祭り |
李・青山華 |
祭りは何週間も前から、その日が楽しみになる。嫌なことがあっても、もうすぐ来る 祭りのことを考えると、胸が晴れる。男の子は籤を引くための資金を準備し、女の子は 着ていく浴衣を決めかねている。その前日まで、町にはほとんど何の動きもない。 まるで、祭りがすぐ間近まできているというのが嘘のようで、小さい子供たちは不安に なって、親に尋ねる。 「祭りは来るの?」 「来るよ」 というのがその答えだ。子供たちは安心するが、それでも不安になってそれとなく神社 近くに遊びに行ってみたりする。それでも、本当に当日になるまで大きな動きはない。 当日になって、子供たちが不安を抱えて神社に行くと、大人たちが総出で櫓を組み上げ ている。それを見て、子供たちはようやく安心して、意味もなく境内を駆け回り、危な いと怒られたりしている。それでも、子供たちは笑顔を消すことが出来ず、大人たちも つられて心が弾んでくる。 昼も近くなって、村の外からぞくぞくと車だのトラックだのがやってくる。運転している のは、見慣れない兄貴衆に艶やかな姉御たち。彼らは車を止めて荷物を下ろし、てきぱき と枠を組み上げ、上からそれぞれの夜店を立ち上げる。年のいった子供たちは、その中に 馴染みの顔を見つけて声をかけたり、組み立てに手を貸したりする。小さい子供たちは、 そんな子等を、憧れと羨望のこもった目つきで見上げている。 風の緩い午後から店は始まっているが、夜に出歩けない小さい子供とお母さんや、 おばあさんたちが夜店の前をゆるゆると歩いている。型抜きのテントの中には、 常連のお兄さんたちが、一心に型を抜いている。まだ、デビューしたての子供は、 鶴の首を折ってしまって、情けない声をあげている。子供たちは、やっと来た祭りを、 一瞬も無駄にしないように、手に小銭を握りしめて店を物色している。 子供たちにとって、夢にも見られないような素敵な景品を掲げたくじ屋の前は、男の子 たちが絶えることがない。誰もが引いて、店の陰から魔法のように出てくる、欲しくも ないおもちゃを受け取り、次の客に追い立てられて、最後にもう一回特賞の景品を見上げ て離れていく。それでも、子供たちは少し離れてこの籤屋を見続けている。誰かが特等を 引き当てて、あの商品を手にするのを見たいのだ。しかし、特等は一向に出ない。三等す ら滅多に出ない。いい当たりは入っていないんじゃないのか、と論じ合ったりもするが、 誰一人としてそんなことは信じていない。絶対に当たりは入っているのだ。ここか、次の どこかで、誰かが特等を引き当てて大喜びするさまを、彼らはまざまざと脳裏に描き出し ている。そんな彼らを見て、屋台の兄ちゃんはにやっとして、また次の子供の温まった 硬貨を受け取る、 女の子たちは、ずっと堅実だ。綿菓子を買い、金魚すくいをし、風船を買う。遠い都会で 流行っているという、アクセサリーやマスコットを買う。少し年のいった子は、澄ました 頬を赤く染めながら、好きなアイドルの下敷きやブロマイドを買う。好きなアイドルを、 誰にも打ち明けていない子は、買いたいのに恥ずかしくて買えずに、もじもじしている。 さほど目的もないのに、祭りの中をそぞろ歩いていた子供たちは、夕焼けの前にいったん 家に帰る。そしてどことなく上の空の夕食を終えて、今度は一家揃って祭りに行く。 迷子になるなと親は叫ぶが、祭りの夜のそんな言葉は、宙に浮いたまま消えていく。 祭りは来たものが、皆迷子になるための催しなのだ。 親たちも、かつて訪れた祭りの記憶を呼び覚まして、かすかな不安と憧憬の迷宮に迷い 込んでいく。そこではすべてが正しく思えるし、何もかもがとても素晴らしいものに思え るのだ。子供たちは現在の、大人たちは過去と現在の重なり合った迷宮を歩んでいる。 両者の間には、薄い紗のような幕がかかり、コミュニケーションをとるのが微妙に もどかしい。子供たちは走って行く。大人たちはそれを追おうと思いながら、心の どこかで逆の方向に走って、あの時買いたかったあれを、あの店に買いに行きたいと 思っている。しかし、それが決してかなわない願いだということも、大人たちは知って いるのだ。 祭りで供される食べ物は、どこか霞にも似た特性を持っている。祭りの夜店で腹を満た そうと飯抜きで出かけると、いつの間にかとんでもない量を食べており、それでも空腹 を感じてしまうという状態になる。綿菓子はもちろんのこと、杏飴もチョコバナナも、 リンゴ飴もたこ焼きも、お好み焼きも焼きそばも、クレープも、そしてもちろん七色の シロップをかけるかき氷も、すべて食を満たすためではなく、祭りを楽しむためだけに 存在している。 祭りの夜店はどこか妖しい。店主たちはかたぎではない雰囲気を発している。人当たりは いいが、揉めるととんでもない顔を見せそうだ。いつもは昼間でも寝惚けたような町が、 今日一日は、祭りのために迎え入れられた稀れ人たちのために、艶やかに息づき、普段は 見せないような媚態を見せている。まるで長年連れ添った伴侶以外と会っている年増の ように。恥らいを振り切ったその媚態は、これが長く続くものではないからこそ、 いっそうその艶を増している。 宴は賑やかに深夜まで続き、その間に帰るべきではないところに行ってしまう娘もある し、行ってはいけなかったところを垣間見てしまう子供たちもいることはいるが、 ほとんどの者たちは、あるがままの祭りを楽しんで帰途に着く。そして帰るとき、 子供たちは祭りがあの通りにしかないことを悟って愕然とする。町全体が祭りのはずなの に、通りから一歩入れば、そこはいつも通りの闇、静かな日常に支配されているのだ。 大人たちはそれを何度も経験してきているから、帰る前に何がしかのスーベニールを 手に入れて、家の中まで祭りの空気を持ち帰る。子供たちは、通りから外れると、 それに寄り添うようにして歩いていく。そしていつも決して見ることのない、灯りが すべて消えた自分の家を見て、また衝撃を受ける。自分を待っていない家があるという ことを、子供は知るのだ。それも親が鍵を開け、電気を点ければ頭から消えてしまう。 しかし、それはどこかに残っていて、時おり悪夢となったりする。 祭りがはねてからの、夜店の仕舞いは早い。何百回も祭りを追って暮らしている彼らは、 祭りの夜に集まる色々なものを聞き見しているからだ。ふと帰りそびれたとしても、 何にも気を取られず帰る方がいい。ふと見えた、一軒だけの灯りに近寄ってはいけない。 それは彼らの仲間ではない。呼ばれていないのに、来ているものの店である。迂闊に 近寄って、ここではないどこかに連れて行かれることも、ままある。祭りは決して 最後まで見ていてはならない。それを見ていいのは彼らだけである。準備が出来ない ままに見ると、思いもかけないことになってしまう。 翌日は、もう祭りの気配はない。彼らはもう去ってしまったし、呼ばれていないものも 去ってしまった。その、気配もない通りの端で、少女が赤すぎる唇で笑む。祭りはまた 1年後に来るのだ。 |
04.10.08 |