Night
灯り 〜呼び子〜
李・青山華
列車はいつの間にか都心を抜け、郊外の住宅地を走っている。吊り革に揺られて視線は外に向いているが、既に陽は落ちており、見えるものは電車の窓ガラスに映る疲れたような自分の顔と、回りの同じような顔、顔。ガラス越しに見る疲れた顔は、男も女も変わらない。
そんなものは見たくもないのでガラスを透かしてみるが、車内の風景の向こうに見えるのは闇と灯りばかりである。近くの灯りは目に留める暇も早く過ぎて行く。離れたところの灯りはゆっくりと動き、闇が深い奥行きを持っていることを知らせている。
闇の中、たくさんの灯りが通り過ぎていく中で、いくつかの小さな灯りは離れて行こうとしない。たぶん、あれはかなり遠いところにあるのだろう。電車がずいぶんと走っても、ずっとこちらを見ている。ゆっくりと移動しながらもこちらを気にしているように見える。まるで離れていながらずっとこちらを気にしている老親のようだ。苦笑いが意識せずに顔に浮かんだ。
「灯りって信号みたいだよな」
隣にいた同僚がぼそりと呟く。それほど親しいわけではないが、方向が同じなので一緒になることも多い。めったに言葉を交わすことがない相手に声をかけられて、私は少し居心地の悪い思いをしている。
「信号?」
「外の灯りがどんどん動いていくだろう? あれはひょっとしたら何か伝えるための信号なんじゃないか、と思うときがあるんだ。」
疲れているのだろう、私と同様に。現在の生活を維持するのに疲れ切って、ふとどこかに逃げたくなるのは私だけではないようだ。そもそもこの列車に乗り合わせている人間のほとんどがそうなのかもしれない。
「灯りはぜんぶ別々のものだし、それがどうなっても信号じゃないだろう」
「本当にそうなのかな」
答える必要のない質問だろう。私は黙って離れて行こうとしない小さな灯りを見つめている。この会話はこれで終わりだろう。そう思っている私の耳に同僚の言葉が入ってくる。
「俺はずっと何かの信号を待っているような気がする」
これは私に対する語りかけではないが、私は思わず横の同僚の顔を見た。外の闇を移す同僚の顔は暗い。電車の中は明るいのに、乗っている人間は皆くすんだ闇を背負っているようだ。そしてその時、突然電気が消えた。
一瞬上を見上げ、そして外に目をやるが、ずっとついてきていた小さな灯りが見えない。停電だとしたら、どういう規模の停電だろう。見渡す限り、ではなく見渡せない闇が広がっている。月も出ていないのか、光はまったくない。電車も停止している。あまりに突然だったので、逆に声が起こらない。突然現れた闇は音すらも奪ってしまった。と、突然声がした。
「合図だ…これが合図だ」
怯えたような声は、同僚のものだ。しかしその怯えの中にどこか不愉快さを感じさせる歓喜がにじみ出ているような気がした。
「おい?」
私が声を出すかどうかのうちに、けたたましい笑い声が車内に響きわたった。そしてほとんど間をおかずに烈しい破壊音が響き、何かが消え去った。少し蒸していた車内に冷えびえとした空気が流れ込んできた。窓が割れたようだ。笑い声はやむことなく、ものすごい勢いで遠ざかっていく。人間が補助機関なしに移動していくにしては信じられないスピードで。
その時ようやく私は車内に響き渡っている悲鳴と怒号に気がついた。車内はパニックになっていた。騒音を頭の隅に押しやりながらもう一度耳を澄ましてみたが、もうあの笑い声は聞こえなくなっていた。
電気がつくまで30分くらいだったか、1時間も経っていたか。電気がついて、私は消えたのが同僚であることを確認した。
停電はほぼ東京全体に及んだようだ。原因は不明だが、送電線の中の電気の流れが堰き止められたような感じだとのこと。その夜、東京ではほぼ60万人、全人口の5%が行方不明になったらしい。その後失踪した人間たちがどこかに現れた形跡は、今のところない。
05年11月09日