白の魔歌 〜地吹雪〜 p.17
魔歌 |
end |
コウガが若い男に歩み寄ってゆく。やっぱり、あの男なんだ、新しいお仲間は。なんか、危ないね。こっちが見えてんのかしら。完全にあっち側に行っちゃってるみたいに見えるんだけど。でも、あのナイフを受け止められるとは思わなかったわ。役に立たないようなら、殺してもいいつもりで投げたんだけど。イデオ・サヴァンかな。 コウガがこっちを見て喋ってる。あまり、見たくないな。私、精神病者は大嫌い。兄を思い出すから。おしまいの頃、私の横にいるのに、そこにいなかった兄。どこに行っちゃったのか知らないけど、完全にいなくなってた。それとも、それでもそこにいたのかしら?私が見失ってただけなのかしら?ああ、嫌。だから、精神病者は嫌い。思い出したくないことを思い出させるものは、ぜんぶ大嫌い。ほんとは、私も兄の行ってしまった所に、一緒に行きたかったのに。置いていった兄が嫌い。置いて行かせた精神病が嫌い。精神病にまで追い込んだ、会社の人間が嫌い。あんな会社を作る日本人が嫌い。そして、兄と一緒に行けなかった自分が、ほんとうに、だいっきらい。 「ユカル。どうやら落ち着いた。こちらがコジロー。たぶん、我々と一緒に行動することになる。」 「ユカルさん?あのナイフは怖かったぜ。完全に殺すつもりで投げたろ。」 あれ?なんかまともね。でも、いや。顔を見たら、いろいろなこと、兄のことを思い出しそう。 「ユカル。顔を覚えろ。今後に差し支える。」 コウガが怒ってる?私が無視しているから。コウガは嫌いじゃない。おせっかいだけど、いつも相手のことを真面目に考えている。我慢しよう。大丈夫。私は子供じゃない。もう、あちら側との境に落ち込んだりはしない。ウサミさんが言ってくれた。私はもう大丈夫だって。なら、私は見なくちゃいけない。誰をでも、何をでも。 「すごい美人だね。怖いけど。あんた、ハイブリッド種かな?そんな感じだけど。」 「ハイブリッドじゃない。純粋種。」 「純粋種でその美貌なら、本物だ。」 「でも、田舎もんだぞ。」 「それはわかる。目がきれいだ。」 「そういうもんなのか?」 「俺の知ってる田舎もんはみんなそうだ。そんで、俺の知ってる都会もんは、みんな目に陰がある。あんたは都会もんだろ。」 「その通り。しかし、あっていきなりこの会話か。ユカルのときも驚いたが。」 「驚いてたの?コウガ。」 つい、口が出た。だって、あの時コウガはとても落ち着いていて、あらかじめ、すべてを知っているように見えたから。驚きなんて、毛筋ほども感じられなかったから。 「ぜんぜん、わからなかった。私の勘が鈍ってるのかしら?そういう感情の動きを見落とすと、命取りになるのに...」 「たぶん、おれは特別なんだろう。前にも、そう言われたことがある。俺の感情を制御する力は、普通とは違うんだとさ。たぶん、浮気してもわからないだろうから、悔しいと言われた。」 「女の人なんだ。そう言った人。」 「すまん.。忘れてくれ。あんたがたと喋っていると、つい口が軽くなる。」 何なのかしら、この気持ち。コウガは嫉妬を感じるような相手じゃないのに。よくわかんないな、自分の心って。コウガがその人に、とても強い気持ちを持っているのがわかるから、その相手が羨ましいんだ。誰かに強く思われている、その人が。誰かが、誰かを強く思っているという事が。 「俺を置いといて、何の話をしてるんだか...」 この男の言葉は、軽やか。さっきから、嫌な感じのない言葉ばかり。でも、内容がないわけじゃない。悪意とか、妬みとか、べったりした感情がのっていないからだろう。話に入りたい気持ちを素直に出されて、私は初めて男の顔を見た。冷たく見えるが、表情の下に明るい感情が見える。私は何か、不安を感じた。しかし、男の右目は伸びた髪で隠れている。そのせいで、顔全体の印象が暗い。でも、これから一緒にお仕事をするなら、こんなカッコつけは願い下げにしたい。私は手を伸ばした。男はよけない。私の手を疑っていない。さっき、殺すつもりでナイフを投げた、私の手を。私はまた、胃の上あたりに、うずくような不安を感じた。私の手が、男の髪に触れる。男は驚いたような目で、私を見ている。この眼は、いけない。人を疑うことを知らないようなこの瞳は...わたしの口が動いた。 「かっこつけてんの?うっとうしいからやめなよ、死にたくないんなら。」 私の指が、男の片目を隠した髪をかきあげる。その下には、目の上を通過する、大きく醜い傷跡。目は固く閉ざされ、開くことはないのだろう。傷跡が瘢痕になっているのは、かなり深かったからだ。私はこういう傷を知っている。この男は、片目だ。男の手が、やさしく私の手を払う。傷跡を、髪が覆い隠す。 「ごめんよ…」 「驚かせたらしい。こっちも驚いたけど。見て気持ちのいいもんじゃないから、見ないでくれ。」 男は私を見ている。心配そうに。心配そうに? 「大丈夫か、ユカル。」 心配そうなコウガの声。なに、私、そんなに表に出てるの?なにが?私は自分が心配されるような状態になっているなんて、感じてないのに。 「すまん、コジロー。ちょっと、車で休ませる。」 「ああ。」 コジローは答えて、荷物をとりに、ぶらぶらと遠ざかってゆく。コウガは私を支え、車の方に連れて行く。うっとうしいような気もするのに、振り払えない。このまま、連れて行ってもらいたいような気もしている。車につき、後部座席に座らせられた。 「本当に大丈夫か、ユカル。」 「あれは役に立たないよ。」 突然の言葉は意外だったらしい。コウガは少し身を引いた。 「片目だと、ハンディが大きすぎる。しかも、あれは後天的で、けっこう最近のものだろ。昔はどうか知らないが、今の力は戦力外だろ。ボランティアじゃないんだから。」 コウガは眉をひそめ、しばらく考えてゆっくりと言った。 「私は奴を、両目のある時と、片目になってからの、両方とも見た。鬼神のようだったよ。奴は戦力外じゃない。危険過ぎるくらいなんだ。あんたも十分注意しておけよ。奴がこちらを敵と見たら、俺も止められる自信はない。」 コウガは身を引いて、ドアを閉めた。私は車の中で、考えていた。この不安は、なんだろう。攻撃される恐怖じゃない。もっと、根源的なもの。兄がいたころからあった恐怖?恐怖かもしれない。 視界に動きを認めて、私は対象を確認した。バックミラーに、荷物を持って、こちらにのんきそうに近づいてくるコジローが見えた。私は再び、理由のわからない大きな不安を感じた。自分の生命が危険に晒されているような、腰の後ろがちりちりするような感じ。気がつくと、腕に鳥肌が立っている。腕だけではない。たぶん、体中に鳥肌が立っている。私の全身が、危険信号を伝えている。コジローは荷物をトランクに入れ、車の助手席に滑り込んできた。コウガが車を発信させた。車は滑らかに、組織の拠点のひとつである、ビルに向かって走り出した。大きな危険と一緒に移動しながら、私の心は、なぜか華やいでいる。 |