微量毒素

赤の魔歌 〜ハチのムサシ〜 p.6

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★ 魔歌の始まり(2)

 イガはムサシのことを気にかけている余裕はない。目の前にいる男は、滅茶苦茶強いのだ。あと一人、どこかにいる。それが気になったが、目の前の敵でいっぱいいっぱいだった。この男の剣のスピードと、踏み込みの速さは尋常じゃない。しかし、イガはいつもムサシと試合ってきたのだ。

「来る...!」

 男の両手の剣が、左の上と下を同時に襲ってくる。後ろに逃げると体勢を崩し、この男の踏み込みでやられる。イガは前に踏み込んで、剣を受けた。上下の腕で剣を受ける。受けた腕は、トンファでカバーされているのだ。受けて敵の剣の勢いを殺した次の瞬間、イガの腕のなかでトンファが回転し、その先で男を突く。

「ぐっ」

 男は退いた。浅いが、入った。イガがさらに追撃すると、男は右に回転した。一瞬見失った刃が、イガの右を襲う。上は辛くも受けたが、下が足を掠めた。切り裂かれて血がにじむ。

「速いっ!」

 しかし、掠めたために、男の身体は少し行き過ぎる。イガはその隙を見逃さず、相手の足を蹴った。男はバランスを崩す。イガは右手を高く上げ、男をトンファで殴る。男はがくっと崩れる。その顔を、左のトンファを回して、殴り飛ばす。男は半回転して、それでも踏みとどまった。男は剣を上下に構え、突っ込んでくる。

「下は捨てる!」

 イガは身体を沈め、下の剣で右腕を軽く切り裂かれながらもやり過ごす。これで勝負は決まった。イガは左足を軸に、右足を回転させ、男の足を払う。男の身体は舞い上がり、落ちるところにイガが肘打ちを落とした。男自身の体重にイガの体重を加え、地面に激突した男は、悶絶して気を失った。

「危なかった...ラッキーだったな」

 イガが立ち上がると、ムサシも強敵を倒したらしい。のんびりと声をかけてきた。しかし、敵はもう一人いるはずだ。イガはムサシの後ろの、スロープの上の闇で何かが動いたのを感じた。イガは全速力で走り出した。


「よう、イガ。何とか、無事か?」

 イガの目が見開かれ、ムサシに向かって走り出す。ムサシも気配を察し、後ろを向く。

「しゃがめ!」

 イガの声に、ムサシは身体を沈める。その上を肉眼では捕らえられないスピードで何かが通り過ぎた。一本?...一本だけである。しゃがみこんだムサシの横を、イガが走り抜けて行く。

「イガァ!」

 ムサシが振り返ると、イガはスロープの上の闇に突っ込んでいく。と、突然足の下が揺れだした。スロープが持ち上がっていく。

「なるほど、こういう仕掛けなのね。物流のために使っていたのかな、こんな仕掛け」

 ムサシは上を仰ぎ見た。

「逃げようにも、イガくんが迷子になっちゃってるからなあ...」

 ムサシはまだ見える外を未練げに眺めてから、揺れて持ち上がり続けるスロープを上り始めた。


「ムサシ?まだ来るなよ!顔も出すな」

 イガの声が、がらんと広い工場のような場所に響き渡る。

「ひどいなあ、その言い方。心配してきたのに」

 ムサシは叫ぶ。もちろん身を隠してだ。大きな声を出したのは、敵の注意が二人に分散すれば、つけ込める隙が出来るはず、と考えてのことだ。計算によれば、敵はあと一人。さっきの感じだと、武器は飛び道具。あのスピードだと、たぶん吹き矢だろう。

「音もないし、スピードはある。厄介な武器だな...」

 ムサシは思案した。あいつを瞬時に見つけて倒すことは俺には出来ない。イガでないと無理だな。しかし、いくらイガでも、この状況では迂闊に動くことも出来ないだろう。だとすれば...

「おとりがいるな」

 ムサシはイガに声をかけた。

「おおい、今、そっちに行くぞ」

「バカすんな!そのままそこにいろ!」

「だって、寂しいんだもん」

 ムサシは落ちていたプラスティックの箱を近くに投げた。ひっかからない。

「駄目か...」

 ムサシはちょっと下がりすぎた。

「ムサシ!」

 イガの叫びと、イガが飛び出した気配を感じた途端、ムサシは左手が引きずられるのを感じた。


「しまった!」

 敵の位置が、思っていたより左よりだったのだ。ムサシは情けなさそうに左腕を見る。二の腕を貫通する、長い針が刺さっている。見たところ、薬品は塗られていないようだ。

「しーらん、ぺっとん、ごーりーら!」

 ムサシは唱えて、「ら!」のところで一気に引き抜いた。血は流れるが、神経は問題ないようだ。とりあえず、ハンカチを縛り付けて止血する。作業の最中、後ろから近づいてくる気配がある。ムサシは愚痴った。

「いてぇーよ」

「それくらいなら大丈夫だな」

「相手は?」

「脳震盪かな...気絶する前に、素性を聞いてみた。おまえらが何で、なぜ俺たちを殺そうとしているかを」

「言ったか?」

「俺たちは、この国を混乱させようとしているんだと。あいつらはそれを正さなければならないから、こうしているんだと...」

 ムサシは頷いた。イガは怒りをもってムサシを問い詰めた。

「何なんだよ、こいつらは」

「裏の筋にしちゃ、あの独特の臭いがない。ほとんど無味無臭だ。ってことはまさか...」

「まさか、何だよ?」

「親方日の丸か?」

「なにぃ?それって、政府筋ってことかよ。」

「何で、国家公務員が俺たちを...なんか、すごくまずいような気がする。」

「もう、もんのすごっく、まずいってばよー!」

「いったい何なんだ、こりゃ。こいつの言ってることは、何かすごくちゃんとした目的をもっているみたいに聞こえたぞ。俺たちは殺されなきゃならんのか?みんなの幸せのために?それとも殺さなきゃならんのか?」

「そうか…やっとわかった。これが彼らの望みだ。「みんなが幸せに、楽しく暮らしていく。」だ。これがおれの疑問への答えだったわけだ…」

「ああ、もう、わけわかんね。俺らはみんなの幸せを壊すわけ?そういうこと?」

「闘おうとするものは、壊すものだという考え方だな。たぶん、この論理でいろんなことが行われてきたんだろう。」


 ムサシは振り向いて言った。目から怒りが零れ落ちている。

「だが、これは間違っている。そんな馬鹿なことがあるか!誰もが闘わないでじっとしていたら、何が変わっていくというんだ?変わるってのは、悪いことじゃない。短期的にはどうであれ、長期的にはいいことがほとんどのはずなんだ。それを、すべてつぶしていくのか?」

「ふん、そりゃあ確かに面白くないな。」

「面白くないどころじゃない。最低だよ。動かないでじっとしているものは、すぐに腐っていくさ。変化のない社会を目指していくなんて、この世界を殺していくようなもんだ。俺は戦う。」

「戦うって、何とだよ。何のために。」

「何とでも。まっとうなことが自由に出来なくて、誰のための社会だ?たぶん、これを始めた奴も、こんなことを考えてたんじゃないはずだ。いつか、どこかで目的地につながっている道を間違ったんだ。もっといい道があるはずだ。イガ、俺たちはそれを見つけなきゃならん。そうでないと、この答えを見つけた意味がない。」

「あったりまえだい。俺だって幸せな暮らしを送りたいんだ。しゃーない。ムサシ、納得したから、やり方を教えろ。」

「わかってないな。それを自分で探すんだ。ま、とりあえずは」

「ここから逃げだしゃいいんだな。」

 ムサシはイガと笑みを交わした。ムサシは言った。

「いい感じだ。じゃ、行くぞ!」

 ムサシとイガは行けるほうへ走り出した。そちらは建物の中心部である。おそらく、何かが待ち構えている。しかし、とりあえずそちらに行くしか、術はなかった。


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