眼鏡 |
李・青山華 |
別にファッションで着けているわけではない。 これは社会生活を営む上でどうしても必要だから着けているのだ。 少なくとも第三者がいる場所では、着けないという選択肢はない。 見えないと不便だからというより、着けていないと怖いのだ。 眼鏡がないと、相手が何を持っているかもわからない。 ナイフを持っていたらどうしよう。 相手の表情が見えない。 嘲りの笑いを浮かべているかもしれない。 周りが見えない。 いつの間にか周囲がまったくの異世界に変わっていたらどうしよう。 周り中が毒虫に囲まれていたらどうしよう。 眼鏡がないだけでまるで無防備になってしまうのだ。 眼鏡を外すのは一人きりになって、外部からの侵入がないと判断できた時だけ。 それでも不安だ。 たとえ恋人と一緒でも、いや、恋人と一緒であれば余計眼鏡を外すことなどできない。 恋人はそこまで気を許せる存在ではない。 子供の頃、父親の前でなら外せたかもしれない。 でも、子供の頃は目など悪くはなかった。 他人の前で眼鏡を外すのは、衣服を脱ぐのより恥ずかしい。 眼鏡は衣服よりも自分自身に近い存在、 眼鏡は恋人よりも自分自身に近い存在。 これは決してファッションなどではない。 外界に対する鎧なのだ。 |
05.09.14 |