微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の神話〜 p.3


魔歌 index back next

★ 謎は解けないけれど

 しかし、これは困難を極めた。ユウは喋れない。それだけなら、やりようはあるが、幼稚園児はまだ自分の言いたいことを相手に伝えるのがうまくない。ユウは自分を指して頷いた。やはり、ユウが進んで皆に場所を教えたのは確かのようだ。

「何でそんなことをしたんだ」

 ぼくはユウに聞いたが、ユウは下を向いて答えない。しばらくして、ユウは顔を上げて、公園で遊んでいるみんなを指した。そして、自分を指す。わからない。首を傾げていると、またみんなを指す。

「みんなと遊びたかったから?」

 ユウは首を傾げ、横に振った。ユウは腕を身体の前に伸ばして、輪っかを作る。そして、首を振る。わからない。ユウは立ち上がって、向こうを指した。ぼくも立ち上がり、ユウの指す方向を見た。何もない。首を捻っていると、ユウはぼくの手を掴んで、引っ張り始めた。訳もわからず、うちの方に引っ張られて行くと、案に相違して、うちに帰るのではなく、表通りの方に連れて行かれた。そして、角の一ヶ所に来て、ユウは止まった。ユウは大きな四角を宙に書き、手を広げたまま離れて、また走ってきた。この場所は、いつも幼稚園バスに乗るところだ。だとすれば、答えは簡単。

「幼稚園バス?」

 ユウは激しく頷いた。

「まあ、バスじゃないんだろう。幼稚園で、何かがあったんだな?」

 ぼくが聞くと、ユウは嬉しそうに頷いた。また、輪っかを作り、首を振る。しかし、そこまでだ。やっぱり、わからない。幼稚園で何かがあったから、ユウは秘密の場所を皆に教えたんだ。でも、その何かがわからなければ、ユウのしたことを認められるかどうか判断することが出来ない。たぶん、ユウにとってはとても妥当なことなのだろう。そして、3人の秘密という重みが、ユウには理解できていなかったことも確かだ。


 公園に戻ると、子供たちはほとんどいなくなっていた。暑くなってきたから、家に帰ったのかもしれない。もう一度木陰に座り、ぼくはユウと話をした。

「姉さんが3人だけの秘密の場所って言ったろ。あれは、3人以外には教えちゃいけないってことだったんだよ」

 ユウは泣きそうな目をしている。

「秘密の場所が、皆にわかっちゃたんで、姉さんは怒ってる。ユウは悪いことをしたつもりじゃないかもしれないけど、約束を破られたと思って、姉さんは怒ってるんだ。秘密は、守らなきゃいけないし、秘密じゃなくしたい時は、秘密を知っている人みんなと話して、いいよ、ということにならなけりゃ秘密を話しちゃいけないんだよ」

 ユウは頷いている。

「まあ、秘密について、考えが甘かったのはしょうがないね。今度から注意するんだよ」

 ユウは強く首を縦に振った。泣かないでこっちのことを聞こうとする態度には感心した。小学4年になっても、すぐ泣いて相手の言うことを聞かない子はいるからね。

「じゃあ、おもちゃを持って帰って、姉さんに謝るんだよ。ぼくも一緒に謝ってあげるから」

 ユウは顔を上げた。悲壮な顔をしているが、首を振り、自分を指した。

「一人で謝るのか。偉いぞ。じゃあ、ぼくは謝るところを見ていてあげる」

 ユウは悲壮な顔をしながら、それでも嬉しそうに笑った、んだと思う。とても複雑な顔だったんだ。


 結局、すっきりした結論は出せなかった。仕方ないので、話をいったん打ち切り、ぼくはユウと散らばっているおもちゃを拾い集めた。中には、見つからないものもあった。誰かが持っていってしまったのかもしれない。ぼくは気に入っていた、青いプラスチックの熊の人形がなくなっているので、またきりきりと心が痛んだ。

「くま、どうしたんだろう」

 ぼくが呟くと、ユウは思い切り心配そうな顔をした。たぶん、ユウも今はぼく以上につらいのかもしれない。ぼくはユウに声をかけた。

「まあ、仕方ない。回収したおもちゃを持って帰るぞ。いいな、ユウ」

 ユウは頷き、おもちゃを抱えて、とぼとぼと歩き始めた。首をうなだれて、ぼくの後ろをついてくる。その様子があまり可哀想だったので、ぼくは何度かユウと並ぼうとしたが、ユウは力なく首を振って、後ろに下がってしまった。


 姉さんに庭に出てもらい、ユウは集めてきたおもちゃを見せて、頭を下げた。姉さんはまだ怒っているポーズをとっているが、これ以上責める気はないようだ。でも、おもちゃをチラッと見た姉さんは、はっとしてもう一度覗き込んだ。

「くまは?ズクが大事にしてた、あの青いくまは?」

「いいんだよ、もう。もう子供っぽいから、捨てようと思ってたんだ」

 姉さんはぼくの目を見た。あからさまににバカにした顔をして、ふんっと横を向く。ぼくは嘘が下手なんだな、きっと。姉さんは、自分の物より、ぼくの大事にしてたものがなくなったことで腹が立ったらしい。

「いいから、いいんだってば」

「そんなわけないでしょ!あんなに大事にしてたのに」

 ユウは小さくなっている。姉さんは大げさに溜息をついてみせた。

「ズクは絶対そんなことはしなかったのに。ユウはなんで、私たちの世界を壊しちゃうんだろう」

「ユウは秘密ってことがよくわかってなかったんだよ。もう、ちゃんと教えたから大丈夫さ」

「だって、私たちのおもちゃをさ。場所だって、せっかく見つけたのに、もう秘密でもなんでもなくなっちゃったし」

 ぼくもそれを考えると、ずきりと胸が痛んだ。あれは、偶然見つけた、ぼくと姉さんだけの秘密の場所だったのだ。でも、ぼくたちは当たり前だと思っていたから、それをちゃんとユウに伝えられなかったところもある。後から来たユウには、もっとちゃんと教えてやらなけりゃならなかったのだ。

「姉さん、ユウには秘密ってことがわかんなかったんだよ。ユウは今まで一人だったから」

 姉さんははっとした顔をした。ここが姉さんのいいところだ。飲み込みが早い。姉さんはユウを見た。

「そりゃ、そうだね。じゃあ、今回だけは大目に見るか」

 姉さんは優しい目でユウを見て言った。でも、ユウは首をうなだれたままだ。ぼくはユウを元気づけようと、ユウの肩を叩いて言った。

「ユウはみんなとおもちゃで遊んで、みんなと仲良しになりたかったんだよな」

 ぼくのフォローに、ユウは首を振る。やはり違うのだ。ユウには、主張したいことがあるのに、それを伝えられないでいる。でも、ぼくにはそれがわからない。ぼくと姉さんは、首を振り続けるユウを、途方にくれて見つめていた。


 その日の晩御飯の時、ナミさんが言った。

「ユウ、元気がないみたいね、どうしたのかな。ねえ、何か知ってる?」

 ぼくと姉さんは顔を見合わせた。姉さんは、咳払いをして言った。

「ええと、今日、ユウが秘密の場所を皆に教えちゃったんで、私が怒ったの」

「そう。ユウは悪いことをしたんだ」

 ナミさんが言った。ユウはうなだれていた。

「でも、もうわかったから、大丈夫だよね。もうしないよね」

 姉さんの言葉に、ユウは頷いた。しかし、相変わらず元気がない。と、言うより、ものすごく落ち込んでいるように見える。ナミさんは、ちょっと心配そうにユウを見ていた。

 それに、ぼくはユウの言葉を理解し切れてないのが気にかかっていた。ユウは、秘密の場所を、皆に教えてしまうのを、いいことだと思ってやったのだ。それは間違いない。そして、その秘密は幼稚園にあるらしい。しかし、これではまったく何がなにやらわからない。ぼくは解けないパズルを前にして、いらいらしていた。それで、心配そうに見ているナミさんにも気付かず、ユウの方を睨んだり、考え込んだりしていたのだ。そのせいで、ナミさんが変に気を回しすぎているとも知らずに。


 その晩、お風呂に入った後、ユウがぼくのへやに来た。何で来たのかは見当がついた。ユウは、頭の横に手をやり、そのまま首の下までおろした。これは、姉さんのことだ。長い髪をイメージしているらしい。指を目の端に当てて、吊り上げてみせ、ぼくの顔を窺った。これは分かりやすい。ぼくは笑った。

「大丈夫、姉さんは全然怒ってなんてないよ。ちゃんとユウが謝ったからね」

 ユウは心配そうに見た。口をパクパクしてみせる。

「喋ってくれないって?それはね、照れてるのさ。ユウを悪い子だって決め付けちゃったから。恥ずかしいんだよ。それで、あまり喋りたくないのさ。そう思ってるんなら、謝ればいいのにね」

 ユウは首を振った。自分を指して、頭を叩く真似をする。

「違うよ、これはユウが悪いんじゃない。ユウに言いすぎたのは姉さんなんだから、これは姉さんの責任なんだよ。ユウのやった悪かったことは、もうわかって謝って、許されたんだ。今の姉さんのやった悪いことは、姉さんが償わなきゃいけないんだ。きっかけを作ったユウが謝ることじゃない。それは姉さんにもわかってるけど、意地っ張りだからな。ユウ、姉さんを許してやってくれ」

 ユウはまた首を振り、自分を指して、×サインを出す。

「だめだめ。それじゃあ、姉さんは余計恥ずかしくなっちゃうよ。自分が悪いってわかってるのに、ユウが謝ったりしたら。大丈夫、明日はもう、まったくいつも通りになるから」

 ユウは腕を組んで見せた。ぼくはまた笑い出した。

「少しはぼくを信用しろよ。いいかい、姉さんは、人の事を考えていないように見えるけど、実はすごく気を使っているんだ。ぼくのあだなの秘密を教えてあげよう。他の人に言っちゃ駄目だぞ。秘密の大切さはわかっているよな」

 ユウは大きく頷いた。

「よおし。姉さんがぼくをズクって呼ぶのは、ぼくがツクミが女みたいな名前で嫌だっていったからなんだ。そんなことを言ったら、せっかく名前を付けてくれた父さんと母さんが悲しむだろう?だから、父さん母さんには、嫌だなんて絶対言うなって言ったんだ。それで、一晩考えて、次の日からぼくのことをズクって呼ぶようになったんだ。父さんも知らないけど、それでぼくはズクっていうんだよ。姉さんが優しいって言うのはわかるだろ」

 ユウは笑ってうなずいた。

「じゃあ、明日まで待ちな。大丈夫だから」

 ユウは納得したらしく、部屋を出て行こうとした。ぼくは慌てて呼び止めた。

「おい、ユウ。まだ、幼稚園の謎は解けてないんだよな」

 ユウは頷いた。

「絶対解いてやるからな。覚悟してろよ」

 ユウは嬉しそうに頷いた。手を振ると、手を振り返して出て行った。

「やっぱ、幼稚園だよな〜」

 ぼくは幼稚園に行く方法を考えてみた。まあ、何とかなるだろう。


 夜遅く、子供たちも寝てしまった後の居間では、ナミさんが沈んだ顔でナギと話をしていた。

「きょう、ユウがテルミちゃんと喧嘩をしたみたいなんだけど」

「テルミと?ズクじゃなく?」

「ええ、何でも、秘密の場所をみんなに教えちゃったからって、怒られたみたいなんだけど」

 ナギは本を読みながら、ナミに答えた。

「別に、よくある喧嘩だろう?」

「喧嘩って言うより...ユウが一方的に怒られたみたいなのね。ユウがひどく落ち込んじゃってて。あんなユウは見たことがないぐらい」

 ナギは読んでいた本を置いて、座り直した。

「けっこう、大変そうなのかな」

「どうなんでしょう。でも、ズクくんもいらいらしてるみたいだったし、ちょっと心配になっちゃって」

「ズクがいらいらしていた?それこそ、初めて聞くな」

「そうでしょう?ズクくんもユウも普通じゃなかったし、テルミちゃんも、ちょっともじもじしていたから、いつもあるようなこととは別のことが起きてるような気がしちゃって、それでちょっと心配になっちゃったの」

「ううむ、テルミに限って、滅多なことはないと思うけど。俺より人間が出来ているくらいだし。でも、所詮は子供だからな。一人ならともかく、全員の様子がおかしいとなると、何かあるのかもしれないな」

「ユウは寝る前にズクくんの部屋に行ったみたいだし、その時はかえってうれしそうに出てきたから、大丈夫かな、と思うんだけど」

「テルミが子供っぽい正義感で、必要以上にユウを責めてしまったのかもしれないか」

「ユウは喋って自分の意思を伝えることが出来ないからね。ちょっと、そんなふうに考えちゃったの」

「まあ、注意して見ておこう。テルもユウも、そんな子じゃないと思うが、いつも出来過ぎているだけに、ちょっとしたことで行き過ぎてしまうことはあるかもしれないし」

「そうね。気にし過ぎないようにして、ちょっと注意してみるわ」

 ナミさんは言ったが、そう思った時点で気にし過ぎてしまっているものなのだ。人間は、先入観というものに、とても左右されやすい。そして、一度持ってしまった先入観は、なかなか消し去ることが出来ない。先入観を持った目で見てしまうと、全てがその方向を指しているように解釈することができる。ちょうど、あれ、占いの類と一緒だ。星座も手相も、血液型も四柱推命も、すべては示唆(しさ)と思い込みの産物だ。

 先入観というものは、つまりは思い込みであり、恐ろしいほど、その人間の思考と感情を縛り付けてしまう。そしてそれが思い込みかどうかは、傍で見てもわからないし、本人自身にもわからないのだ。本人がそれを思い込みだと思えれば、既にその呪縛から解き放たれていることを意味する。思い込んでいる間は、自分の思考が捻じ曲がっていることにすら気付くことが出来ない。先入観、つまり思い込みは、人間の持つあらゆる悲劇に大いに与(あずか)っている。シェイクスピアの著した悲劇を思い起こしていただければ、納得していただけるだろう。

 ともあれ、ぼくたちはその時、事態がそんなふうに動き始めていることに気付かなかった。ぼくにしたところで、ユウの謎解きで頭を悩ませていたことが、ユウの行動に対する不快感の表明ととられているなど、思いもしなかった。面目ないが、ふつう、わからないだろう?

 ぼくたち、子供の間では、相互理解に問題はなかったのだが、語られなかった部分を深読みした大人が、おぞましいイメージを作り上げ始めた。そして、それは次第に実生活に影を落とし始める。ないところに何かを作り出していくのは、どうしてこんなに簡単なことなのだろう。あるものをあるがままに理解するのは、どうしてこんなに難しいんだろう。人間と人間の間の問題は、きっといつもこうして作り上げられて、いつの間にか実体を備えて人々を傷つけてしまうんだ。

 − きのう、小人と話をしたよ。そこにはいない小人なんだ


魔歌 index back next

home