも賑やかに踊るのだ。

「嫌われたかな……」

 ルカは少し沈んでいた。今の様子だと、間違いなくムサシは思い出していない。あの日のことを。


 見下ろすと、滝壺ははるか下。

「…すごい!」

 ムサシは頭をタオルでごしごしと擦っている。ルーはムサシにぶらぶらと近づきながら、感心したように呟いた。

「こんなに、たかいところから」

 ルーはムサシに尋ねた。

「なー、ムサシさま」

「なんだよ」

 ルーはムサシに纏わりつきながら言った。

「あんなところまで飛ぶの、こわくないか?」

 ムサシはルーを押しのけながら言った。

「くっつくな。こわくなんかない」

「ほんとか?」

 ムサシはちょっと躊躇したが、言った。

「ほんとだ」

「そーかー。すごいなー、ムサシさまは」

 ルーはしきりに感心しながら、集合場所の方に戻り始めた。歩きながらも、うーん、すごい!とか、さすがー、とか言っている。ムサシはルーに底抜けに誉められて、居心地が悪くなったらしい。ムサシは、ルーに追いついて、頭を押さえて引き寄せた。

「あのな」

「?」

 きょとんとしているルーの耳に、ムサシは咳払いをして、こっそりと囁いた。

「ほんとはすこし。こわい」

 ルカは、むかし昔のことを昨日のことのように脳裏に蘇らせ、くすりと笑った。子供って、本当に正直なのよね。必要以上に褒められても訂正してしまうのだ。別にいいのに。ルカはムサシが、この記憶を蘇らせて欲しいと思っていた。そうでなければ、ルカとムサシの間に、ほかの人とは違う、特別な絆がないことになってしまうから。ルカはムサシのそばで、ムサシがこれを思い出してくれるまで、旗を振ったりヒントを出したりしていたかったのだが、どうやらムサシにはうっとうしかったようだ。

「ちぇっ」

 ルカは小さな声で呟いた。美しい初夏の午後が広がっている中、ルカは少しブルーだった。


 ムサシは、その時、屋上の出入り口の、さらに上に登っていた。もちろん、普段登るような場所ではないので、梯子も何もない。飛び上がって、端を掴み、身体を引き上げて登るしかないのだ。登るのはもちろん禁止されている。上には給水タンクが設置されているが、瞑想に耽るには十分な場所がある。ムサシは、今はルカと顔を合わせたくなかった。やはり、まだムサシの中では、ルカに対してちゃんとした方針が出来ているわけではないらしい。

 いろいろ考えているうちに、午後の授業開始のチャイムが鳴った。ムサシは体を起こし、避難場所から顔を出した。もう誰もいない。ムサシは、屋上に飛び降り、教室に向かった。


 授業が終わり、ルカは急いで2組の教室に向かったが、ムサシはもう帰った後だった。

「あんにゃろ…」

 ルカは唇を噛んだが、ふと見慣れた顔もいないのに気がついた。

「あれ。久美?」

 いつもは何か面白いことがないかと、最後まで残っている久美の姿が見えない。オソノが残っていたので訊いてみた。

「ねえ、久美は?」

「ああ、それそれ。今日はなんだか、慌てて帰って行ったよ。久美らしくないんで、また何かやらかそうとしてるのかなって噂してたんだけど」

「あわてて…」

 まあ、それぞれみんな用事を抱えてるんだろうけど。ルカは思ったが、何となく引っかかりを感じた。久美がいつもと違う行動をしたんなら、何かやらかさないわけはないんだけど、いったい何をしようとしてるんだろう?


「はろー。ムサシどの」

 声をかけられ、ムサシが振り向くと、久美が立っていた。

「少し、お話してよろしいですかー?」

「いえ、興味ありませんので」

 ムサシがパススルーしようとすると、久美は行く手を遮った。

「お待ち。別に宗教の勧誘をしようってんじゃないから」

「宗教のほうがまだましな気配も感じるんですが」

「鋭いわね。もっとずっと鈍いと思ってたわ」

 クラス一の奇人に、思い当たる用事もなく呼び止められたら、誰だってそう感じるわい、とムサシは心の中で思ったが、賢明にも心の中に留めた。

「よく言われます。で、何ですか」

「ちょっと、そこの公園まで付き合って」

 ムサシは警戒しているそぶりを見せた。久美は笑って言った。

「女難の真っ只中にあるあんたに、さらに重荷を背負わそうなんて考えちゃいないよ。今抱えてる女難をかるくしてあげられるかな、と思って」

「…ルカさんのことですか」

 ムサシはいよいよ警戒している。

「驚くことに、あたしとルカは幼稚園時代のクラスメートなのよ。それで、少しだけお話をお聞きしたいの」

「本人以外に話したいとは思いません。あなたにあるのが善意であれ、悪意であれ、人を通して本人の事を聞くのは好きませんので」

「言うねえ。でも、時にはそれが重要なときもあるんじゃないの?」

「それは、そうです。でも、それを訊く必要がないときもありますので」

「今がそうだって言うの?」

 ムサシは頷いた。久美は少し考えた。

「なるほど。じゃあ、ちゃんと何らかの答えを出してね。私はルカの友人Aだからね。いい加減な行動をしたら、そのときは覚悟をしてね」

「あなたに覚悟させられる謂れはない。私はルカに対してだけ、責任を負います」

「了解。じゃあ、いいわ。引き止めてごめん」

 久美は道を開けた。ムサシは一礼し、通り過ぎた。久美は歩いていくムサシをしばらく見送った。(んー、なかなかしっかりした考えを持ってるわ。さすが、ルカが見初めただけのことはある。どうも、謎の記憶とも関係がある見たいだし。まあ、二人ともしっかりした考えを持っているから、変に動かなくても納まるところに納まるだろう。じゃ、今回は見物に回るか)久美は考えながら踵を返し、自宅に向かって歩き出した。その一本北の道を、ルカがムサシの自宅に向かって歩いていた。


 ルカはムサシの家の表札を確認し、インタホンのボタンを押した。けっこう立派な門構えの家である。

「はい?」

「あの、私、ルカと申します。学校で、ムサシさんにお世話になっております。ムサシさんはご在宅でしょうか」

「こちらこそお世話になっております。ムサシですね。ちょっとお待ちください」

 ルカは吐息をついて、門の前で待った。さすがに緊張している。今のがおかあさんかしら。落ち着いた感じの人。ムサシさまの雰囲気に似ているかも。玄関の引き戸が開き、ムサシが出てきた。敷石の上を、滑るように歩いてくる。ムサシは門を開けた。

「ルカさん」

 身構えてくる気配が伝わってくる。懸念と、微かな拒否。

「こんばんは。ちょっとお訊きしたいことがあったので。学校では会えなかったものだから」

 ルカは少し皮肉を利かせた。

「あがりますか?」

「いえ、こんな時間に失礼だから。二つくらいだから、ここで答えて。一つ目。私が付き纏うと迷惑?」

 ルカのストレートな言い方に、ムサシは少したじろいだが、考えて、答えを返した。

「そういうわけじゃない。けど、学校であんなふうに話しかけられると、みんなにもいろいろ言われるし、迷惑なんだ」

「二つ目。ムサシさまって言われるのは、嫌?」

「…やっぱり、おかしいと思う。普通に呼んでくれたほうがいい」

「わかった。ムサシさまって言うのもやめるし、学校で話しかけるのもやめる」

 ルカはきっぱりと言った。ムサシはルカが泣くのではないかと思ったが、ルカの目は強く輝いて、ムサシを見返している。

「ルカさん?」

「ありがとう。じゃあ、また」

 ルカは頭を下げ、ムサシの家を辞去した。ムサシは、ルカのきびきびした足取りを見守っている。ルカは、ムサシが見送っていることなど、気づきもしなかった。ルカの胸の中では、たくさんの感情が渦巻いていたからである。とりあえず整理はつかないが、ほとんどの感情の行き先は決まった。夕暮れの近づいた街並みを、ルカは家に向かって歩いて行った。夕餉の近い街並みは、暖かくざわめいていた。


 次の日から、ルカはぷっつりと2組を訪れるのを止めた。ムサシは、時々席から振り返ってみている久美のもの問いたげな視線も無視していた。もっとも、無視できているつもりでいたのは本人だけで、久美から見れば、意識しているのが面白いくらいわかりやすかった。視線を向けると途端にそわそわし、それまでやっていたこととは無関係に意味もなく机の中を覗いたり、筆箱を開けて中を確認したり、必死で教科書に読み耽っているふりをしたりしているのだ。

「だから、同い年の男って」

 久美はムサシの幼さを、あきれてみていた。

「それにしても、ねえ」

 よしんば何かがあったとしても、ルカがこうも簡単に身を引くとは思えない。絶対に何か考えているな。久美はそう思い、わくわくしていた。ルカはいったいいつ仕掛けるのだろう?


 ルカの行動は徹底していた。クラスが違うからそんなに会うことはないが、偶然行き会うと、友達がいればその陰に隠れ、友達がいなければ、顔を伏せて、廊下の端に寄って、距離を置いてすれ違った。ムサシが目を合わせようとしても、顔を伏せているので、合わせようがない。ムサシは申し開きをしたかったのだが、ルカは全身でそれを拒否していた。

「まあ、しかたないな」

 ムサシは自分のとった行動から、こういう事態を引き起こしたということは十分に認識している。ただ、ルカの心が傷ついているとしたら、ムサシが自分の考えを説明することで、それを和らげられるのではないかと思ったのだ。しかし、そんな気持ちも、ルカにとってはかえってつらいのかもしれない。ムサシの心は千々に乱れたが、とりあえずは現状維持をすることにした。

「ルカさんには悪いけど、このまま自然消滅してくれるのが一番いいのかもしれない」

いずれ、時が解決してくれるだろう。ムサシはそう考えていた。


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