雪を流す |
李・青山華 |
深い雪の積もる雪国に日々を過ごす子供だけの、秘密の遊びがある。 雪を流す、という遊びである。 この遊びは、実はとても危険で、毎年何人かの子供が死んでいる。 だから、これをやるということを、大人に知られてはならない。 雪国では、屋根に積もった雪をそのままにしておくと家がつぶれてしまうため、 ある程度積もった時点で雪下ろしを行う。 その時の雪を流すために、流雪溝(りゅうせつこう)と呼ばれる 急な流れの用水が、家々の前を流れている。 どぶではなく、農業用水でもない、雪を流すためだけの流れである。 屋根から落とした雪をこの流れに落として流すのだが、 それほど広いわけでもないこの流れは、 屋根から落とされた大量の雪で簡単に堰き止められてしまう。 雪の晴れ間で、さらに勤め人の家では、雪下ろしは休日でなければ行えない。 そのため、かなりの家が同じ時にやることになり、流雪溝には、 民家のある限り、ずっと先までびっしりと雪が詰まってしまう。 何トンもの雪で、流雪溝は、完全に堰き止められ、流れであるということが まったくわからなくなる。 堰き止められた始まりの部分では、流雪溝が溢れ、道路を水浸しにする。 この溢れた水も外側から雪を融かし、少しずつ流れ始めるのだが、 気温が低いと、時には数日間もそのまま堰き止まっていることがある。 それでも、水は少しずつ雪の中を融かしていっており、 そのうちに流れ出すことになる。 そんなふうに、少しだけ雪が融け始めている状態。 そういう時に、子供たちは雪流しをすることができるのだ。 子供たちは学校の帰りや外に出た時に、詰まっている雪の状態を、 長靴で踏んで確認してみる。 まるで固いままだと、まだ機が熟していない。そのままそこを去ることになる。 踏んだ時に、少しでも雪に水が滲んでいるか、沈み込むような足応えがあれば、 そこが雪流しに適した状態になっているということである。 子供たちは、まず溝の両側の壁に沿って、踏みつける。 雪はコンクリに接している部分から融け始めるのだ。 ここで長靴が少しでも沈むと、いよいよ本番である。 壁に沿って、つま先で、穴をうがつ。 蹴るようにしてうがっていくと、だんだん下を流れている水が滲み出てくる。 両側を、同じように穿って行く。 大人が本気でやる時は、側壁に沿って木の平たいスコップを突っ込んで、 無理やり側面から雪をはがす。 こうして、左右の支えを失い、下を十分な量の水が流れていれば、 雪はジェットコースターのように勢いよく、流雪溝を流れていく。 子供たちがやる時は、道具は使わない。 あっという間に終わってしまうかもしれないからだ。 時には大勢で、時には一人で、子供たちは長靴で穴を穿ち続ける。 やるほどに水が滲み出し、勝利が見えてくる。 十分に脇が空いても、流れ出さないことがある。 そういう時は、水の勢いで流しきれないほど大きいということなので、 つながっている雪を分割する作業に入る。 いちばん下流の方から、大きさを見積もって、長靴で踏みつけ、雪を切る。 水の沁み込んでいる雪は、子供の足でも何とか切り取れる。 水の勢いが、その大きさに、負けないほどであれば、 雪の塊は射出したように流れ出す。 流れ出した時の達成感はなんとも形容しがたい。 次々と流れ出す雪隗を見送り、満足げに佇んでいる。 突然冷え切った身体に気がついて、ランドセルを揺すり上げて うちに向かって走り出す。長靴の中の指には、感覚もない。 時に、切れないので、上に乗って飛び上がって踏みつけることがある。 この時に、流れ出す雪に足をとられると、雪と一緒に勢いよく流れていくことになる。 時おり、これで死んでしまう子供も出る。 ある子供は、数キロに渡って流れ、本流に出てから発見されたそうだ。 これが、この遊びを大人が禁止する理由だ。 それでも、子供たちはこの遊びを止めようとはしない。 それほどに、この遊びは面白いのだ。 そして、この遊びには裏の遊びがある。雪ダムである。 これもまた、帰る時間を忘れてしまうほどに面白い。 大人たちがどんなに言っても、子供たちはやめようとしない。 子供たちが本当に熱中してしまう遊びには、いつも死の影が見える。 遊びは、子供にとって神聖なものであり、時には供儀を捧げなければならないのも、 また約束なのかもしれない。 |