赤の魔歌 〜ハチのムサシ〜 p.4
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1 | ムサシ、お仕事を引き受ける |
2 | おにいちゃんのいる場所 |
★ ムサシ、お仕事を引き受ける |
「何でも引き受けます。料金応談。」 いつも通りの看板に、いつも通りの道端での客引き。いつもと変わらないはずの風景だが、その中にいるムサシの心は泡だっていた。 前の町で、ムサシは何らかのグループに属する少女を殺してしまうことになった。その事実はムサシの心を蝕んでいたが、それは別として、一員を殺されたグループは、間違いなく何らかの報復行動に出るだろう。それとも、あの少女、キスゲという少女は消耗要員で、あらかじめ死が想定されていたものなのだろうか。ムサシにはそうは思えなかった。それは、あの少女にかなりの判断権が与えられていたということによる。あの少女はムサシやイガと対話をしながら、アクションを組み立てていた。しかも、その判断に齟齬はなかった。頭の回転の速さは、下部構成員ではなく、上級構成員としての位置を感じさせる。それとも、下部構成員でもそれほどの人材が揃っている?いや、それはない。少女に絡んだチンピラと、事務所の人間は、それなりのレベルではあるが、明らかに少女より下だ。あの二人は少女の指示に従って、行動していたと考える方が、辻褄が合う。報復はある。間違いなく。そして、そこでこそ、現在ムサシに接触してきているグループの実体が明らかになるだろう。 「おい、ムサシ。キスゲちゃんのことを覚えてるか」 突然イガに話し掛けられて、ムサシはびくっとした。しかも、今考えていたキスゲの話である。 「もちろん、覚えている」 「あの子は、本当に俺たちを監視しているグループの人間だったって思っているのか?」 「間違いない。自然すぎて、不自然だ。ありがちに見えることは滅多におきないもんだ」 「単なる世間知らずのお嬢さんだったんじゃないの?何でそんなに言い切れるんだよ」 まさかに、俺を殺しに来たから、返り討ちにしたとは言えない。まだ、今は。 「あの後、もう一回会った。そこではっきりしたんだ」 「会ったのかよ!いつ!ああ、おまえが一人でおこもるって行って消えた日だな。何で俺を連れて行かなかったんだよ。もう一度会いたかったのに」 「エリかさんに言いつけるぞ。どうせ、楽しい会見にならないことはわかっていたからな」 「エリカには、言っちゃ駄目だよ...いや、真剣な話、危ないだろうが。もし本当にグループの一員だとしたら、そこで襲撃される可能性だってあったわけだろう」 「ああ。ほとんど襲撃されたよ」 ムサシはシャツをずらして、ナイフで傷ついた肩を見せた。 「!...このバカ!消毒はしたのか?」 「大丈夫だ。思ったより浅かった」 イガはまじまじとムサシを見た。そして、歩道脇の車除けにどっかりと腰を下ろし、言った。 「じゃあ、しっかり聞かせてもらおうか。事の顛末を」 ムサシは首を振って言った。 「まだ、整理がついていないんだけど、しょうがないな。キスゲさんは、たぶん俺が殺した、と思う」 |
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ムサシの話を聞いて、イガはそれほど取り乱しはしなかった。 「おまえはキスゲさんを助けるつもりだったんだな」 「ああ」 「もし、ちゃんと刺されてたとしても?」 「間違いなく、助ける」 イガは頭を足の間に落とし、全身にぐぐっと力を込めてから上半身を起こし、膝に肘を乗せて言った。 「仕方ない。事故だな。そう思おう」 「俺はなかなか、そうは思えない...」 「あたりまえだ。すぐに割り切れたら、そっちの人間性のほうが問題だ。たぶん、一生悩むことになるだろうよ。それでいいんだよ」 ムサシはイガの顔をまじまじと見た。 「おまえ、常になく大人っぽいな」 「まあ、な。エリカと付き合って、俺もずいぶん変わったと思うよ。普段は表に出さないだけで、内面は絶ゆることなく、叡智がとうとうと流れているのだよ」 「その変なしゃべりは何だ?」 イガはムサシには構わず、両手を合わせて、人差し指の先端を眉間に当てた。 「まあ、キスゲちゃんは気の毒だな。でも、ひょっとしたら助かったのかもしれないんだろ。仲間が来て、すぐに連れて行ったんだから」 「ひょっとしたらな」 「よし。心の整理が着くまで、確認できない限り、キスゲは生きていると思え。そうだな、キスゲちゃんを捜そう。それで全てが始められる」 「そうだな」 ムサシは、心が軽くなった。イガに話したことと、自分が取るべき責任と、次にやるべきことがはっきりしたおかげだろう。 「よし、キスゲさんを捜して、お見舞いに行こう。そこで、自分が何をできるか判断するんだ」 「よし。これで、この話はお終い。あとは報復の話か...」 「ひょっとしたら、報復というよりも、もっと大きい話かもしれない。あの子が失敗したことで、次の歯車が回るのかもしれない。俺が始めたことで、人死にが出た。これから、もっとおかしくなっていくかもしれない」 「覚悟の上だろ。言ってたじゃないか、俺を誘った時に」 「誘うんじゃなかった」 「何を今更。私を嫌いになってしまったの?」 「好きになったことなどない」 「ふうん」 イガも話を打ち切り、後ろの街路樹にぶら下げてある看板を振り返った。 「でもさ、やっぱり垢抜けていな過ぎると思うんだ、このアプローチはさ」 |
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ユカルは殺風景なビジネスホテルの一室の、ダブルベッドに寝転んで天井を見上げていた。頭の中で、懐かしい故郷の謡(うた)いが何度も繰り返し流れている。今、ユカルの中は空っぽである。自分でも驚くほど、何もない。私は人間なんだろうか。そんな疑問が身体の中に浮かぶ。これを追求してはいけない。追求すると、きっと私は帰ってこられなくなってしまう。ユカルが身体を起こすと、電話が鳴った。 「はい。了解。じゃあ、プラン通りに進めるのね。コウガとコジローには?連絡しといて。これから合流するって」 ユカルは電話を切った。しばらく電話を見つめて考え、受話器を取ってダイヤルを回した。コールが鳴る。3回で出た。いつも通り。 「ああ、プラタナス。ユカル。うん。これから、始まる」 ユカルはしばらく黙って相手の言うことを聞いていたが、途中で遮って言った。 「ねえ、何かお腹がぐるぐるするんだけど。いえ、体調のせいじゃない。精神的なもの。ねえ、キスゲはまだ目覚めないの?...そう。ねえ、いい?あなたはずっとキスゲのそばにいなさい。それで、キスゲが目を覚ましたら、今回のタスクをもう一度確認してみて。あの時、キスゲは違うことを言いたがっていたような気がするの。お願いよ」 ユカルは電話を切った。そしてしばらくそのまま立っていたが、頭を押さえた。 「何でこんなに謡いが流れるんだろう」 ユカルはこめかみを押さえ、頭を強く振った。もう、とうにユカルを見捨てたはずの、神々の謡い。金の滴、降る降るまわりに、銀の滴、降る降る回りに...ユカルはそれを振り切るように、乱暴に動いて、荷物を取って部屋を出て行った。部屋にはなおも、ユカルの心の残響がこだましているようだった。金の滴、降る降るまわりに、銀の滴、降る降る回りに...そして、やがて全てが消え、静けさだけが残った。 |
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既に組織は、ムサシにアプローチしていた。この暑いのにネクタイをきっちり嵌めた男が、ムサシと話をしていた。 「毎度ご贔屓、ありがとうございます。」 「荷物を運んでもらいたい。車の免許はあるのか?」 「普通車なら運転できます。どんな荷物ですか。」 「知ってもらう必要はない。」 「犯罪がからむような依頼は、お引き受けできませんので...」 「ああ、なるほど。中身は工作機械だ。ちょっとした理由があって、町外れの建物に移動したい。搬入のときに、我々が運び込むところを見られたくないのだ。ちょっとした税金対策でね。少なくとも、犯罪がらみではない。」 「わかりました。信用します。段取りは?」 「我々が荷物を積み込んだトラックを準備して、どこか落ち合える場所で車の鍵を渡す。あとは、山奥村の建物まで運んでもらえればいい。これが地図だ。」 ムサシは、依頼者と頭を突き合わせて、ルートの確認をした。待ち合わせ場所を、ここから程近いファミリーレストランの駐車場とした。 「了解しました。お引き受けしましょう。料金は前金ですが、よろしいですか?」 「トラックごと、スロープを登った2階に置いてきてくれ。帰りはタクシーになるだろう。それも含めて、2万円だ。」 「ありがとうございます。それでは、1時間後に、駐車場で。」 |
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依頼内容を聞き、イガは首を傾げた。 「なんだよ、これ。こんないい加減な依頼ってありか?」 「向こうも、もうばればれだとわかってるんで、開き直ってきたんだ。イガ、これからはもっと大変な事になってきそうだぜ。」 「やだよ、俺は。」 「じゃ、抜けろ。しばらくはマークがつくかもしれんが、おまえの行動を見張っているうちに、あきれてすぐに放免になるだろう。」 「おまえの言い方、ほんとうに腹が立つ。でも、おまえはやめましたー、って言っても今更通らないんだろう?しゃーない、最後まで付き合ってやるさ。」 「今が最後のチャンスだぞ。エリカさんのことを考えろ。」 「るせーな。でも、考えなくちゃいけないんだよな。でも、決めた。行く。おまえも一人じゃ寂しいだろ。」 「いや、実は本当に怖いんだ。」 イガはギョッとしたようにムサシを見る。ムサシは真面目。 「俺が怖いのは、やはり人間が悪意に馴染む生き物だってことを思い知らされるかもしれないってことだよ。俺はずっと疑いながらも、実は人が善意の生き物だってことを信じてきてるんでな。」 |
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★ おにいちゃんのいる場所 |
エミ、クリスとともに町に来る。 後ろでクリスは荷物を抱えてひいひい言っている。 「昨日成田に着いたばっかりで、これはきついよ。」 「大きな荷物は置いてきたでしょ。それくらいで音を上げない!」 「だって時差がさぁ。」 「もうすぐお兄ちゃんに会えるかもしれないってのに、何根性のないこと言ってんのよ。あんたは騎士でしょ。ちゃんと私をサポートしてよ。」 「シンデレラの継母よりきついじゃんかよー。」 「ほら、さっさと荷物をお持ち、シンデレラ。舞踏会に遅れてしまうじゃないの。」 「あーあ。かしこまりましたわ、お義母さま。で、私も連れて行っていただけるんでしょうね。」 「あたりまえよ、シンデレラ。そのために来たんだからね。」 クリスは少し首を傾げたが、とっとと歩き去るエミに追いつくため、荷物を抱えあげて、急ぎ足で歩き出した。 「エミ、君、何か怒ってる?」 エミは振り向いてクリスに指を突きつけた。 「怒ってるに決まってんでしょ。あんた、昨日の晩、何をやったと思ってるの?」 クリスは訳がわからない。エミは腰に手を当て、クリスを睨みつけている。 |
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昨日の晩は、金を浮かすためにホテルの外で、マクドで食事をした。日本のバーガーは高価で小さいので、クリスには全然足りず、ぶつぶつ文句を言っていたら、エミがラーメン−ヤに連れて行ってくれた。それほど安くはなかったが、腹には入った。ひょっとして、これがブレード・ランナーでハリソン・フォードが食べたYA−TAIのヌードルかと感激していたら、そうではないと言われた。 その夜はツインの部屋に泊まった。相変わらず、エミはシャワーからバスタオルを巻いただけで出て来るし、そのままぺディキュアを塗り始めるし。クリスは"組織"のコンピュータの監視をするため、ハンディパソコンを、部屋に備え付けの通信用ターミナルに繋いでチェックしているため、毛布にもぐりこんでいることも出来ない。魅力的な姿が目に入ると気が散るので、エミに背を向けてパソコンをいじっていたら、ぶーと言う声が聞こえた。エミは臍を曲げたらしい。そのまま寝てくれればいいと思っていたら、いきなり手のひらで目をふさがれた。 「だーれだ」 「何がだーれだ、だ。この部屋にはエミとぼくしかいないじゃないか」 クリスが抗議をして振り返ると、バスタオルに包まれたふくらんだ胸と、滑らかな鎖骨のラインが目に飛び込んできた。ぎりぎりと音がしそうな動きでクリスは向き直った。エミの甘い声が、クリスの背中をくすぐる。 「そうよ、この部屋にはクリスと私しかいないのよね...」 クリスの脳は崩壊寸前だった。お兄さんを捜しに来て、なにやってんだ。このあま、いてこましたろか。いてこますのはいいなあ。このままエミの方を向いて、一歩進めば、東洋の神秘が渦を巻いてTOKYO−Towerを回りながら天に上っていって、それをゴジラが放射能ビームで打ち落とすんだ。JAPANばんざい、日本はいーいところです...そこでクリスのハンディパソコンがBeep音を出した。 「来た!」 クリスは舞いあがる東洋の神秘も、ゴジラも、TOKYO−Towerも頭から吹き飛ばして、変わりにネットワークからのメッセージを頭に取り込んだ。 「25日?明日だ。明日、コジローさんはYamaoku―Vilに向かうことになっている。場所は...」 クリスはメッセージを紙に書き取り始めた。とりあえず、表示されている情報をすべて書き取っていると、エミは拗ねたらしく、自分のベッドに入ってしまった。クリスがパソコンを止め、エミの方を見ると、エミは向こうを向いている。シャワーを浴びてでてくると、さすがに疲れたのか、エミはくぅくぅと寝息をたてて眠っていた。 「時差もあるからな」 クリスはエミのベッドに近づき、エミの寝顔を見た。腰をかがめて頬にキスをする。 「ぐっすりお休み、お姫様」 クリスは自分のベッドに戻り、もぐり込んだ。眠れるかなと思うまもなく、クリスは寝入っていた。 |
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「あなたが私のバージニティを尊重してくれているのはわかるけど、私としては、クリスに対してバージニティを守っていきたいという気持ちはそれほどないの」 「??ぼく以外の者と、」 「あんたって、ほんとに、ゴミ箱の中を這い回ってる白い虫ね」 エミは憤然として歩き出した。何か歌っている。クリスが聴き耳をたてていると、マドンナの歌の替え歌が聞こえてきた。 「私はバージン 悲しいけれど 私はバージン 甲斐性なしの男のおかげ」 クリスは呆然とした。そして、さすがにむっとした。 《ひどいぜ。ぼくはエミがお兄さんと会うまでは、絶対にエミを守り通すつもりなんだから。もちろん、自分自身からもね》 クリスは荷物を担ぎなおし、エミの後を追って歩いた。もちろん、胸を張って。エミはクリスの足音を聞いて、はっとしたように振り返った。そして胸を張ってずんずんと歩いてくるクリスを見て首を傾げ、ついでにっと笑った。エミはクリスがのしのしと追いついてくるのを待ち、並んで歩き出した。 |
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