微量毒素

白の魔歌 〜大学祭〜 p.1


魔歌 大学祭・目次 start next

1 学園祭、始動する p.1
2 実行委員会へのお誘い

★ 学園祭、始動する。

 6月。梅雨の雨が降り続ける中、エリカの通っている大学の学生食堂の上にある大きな踊り場の際に立ち、2人の学生が広いパティオを見下ろしていた。赤いかさと緑のかさ。もちろん雨の降る中、露天の踊り場に出ている学生はほかに一人もいない。

「そろそろシーズンね。アリサ」

「いよいよ私たちがすべての舵取りを出来る機会がきたわ。ま、楽な仕事じゃぜんぜんないけどね。クレハ、どこから手をつける?」

「ま、とりあえずもっとブレインが必要ね。どうやっても人手が足りないわ。何かいい考えでもある?」

「もちろんマン・ハンティングよ。いつも通り、ね」

「目の覚めるような素敵なアイデア...ってわけでもないわね。で、どうする?」

「とりあえず、サークル長とキーパーソンから何人か引き抜いて手伝ってもらいましょ。わたしが目をつけた人のリストはこれ。明日から当たってみましょう」

「仕事が早いわ、相変わらず。了解しました」

 アリサとクレハは降りしきる雨の中、見るともなく二人がこれから戦場とする母校を眺めていた。アリサの瞳には強い意志がこめられ、それを見守るクレハは慈愛に満ちた目でアリサを見つめた。アリサがクレハに強い眼差しを向けた。クレハは目に力を込め、頷いた。アリサは手を伸ばす。クレハはその手を受け、握りしめた。きょうこの日、大学祭実行委員会は実質的なスタートを切った。


 アリサは、現自治会長である。クレハは、そのブレインとして、陰に日向にアリサをサポートしてきていた。

 高校のとき、生徒会長だったアリサは、副会長だったクレハといっしょに、形骸化した文化祭に飽き足らず、文化祭の生徒の主導による開催を目指した。学校側との交渉を重ね、生徒側にも働きかけ、全員が参加したくなるようなものにしようと、企画を進めた。しかし、生徒側にまだ自立して文化祭を立ち上げるだけの自覚がなく、学校側も多くの制限を設定してきたため、例年よりはるかに充実したものにはなったが、アリサとしては、十分な満足感を得ることが出来なかった。

 その時のリターン・マッチとして、アリサは大学の一年目から自治会に所属した。既メンバーの現状維持思考と事なかれ主義に吐き気を覚えながらも、着実に仕事をこなし、自治会の中に自分の存在を強く印象付けることに成功した。さいわい、クレハも同じ大学に入り、自治会に参加してくれていたので、いっそううまくことを進めることが出来た。

 自治会活動を通し、学校側にも、自らの行動に対する責任意識と、地に足のついた企画力、さらに実施に当たって、障害を克服していけるだけの実行力を強く印象付けるようにしていった。そのため、何人か、アリサを強く買ってくれる教授も現れ、2年生になって、自治会長となった時は、学校側がアリサに、かなり自由度の高い権限を認めてくれるようになった。

 学校側の支持を取りつけるためにした行動は、反面、学生側に、アリサの活動に対し、面白くない感想を持つ者をたくさん作ってしまった。特に、それなりの指導力を持った、サークルのリーダークラスに、敵対者を増やしてしまったのは、アリサの誤算だった。クレハが持ち前の対人折衝能力で、各人と個別につながりを保っているため、かろうじて分解は避けられているが、この状況では、アリサの望む、全学一致の大学祭など望むべくもない。

 大学祭は11月の初め。今から動いたとして、実質5ヵ月もない。それまでに、学校全体を動かしていかなれければ、ならないのだ。これだけの規模のイベントを、根本から変えていくためには、短大の2年間は、あまりに短すぎる。しかし、アリサはやるつもりだった。自分ひとりではとうてい無理だが、クレハがいてくれる。高校と違って、大学は、学生一人一人が自分のやりたいことを持って、集まってきている集合体だ。それぞれが、自分のやりたいことを最大限に発揮していくことで、大学祭を成功に導けるなら、誰もが協力してもいい気持ちになってくるはず。アリサは、大学祭を成功に導けると思っていた。


「そうそう、そのリストには入れてないんだけど、もうひとり...」

「なあに?」

「あのこなら、何かやってくれそうだわ...」

 アリサは傘をくるくる回した。

「こらっ、しぶきが飛ぶわい!」

 クレハの言葉を聞き、アリサは静かにクレハの方を見た。

「...あら。いい女。」

「な、なにぃ?...そうかな。やっぱり、わかるかな。」

 服の裾を引っ張ったり、髪を整えたりしているクレハを眺め、アリサはまた物思いに沈み、傘をくるくると回した。

「だから、しぶきが飛ぶって!」

 クレハの声を聞き流しながら、アリサは静謐な佇まいを見せている、母校を眺めた。数ヵ月後には、ここが今までにない、意思と喜びに満ちた楽園になるはずなのだ。それが、アリサのささやかな望みだった。



★ 実行委員会へのお誘い。

 大学の構内を、次の講義のために移動している時に、エリカは声をかけられた。

「エリカさん?お願いがあるんですけど、少し話を聞いていただけませんか?」

「何でしょうか。」

 エリカは相手に向き直って言った。話しかけてきた女性ではない方が、いきなり言った。

「私たちと一緒に大学祭の実行委員をやっていただきたいの。」

「大学祭の実行委員...ですか。」

 エリカは突然の依頼に戸惑った。最初に声をかけてきた女性が、もう一人をたしなめるような仕草をして、エリカに向き直った。

「いきなり、ごめんなさい。私はクレハ。こちらはアリサ。今、自治会をやってます。それで、大学祭を成功させるために、協力してくれる人を捜しているところなの。まあ、かなりきつくて大変だけど、おもしろい仕事よ。やりがい、なんてのがけっこうあると思うんだけど、手伝ってもらえないかしら。」

「ごめんなさい。できません。」

「返しが早いわね。なんで?」

「大学祭に興味がないんです。」

「そりゃ、あなた...」

 説得しようと口を開くクレハを制して、アリサが言った。

「いえ、いいの。ごめんね。でも、もし気が変わったら、声をかけて。たいてい自治会室にいるから。」

 エリカは会釈をして、歩いていった。

「いいの?あんなに簡単に諦めちゃって。」

「いいの。」

「何であの子を?」

「最近、目につくのよ。何か、しでかしてくれそうだったんだけどな。こっちを大混乱に陥れるような、ね。でも、嫌々やってもらうんじゃ、たいして面白くなりそうもないから、いいの。他の人に当ってみましょ。」

 エリカの行ったほうをちらりと見て、アリサはクレハを促し、別の方向に歩いていった。


「やれよ。やってみた方がいいって。ぜったい、面白くなるから」

 エリカはイガと喫茶店で話をしていた。学園祭のスタッフを断ったことを話したら、イガはすっかり面白がり、参加するように勧めてきた。

「私向きじゃないよ。」

「いんや、違うね。誘ってきた人たちは、前からの知り合いってわけじゃないんだろ。」

「うん。顔を見かけたことがあるくらい。初めて話しかけられた。」

「だったら、そいつらは、あんたの中に、何か面白い物があると思ったんだろ。そうでなきゃ、誘ったりしないぜ。」

「単なる人数集めかもしれない。」

「学園祭なんてものを実現まで引っ張っていくのに、やる気のない頭数なんて集めても、意思決定の邪魔になるだけだよ。そいつらがまともな頭を持っているんなら、小数精鋭で、実行部隊はその後集めるような形をとるさ。バカそうだった?そいつら。」

「いいえ。怖いくらいの感じだった。」

「だったら、参加してみるべきだね。そいつらが、あんたの中にどんなものを見つけたのか、知りたくない?」

「でも、私が嫌だって言ったら、すぐに引いたんだぞ。」

「だったら、なおさら。やる気のある人間だけを集めてるってことだろ。頭数集めだったら、それでもいいから参加して欲しがるだろうさ。」

 エリカは考え込んだ。確かにイガの言うとおりかもしれない。でも...

「でも、大変そうだよね...」

「大変でなきゃ、面白くはならないって。きつくなりすぎるようだったらヘルプかますよ。やってみろよ。」

「もし委員になったら、おまえと会う時間はぐーんと減るよ。」

「ああ、それは致命的な問題だな...それでも、参加するべきだね。あんたにとっては、ぜったいにいいことだから。」

「うーん...」

 エリカは腕を組み、さらに足を組んだ。その大胆な足さばきに、イガは思わず息を呑んだが、熟練の技は、不用意にイガに幸いをもたらすことはなかった。幸いな事に、エリカは真剣に考えに耽っていたので、イガがおたおたしている様子に気付いている様子はなかった。

 エリカが自分の考えに耽っているのをいいことに、イガはエリカの全身をたっぷりと鑑賞する機会に恵まれた。大雑把にまとめられ、白い顔を縁取る黒い髪はつややかに、躍動感を見せている。身体を包む薄茶色のニットは、適度にフィットし、魅力的なラインをほのかに主張している。黒い皮のミニスカートからは、茶色のタイツに包まれた足がすんなりと伸びている。こげ茶色のブーツが、その先の足を引き締める。

 イガは、暇つぶしにエリカの容姿の欠点をあげつらってみた。驚くべき事に、欠点は124も見つかった。そして、そのどれもが、実は遠回しの賛辞につながるものである、ということにイガは気付き、再び驚嘆した。

 イガが恋するものの喜びに浸っていると、エリカが姿勢を崩さないまま、呼びかけた。

「あんまり、じろじろと見るな。気持ち悪い。」

 ざっくりと傷ついたイガが、抗議をしようとすると、エリカは組んでいた足をほどいた。息を呑むイガの前に、やはり神秘の光明がもたらされることはなかった。このような技術に長けている女性は、反省すべきである、とイガが心の中で雄叫びをあげていると、エリカは顔を近づけてきて言った。

「ちょっとだけ、サービスをしたんだ。」

 イガが、サービスになっていない旨を訴えると、エリカは嫣然と微笑んで言った。

「イガ、おまえは私の脚を見るだけでは不満なのか?」

 イガはこたえる言葉もなく、たそがれた。それから、気を取り直し、訊いた。

「何のためのサービスだい。」

「自己犠牲の精神に対しての。ありがとう、イガ。私、学園祭実行委員会に参加してみるよ。」


 エリカは自治会室のドアを開けた。室内はきっちりと整理されているが、花瓶に季節の花が活けてある。書類棚の上には、ぬいぐるみが並んでいる。女性らしい心遣いが感じられる部屋だ。中の机の一つに、クレハが座って、何か書き物をしていた。

「こんにちは...」

 エリカが挨拶すると、すぐに言葉をかけてきた。

「こんにちは。この前、アリサが声をかけた人ね?」

「こんにちは。そうです。」

「参加してくれる気になったの?」

「はい。お手伝いさせてください。」

「うれしいわあ。ようこそ。お名前は、何て言いましたっけ?」

「エリカです。」

「私はクレハ。まだ、それほど忙しくはないんだけどね、これからが大変なのよ。あなたの手助けを期待してるから。よろしくね。」

 クレハは立ち上がり、手を伸ばしてきた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 エリカも近寄り、握手をした。

「きょうは、アリサは先生の間を回ってるわ。やっぱり、学園祭の根回しでね。先生相手だと、一人で行ったほうがいいんだって。一人で、一所懸命やっている風情が感じられるからだそうよ。ほんとかどうか、わからないけど。」

「あの人は...」

 エリカは言い澱んだ。

「なに?気にせず言って。」

「あの人は何で私を選んだんでしょう。」

 クレハは肩をそびやかした。

「そういう哲学的命題には、私は答えられないわ。当っても外れても、本人に失礼だから。本人に聞いてみなさい。本人が自分でもわかっていて、あなたに言ってもいいと思っていたら、教えてくれるでしょう。」

 エリカは不得要領な顔で頷いた。クレハは鮮やかな緑色のシステム手帳を広げ、確認してから言った。

「今月の17日に、第一回の学園祭実行委員会をやるの。差し支えがなければ、参加して。はじめから聞いておいてもらった方がいいから、ほんとうは、差支えがあっても参加して欲しいんだけど。」

「もちろん、参加します。私がそう決めたんですから。」

「時間は16時から。場所は、第3大講義室。とりあえず、サークル長や、参加を表明しているサークルを全員集めてぶちあげるんで、大人数になるの。」

「わかりました。事前にやっておくことは?」

 クレハは、いたずらっぽく微笑んで言った。

「身辺整理をしておいて。実行委員会が動き出したら、家族とも彼氏とも会えなくなるわよ。ま、半分は冗談だけど。」

「わかりました。それじゃあ、17日に。ありがとうございました。」

「それはこっちのセリフよ。待ってるわ。よろしくね。」


 英語の講義が始まる前に、アユミがエリカに話しかけてきた。

「エリカ、あんた、学園祭実行委員を引き受けたんだって?信じらんない。」

「イガさんに説得されちゃってね...」

「ほぉーう。やっぱり、あいつはただもんじゃないわね。けっこう、けっこう。でも、委員の仕事はたぶんめちゃくちゃきついわよ。あんたが思ってるより、ずっと、ずーっとね。大変だと思うよ。頑張りな。」

「ありがと。やってみる。」

 時鈴がなり、教授が講義室に入ってきた。授業が始まったが、エリカはともすれば、自分に参加を勧めたときの、イガのことを考えてしまっていた。今までのように、『単なる友だち』と言い切ることのできない何かが、そこに表われてきているような気がして。それは、本当に微妙な差なのだが、その差が埋まる事によって、あらゆるものが突然にまったく様相を変えてしまいそうな気がして、エリカに不安をもたらしていた。しかし、同時にその狭間には、抵抗し難いような魅力があるようにも思えて、エリカの心を揺らしていた。


魔歌 大学祭・目次 start next

home