微量毒素

metal おはなし
生命と異質なもの
李・青山華

金属は、どんなに生命に寄り添っていっても、決して生命と馴染むことがない。
生命体が金属と馴染む時は、限りなく死に近くなる時である。
そして馴染んだ後も、両者は一つになることはない。



あまりにも鮮烈なイメージの、肌に食い込む刃(やいば)。
これは言うまでもない。
遠くから飛来して、人の身体を貫く鏃(やじり)。
さらに、音を聞いて気づいたときには、既に身体を破壊していく銃弾。

金属が人の身体に馴染もうとする時、それは直接的に死を意味する。



身体を癒すための針灸の針も、その本質は身体の機能の一部を麻痺させ、
あるいは刺激して、針に対して反発させることで治療する。
つまり本質は、死を人にかいま見させるための道具である。

注射の針も、本来は異質なものを体内に送り込むための道具である。

やむにやまれぬ状況で、目指す結果がどのようなものであろうと、
体が本来受け付けようとしないものを強制的に送り込むための道具であり、
自然の生命とは相容れないものである。


身体の中に埋め込む各種の金属による代用の内臓も、
自然にもたらされる死の影を常に感じている。
特殊な対策をとらない限り、埋め込まれた金属構造物は、
本体の生死に関わらず、動き続ける。あるいは、止まってしまう。
身体の中に取り込んでさえ、馴染むことはないのだ。
常に異物として認識され続ける。


逆に人が金属に取り込まれる場合がある。こちらも同様である。
自動車に乗っているとき、電車に乗っているとき、
船に乗っているとき、飛行機に乗っているとき。
どのような場合も、死は通常あるより、はるかに人の近くに在る。



あまりで異質であるが故に、人はこれを身体につけることで、
その特性を自分自身を表現するために使うことがある。
金属のピアスなどである。

インプラントは、かつては金属が使われたこともあるが、
あまりに生命体に馴染まないために、部外者で中立の位置にある
プラスティックのような新素材にとってかわられた。

身体に穴を開け、ピアスをつけることで、
人は自分を他者とは違うものとして飾り立てる。
本来生命体に馴染まないものをつけることで、自分の特殊性を
目立たせようとしてのことだが、にも関わらず、
ピアスで飾られた肉体は、哀しいほどに生命としての肉を感じさせる。

如何に人間が金属にすり寄っていったところで、金属が肉体に馴染むことはない。
それでもなお、人は自らに施した金属の枷に触れるとき、
慄きと倒錯した満足を感じる。
異質なものとの交感を思い描いてのことだが、これは幻想であり、
ワンウェイの思いに過ぎない。



金属が、肉と交わることはない。
金属は肉を侵し、肉を拘束しはするが、それと一つになることはない。
ただ一つ、滅びの時を除いては。

酸化が進んで、生命が朽ち、金属も朽ち果てて、両者が土に近づいた時、
初めてこの二つは一緒になることができる。

05.03.16
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