赤の魔歌 〜ハチのムサシ〜 p.9
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★ 感動の再会と、怯えるクリス |
「どこから入ったのかな、君たち。ここは私有地で、勝手に入ることは許されていない」 エミとクリスは、いきなり目の前に現われた3人に、足を止めさせられた。 「ここに、お兄ちゃんがいるんです」 エミが訴えるが、男は首を振って言った。 「ここには誰もいない。出て行きなさい」 「そんなはずはないわ。現にあなたたちがいるじゃない」 「エミ、言われる通りにしようよ。この場所、やっぱりどうもおかしいよ。戦略的撤退ということで...」 「嫌よ!ここで退いて、もうお兄ちゃんの情報が取れなくなったらどうするのよ。私はトルコ人タイプじゃないの!」 「明日出来る事を今日する必要はない、ってあれ?」 「そこの君、彼女を説得してくれないかな。さもないと、強制的に出て行ってもらうことになるんだが」 一人が流暢な英語でクリスに言ってきた。 「なんだ、英語がわかるのね、じゃあ、ごまかしも出来ないじゃない。仕方ない、強行突破よ、クリス」 「エミ、ぼくは君を説得するように頼まれてるし、説得したい気持ちでいっぱいなんだ。ねえ、エミ、やっぱり戻ろう。お兄さんは、ぼくがまた絶対に見つけ出すから」 「いいえ。実はね、もうお兄ちゃんに会いたくて我慢出来ないの。悪いけど付き合って、クリス」 「エミ、少しは人の言うことを...」 エミは左の女の膝を蹴り、身体を沈めて左足を軸に回転しながら、前の男の両足を払った。クリスは右の男に体当たりをして、右足をとって転ばした。そしてエミに続いて奥に向かって走る。 「あいつらはこっちに行かせたくなかったんだから、こっちに何かがあるはずよ」 「同感だね。でも、急がないと。もう、追っかけてきてるよ」 「わかってる。次の曲がり角で待ち伏せよう」 エミとクリスは曲がったところで止まり、追っ手が来るのを待った。しかし、つい今まで聞こえていた足音が聞こえない。 「あれ?」 クリスは慎重に慎重を重ねて、角から向こうの様子を窺おうとした。ほんの少し顔を突き出しかけたところで、クリスは胸元をぐいと掴まれた。 |
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「わあ」 「クリス!」 男はクリスを吊り上げた。クリスの足が浮いて、ばたばたしている。 「ここは探険ごっこをするところじゃない。さっさと帰るんだ」 静かな声がかえって恐ろしい。 「クリス!」 エミが駆け寄るが、男はクリスを離さない。 「お嬢ちゃん、素直に出て行く気になったかな」 「誰が!」 エミは男の向う脛を蹴った。さすがに痛かったらしく、男はクリスを下ろした。 「おいたはいかんな」 男がエミの方に近づいていく。 「サカラ、相手は子供だよ」 女が声をかける。 「わかっている。俺にもちゃんと良識ってものはあるんだ」 「どうだかね」 「さあ、おまえら...」 男がエミに手を伸ばす。と、その手が止まった。 「エミに触るな!」 クリスが男を後ろから羽交い絞めにしている。男はやれやれ、という顔をして、いきなり後頭部をクリスの顔面にぶち当てた。クリスは手を離し、うずくまる。男はゆっくりと振り向き、クリスの顔を蹴りこんだ。クリスは後ろにひっくり返り、顔面を覆った。 「クリス!」 「良識はどうしたの」 女が苦笑する。 「こいつらは良識を持って当たるような相手じゃないようだ」 「確かにね。何か、目的があるようだから、連れて行ってゆっくりと聞いてあげましょう」 「抵抗するなら、指導だな」 「そうね。この女の子に蹴られた膝、けっこう痛みがあるし」 |
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エミはクリスを抱き起こした。 「ふぁな」 クリスが言った。エミはクリスの眼を見て言った。 「なに?どうしたの?」 「まら、ふぁながおえふぁ」 「また、鼻が折られたって?」 エミの目が怒りで尖った。その肩に男の手がかかる。 「いい加減に...」 エミはその手を逆手で取り、右手を肘に当てて、自分の身体を沈めた。男はもんどりうって、エミの上を飛び越えて行く。エミはクリスの上を飛び越え、起き上がりかけた男の顔に、膝を飛ばす。油断していた男は、もろに顔面に食らい、ひっくり返った。エミはそのまま体重をかけていたので、男は後頭部を強く床に打ち付け、気を失った。 「こいつは!」 女が言って、ボウガンをエミに向けた。クリスはそれに気付いて、エミをかばおうと走った。走りながら、足に何か強くぶつかったような気がした。ちらと見ると、ボウガンの矢が刺さっている。 「え?」 クリスは転んだ。振り向いたエミに、クリスの足に刺さった矢が見えた。 「!」 エミの回りが、ボウと光ったように見えた。エミはものすごい勢いで地面を蹴った。クリスとすれ違いながら、エミは声をかけた。 「ごめん、クリス。危険を消して、すぐに来るから」 |
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エミは走りながら腰の後ろから何かを取り出し、びゅんと振った。それはたちまち、伸び、50センチほどの長さになった。女は殺到してくるエミに向かい、2本目を撃った。足を狙ってだが、クリスの方に飛ぶのを恐れて、エミは伸縮警棒で叩き落す。 「矢を叩き落とす?」 呆然と呟く女に、エミが突っ込もうとした時、間にもう一人の男が入った。エミが左から回す警棒を身を沈めて避け、上から叩きつける警棒を右半身を引いて避けた。 「キルケー、下がっていろ」 男はエミに相対したまま、女に声をかけた。そして今度はエミに攻撃を仕掛けてくる。身を沈め、低い位置からエミの手元に蹴りを入れてくる。警棒を飛ばそうとしているのだが、エミは左手を警棒に添えて受けるが、受けきれず、跳ね飛ばされた。エミはその勢いで2−3回床を転がるが、身を起こして踏みとどまり、そこから一気にダッシュする。男の左へ斜めに走り、そのまま壁に足を突き、壁の中ほどまで走り上り、横から男に飛んだ。男は避けきれず、エミの警棒を肩口に受けた。男の顔が歪む。しかし、男はそのままエミを掴み、反対側の壁に投げつけた。エミは空中で回転し、足から壁について、そのまま男に向かって飛ぶ。そしてまた回転し、男の顔面をかかとで蹴りつけ、その反動で猫のように四つん這いの格好で床に下りた。男もさすがにふらついている。エミはすっと立ち上がり、男に正対する。男の前で、エミの両手が左右に広がり、そして円を書くように身体の中心に集まる。 「あれは、いつか見せてもらった、ブドウの型だ...」 クリスは呟く。エミはその型の通りに、滑らかに男に近づいていく。エミの手は剣。エミの手は槌。エミの全身が研ぎ澄まされて、武器となる。エミの足は棍。エミの足は鞭。エミは残像が残るようなスピードで動いた。エミの舞いが終わり、エミは両手を合わせて、礼をする。その礼が終わる前に、男は倒れた。 「バサラ!」 女が叫ぶ。ボウガンをエミに向けて発射する。今度は足ではない。殺意を持って、エミの身体を狙っている。エミは右手をジャケットの襟元にかけ、振り出す。矢は、ジャケットの布地に刺さり、エミにまでは届かなかった。エミは手を回してジャケットを右手に巻きつけ、女に向かう。女はタイトスカートを捲り上げ、ナイフケースを露出する。そして、慣れた動作でナイフを引き出し、エミに向かう。エミはまた手を回してジャケットを広げ、女に向かう。女はナイフを電光の速度で払ってきた。エミのジャケットが切り裂かれるが、エミは下がるどころか、前に出た。 「バカね!」 ナイフをかざして笑う女の動きが止まった。掲げられたジャケット越しに、エミが女を見据えている。容赦ない、殺意のこもった瞳だ。そして、その切り裂かれたジャケットの隙間から、ボウガンの矢が女の喉下に届いていた。一歩でも動いたら、喉に突き刺されるだろう。 「あ...」 女が声をあげるより早く、エミは左足を軸に回転し、女の足を払う。女は舞いあがり、背中から落ちた。女は気を失った。 「シューッ、シューッ」 エミは息吹で呼吸を整えた。そこにいた人間はすべて気を失っている。エミは裂けたジャケットをさらに引き裂いて、女の手と足を縛る。縛ったところにボウガンの矢を差し込み、1回捻って、さらに固定する。これで、まずは解けない。男たちも同じように縛り上げ、ようやくエミはクリスの元に戻ってきた。エミはクリスの前に跪(ひざまず)き、目からぽろぽろと涙を零した。 「おお.クリス、クリス、大丈夫?痛くない?」 *** コジローが壁の染みを目で追っていると、傍らの腐ったヨーグルト色の電話が鳴った。コジローがでると、ゴブジョウだった。 「侵入者を確認、確保したとの連絡の後、入り口の警備と連絡がつかなくなった。確認を頼みたい」 「わかった。本筋とは関係ないのか?」 「関係ないはずだ。本筋の二人は、他に関わりはない」 「了解」 コジローはぶらりと歩き出した。この建物の中心に、一つだけ移動に使える階段がある。そこにコジローは配置されている。 「俺がいない間に、奴らがここに来たら」 コジローは考える。 「それは奴らがラッキーだってことだろうな」 コジローは階段を下りていく。天井が高い工場のため、通常の2階分の長さの階段だ。コジローは特に慌てることもなく、ゆっくりと階段を下りていった。 |
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クリスは空元気を見せた。 「ああ、大丈夫だよ。なんてことないさ。それより、あの3人は大丈夫?」 「大丈夫よ。みんな1ヶ所か2ヶ所は骨を折ってあるし、あの縛りは自分じゃ解けないから」 「いや、そうじゃなく、死んだりはしていないだろうね、ってことだよ」 エミはクリスを見た。目が剣呑に光っている。 「クリス、私を何だと思ってるの?殺し屋じゃないのよ、私は」 「ファントム・レディは人を殺さないしね」 「そんなことより、本当に大丈夫なの?鼻が折れて、足に矢が刺さっているのよ?正直に言って、クリス」 クリスはにやっと笑い、額に汗を浮かせながら言った。 「そんな言い方をされたら、OKでも気が遠くなっちゃうよ。実は、けっこうきついよ。でも、大丈夫。待っているから、お兄さんを捜しに行って来なよ」 「バカ!クリスをこんなところに置いたままで、行けるわけないじゃない。いいわ、帰りましょう」 クリスは驚いた。これは、本当に驚いた。 「そんな!あんな奴らに言われても退かなかったのに、こんなことで退いちゃうのかい?さっきはああ言ったけど、もう一度コジローさんを特定できる自信は、ぼくだってないんだ。今回のは、本当に運がよかっただけなんだ。駄目だよ、エミーリア。君はお兄さんを捜しに行くんだ」 「クリス、その汗はショック症状でしょう。私はクリスについていなくちゃ。出来るだけ早く病院に連れて行ってあげる。あんたをおんぶしてでも、連れ出してあげる」 「あの、申し訳ないんだけど、ぼくは今80キロを越えてるんだ。ちょっと無理なんじゃない?」 「連れ出してあげる。だって、こんなことになったのは、全部あたしのせいなんだから...」 下を向いたエミの瞳から、ぼたぼたと涙が零れる。クリスは進退に窮した。自分がエミを泣かしているのだ。でも、考えてみれば、いつもこんな感じであったような気もする。最初に話した時も涙を零していたし、ジョン・タジディの時も、コジローさんを見つけ出した時も、エミはいつもぼくの前で泣いている。エミは、泣き虫なんだ。 「ファントム・レディ」 エミはびくっとして顔を上げた。 「ファントム・レディがこんなところで泣いていていいのか?ファントム・レディは、必ず目的を果たすんだよ。それが彼女の誇り、だ。そうだろ」 エミは頷いた。 「とりあえず、応急手当をしてくれ。すべては、それからだ。レスキュー・キットは持ち歩いてるんだろ」 エミは頷き、慌てて鞄のところへ走ろうとした。その時、エミは止まった。クリスにもその理由はわかった。足音がする。ゆっくりと、こちらに近づいてくる。エミは再び戦いのオーラをまとった。クリスを傷つける奴らは絶対に許さない。エミはクリスの傍らに近づき、クリスの顔を覗き込んだ。クリスは諦めて頷いた。エミの顔が近づき、思わず目をつぶったクリスの唇に、柔らかい感触が残った。驚いて目を開けると、エミはもう曲がり角のところに行っていた。クリスは、目をつぶってしまったことを残念に思いながら、身体を壁に寄せた。 |
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曲がり角の向こうから足音が近づいてくる。一人だ。クリスをちらっと確認する。クリスはエミに視線を合わせ、片手を上げてみせた。クリスはまだ大丈夫だ。視線を戻し、右腕を十分に引き、左手を手刀の形にして、エミは気をためた。クリスを傷つけた奴らだ。エミに手加減する気はまったくない。よほどの心得がない限り、打ち込まれたものはただではいられないだろう。角を曲がってきた者に、エミは存分の気をもって打ち込んだ。 「おっと、危ない」 相手に直撃したはずのエミの攻撃は、柔らかく受け止められていた。 「どこの野犬が暴れているのかと思ったら、エミじゃないか」 この声。落ち着いた、明るい声。エミは目を大きく開いて、必殺の打ち込みを受け止めた相手を見上げた。 「……おにいちゃん……」 「こんなところにいたのか、エミ」 エミは体を開いて、コジローの身体に手を回した。そして、きつく抱きついた。コジローは左手でエミの身体を軽く叩きながら、頭を撫ぜている。しばらくそうしていてから、エミはぱっと顔を上げた。 「おにいちゃん、私の大事な人が大変なの」 「なんかおまえ、言葉変な。翻訳調になってるぞ」 軽口を叩きながら、コジローはクリスの足を見た。 「深くはない。抜くぞ」 言うより早く、コジローは矢を引き抜いた。 「ほ、ほごっ」 クリスはうめき声をあげる。 「エミ。消毒薬」 「はい」 エミはバッグの中から携帯レスキューセットを取り出した。手早く開き、消毒液と包帯を取り出す。治療の間中、クリスはおかしな声をあげて耐えていた。包帯を止め、コジローはクリスを見て言った。 「とりあえず、ここまでだ。できるだけ早く病院で見てもらえ。雑菌が入って化膿すると厄介だからな」 エミが通訳してくれた。クリスは脂汗を流しながら頷いた。 「事情が許す限り、早く病院にいけるといいな、と心から思ってます」 コジローは頷き、エミを振り返って言った 「外国にいたのか。道理で見つからないわけだ」 「捜してくれてたんだ」 「あたりまえだろう。おまえがずっと泣いてるだろうと思ってな」 そう言ってから、コジローは不思議そうにエミを見た。 「ずいぶん、たくましくなったようだな」 「アメリカじゃあね、女もたくましくないと生きていけないのよ」 コジローは嬉しそうに微笑んだ。 「日本でも、そのようだぞ。よし。思った以上に成長しやがったな」 「おにいちゃんは変わらないみたい」 「変わったさ」 そういったコジローがとてもつらそうに見えたので、エミは何も訊かなかった。かわりに、別の話題を持ち出した。 「絶対会えると思ってたよ。16になったら、日本に来て、お兄ちゃんを捜すと決めてたんだ」 「そうか。しかし、よくここがわかったな」 エミは得意そうにクリスに手を差し伸べた。 「彼が探し出してくれたのよ。コンピューターで」 コジローの目が細くなった。 「ほう。度胸だけでなく、頭もあるんだな」 「そうよ。すごいでしょ」 |
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クリスは自分が話題になっているらしいことは察したが、日本語がわからないので、きょときょとしている。そのクリスにコジローは右手を差し出した。クリスも右手を出し、がっちりと握り合った。コジローは真剣な顔をして言った。 「妹を頼むぞ」 クリスも言っていることはわかったので、大きく頷いて、手を握り返した。 「わかってます。エミは絶対、僕が守ります」 コジローは頷いた。エミは気になっていたことを訊いてみた。 「おにいちゃん、英語わかるの?」 コジローは真面目な顔でエミを見た。 「もちろん、わからん。勢いで理解しているだけだ」 「クリスは、エミを絶対守るって」 エミは夢見るような瞳で言った。コジローは笑った。 「ほら、大体合っている。話は山ほどあるが、後にしよう。まずは、彼氏を病院に連れて行くことだ」 「待ってる」 「だめだ。実はここはけっこう危険なんだ。離れていなさい」 「ここは危険なんだって、クリス」 「うすうす、そうじゃないかと思ってたよ」 クリスはぶつぶつと言った。 「じゃあ、離れて待ってる。急いで仕事を終わらせて来てね」 「ああ、わかった。ちゃんと離れているんだぞ」 コジローは立ち上がり、歩いていった。後姿がやけに寂しい。クリスは思わず声をかけた。 「頑張ってくださいね。エミが待っていますから」 コジローは一瞬振り返り、にやりと笑った。そしてまた向こうを向き、歩きながら手を振った。コジローは元来た方へ角を曲がり、二人の前から姿を消した。 |
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