Water | おはなし |
水辺 |
李・青山華 |
水辺は、いつ行ってもいいものだ。 秋は水も飛沫を上げず、滑らかな表面を崩さない。 深い森の中で苔むした木の切り株に座って眺めている流れは、 懐の深い優しいお姉さんのように、荒立てず、しかし着実に水を送っている。 その水面は眺めているだけで人を深い内想へと落とし込んでいく。 時おり過ぎる紅葉した葉に心をかき乱されながら、じっと見つめている。 静かな秋の森の中で流れるともなく流れていく水を眺めながら、 人は自分の内奥を、深く、深く覗き込むことになる。 そこに見える自分は、なぜかひどく優しいように見えてうろたえてしまう。 冬は...水を観賞するには向かない季節だ。 この季節、とうとうと流れ、時に白い歯を剥く広い流れを橋の上から 眺めていたりすると、ふとそこに身を投げてみたくなったりしてしまうから 用心することである。 凍りついた小川はその視線すら拒否して、川の本質である流れを人の目から隠して、 窺わせることすら拒む。 意地になってその凍りついた表面を崩してみても、その中にはあくまで冷たく、 生物の介在を拒否する黒い水の流れが氷の牙の間から垣間見えるだけである。 冬の河端では、ほんの少し居ただけのはずなのに身体は既に冷え切っている。 重い心を抱えて家に戻り、身体を温めながら、ふと黒い水のことを考えている 自分に気づく。 否定しようと無視しようと、その黒い流れは自分の中にも滔滔と流れているのだ。 春は融け始めた雪の間を流れる水。 実際に触ってみるとしびれるほど冷たいのだが、温かく、 すぐにでも生き物が顔を出しそうな生命感に溢れている。 事実、水面に張り出した融けかかりの雪の下には黒い土が見え、 薄緑色のフキノトウが顔を出している。 春の水辺は、足元から冷気は上ってきても、背中と頭は太陽の熱で熱いくらいだ。 しばらく音を立てて流れる水を眺めた後は、戻る足取りも力強くなっている。 流れる水がやみくもに生きていきたいと思わせる力、意欲を、 脳ではなく全身の細胞に送り込んでくれたのだ。 季節ごとに様々な姿を見せてくれる水辺だが、その中でも夏は格別である。 夏、水の姿が見えず、せせらぎの音が聞こえるだけでも、 すでに水の上を渡る風に吹かれているような気分にしてくれる。 背よりも高く茂った草木をかき分けて見える水面は、 どうしてもそのほとりに行きたい気持ちにさせる。 ようやくたどりつくと、水は勢いよく、ぐんぐんと流れている。 回りを羽虫やアブが飛び回る。 そしてその虫たちを狙って、 オニヤンマが見間違えようのないその大柄な身体を遊弋させている。 水の中には魚影がいくつも、その流線型の身体をその位置に保持するためだけに、 多大な努力をはらって流れに逆らっている。 崖の上の木の張り出した枝には、 その魚を狙うカワセミが突入のタイミングをうかがっている。 水辺の石を持ち上げれば、多くの生き物が蠢いている。 運がよければ蟹を、そうでなければカワゲラやカゲロウの幼虫をはじめとする 多くの川虫を見ることができる。 身体を伸ばして這い拠ってくる夢魔のようなヒルの姿も見ることが出来るだろう。 そして回りは暴力的なまでに生い茂る草木たち。 それらは信じられないような量の異種生命体の生命維持に貢献している。 一歩踏み込めばその生命体たちが飛び出してくるが、 中には毒をもったものもいるので、覚悟の上でなければお勧めしない。 夏の水辺は、常に生命力に満ちている。 渓谷の中で、淵は深く澱み、奔流は烈しく流れる。 諸相を同時に存在させて、夏の流れはある。 淀む淵は大きな秘密をその中に隠して、しかしそれを解いてみろと誘う。 奔流は人を誘いながら、いざその中に入ると、人を巻き込み、制御不能にし、 やがては骸を下流に打ち上げたりもする。 夏の河は決して優しくはないが、誰も拒みはしない。 入って来るものは全てを受け入れてもらえるが、 そのものの力量に応じた結果を受け取ることになる。 そのために、夏の水辺は生と死に満ちている。 しかしながら、夏の水辺はその生と死について観想している時間を与えてはくれない。 生と死の爆発的な力は、瞑想しようとするものにも強い影響を与える。 子供たちがいれば、彼らは既に制止も聞かずに踊りこんでいるだろう。 そして、私もこれからその水に抱かれることになる。 自分の力量をよく踏まえて、その範囲内で夏の流れの力の一端を 分けてもらうことになるのだ。 「おとうさん、早く!」 「そっちは流れが速いから近づくな。それより、こっちに蟹がいるぞ!」 「ほんとっ!」 「おかあさん、ここ、さかなっ!」 「あ、光った」 「ね?」 |
05.10.05 |
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