微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の神話〜 p.4


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★ 子供の世界と大人の決裂

 さて、大人たちがどんな思惑を持っているのか知らず、ぼくはユウの出した宿題を抱えていた。ユウと何度も話をしたが、やはりうまく理解することができない。ぼくはいらいらして、何度もきつい言い方をしたかもしれない。もちろんユウは、ぼくがユウの気持ちを理解したくて、そんなことをしているのがわかっていたから、一生懸命協力してくれた。しかし、傍で見ているナミさんは、それほど心穏やかではいられなかったようだ。時折、「そんなきつい言い方をしないでも、ユウはわかっているから」とか言われはしたが、ぼくは謎解きに夢中で、ナミさんの気持ちを慮(おもんばか)ることなど出来なかった。しょせん、ガキだったんだよね。

 ナミさんは、ユウがどんなに罵られても、反発しないのも歯痒かったようだ。罵られていると思っているのはナミさんだからね。ぼくは罵ったりしていない。ちゃんと筋道立てて話をしていたつもりだ。時に言葉がきつくなったにしても。

 それはさておき、最終的にぼくは一つの結論に達した。幼稚園だ。とにかく幼稚園に行かなければ、この謎を解くための鍵にたどりつけない。

「ナミさん、お願いがあるんだけど」

 ぼくはナミさんに声をかけた。ナミさんは明らかにびくっとしていた。不審に思いながら、ぼくは些細なこととしてその件を頭の隅に押しやった。まさか、ナミさんがぼくに対してある種の不信感を育てているとは思いもよらなかったから。

「なに、ズクくん」

「ぼくを幼稚園に連れて行ってくれないかなあ。ユウが遊んでいるところを見てみたいんだ」

 ナミさんは頭の中で忙しく足し引きを計算した。何が目的でこんなことを言うのかわからないけど、連れて行ってもいいかもしれない。ユウをいじめたりすれば、幼稚園の先生も見咎めてくれるだろう。私が言うよりいいかもしれない。そうすれば、この子は頭がいいんだからわかってくれるだろう。もし、何かあっても、私がずっと一緒についているんだから。ナミさんがそんなことを考えているとは知らず、ぼくはのんびりと言葉を続けた。

「いつでもいいんだけど。ナミさんの都合のいいときで」

「うん、大丈夫。きょうは?今日これから行く?」

 ぼくは驚いた。大人ってのは普通、子供の都合に合わせてくれることなんて、まずないからね。ぼくはここでも重要な信号を見落としてしまっていた。

「いいの?そりゃ、早い方がいいけど」

「ええ、全然かまわないわ」

 ナミさんはそのままユウを迎えに行くことにして、幼稚園に連絡をして、車で出かけた。ナミさんの運転で出かけることなんて滅多にないので、ぼくはけっこう、うきうきしていた。なんて、お気楽な子供なんだろうね。


 幼稚園は、ぼくも通っていた幼稚園だ。門を入るなり、担任だった先生を見つけて、走って行った。

「ズクくん、どうしたの。ああ、弟さんのお迎えかな?」

「うん。ユウはどこ?」

「桃組さんよ。ズクくんと一緒だね」

 なら、場所はわかっている。先生にお礼を言って、ぼくは園の中に入って行った。ナミさんは先生に挨拶をしている。もうお迎え時間が近いので、子供たちは教室を出て、園内を走り回っている。背伸びしてユウを捜すと、ユウは教室の外の遊び場にはいなかった。ぼくは遊び広場を横切って、2階の桃組に向かった。この幼稚園は、真ん中に遊び広場がある。ここはけっこう広くて、雨の日はみんながここで遊べるくらい広い。その両側に年少組と年中組の教室が並んでいる。年長組の教室は、2階だ。広場の部分は吹き抜けになっており、吹き抜けを囲うように廊下がある。教室は1階の教室の真上にあり、片側は舞台のあるクリスマス会とかをする講堂になっている。

 ユウは、桃組の教室の中にいた。ユウは、おもちゃの片付けをしている。他の子と一緒に、黙々とおもちゃを箱に入れている。

「ユウ!」

 ぼくの声を聞き、ユウはびっくり目をして回りを見回した。入り口で手を振ると、ユウはすぐ立ち上がって、ぼくの方に走ってきた。ユウの突進をがっちりと受け止めて振り回していると、ナミさんがやってきた。

「ユウ、おかあさんも一緒だよ」

 ユウはナミさんにも抱きついていった。ナミさんは困ったように笑っている。ユウはナミさんから離れて、またぼくのほうに寄ってきた。

「ユウ、きょうはお迎えなんだけど、本当の目的は、例の謎を解くことなんだ。ここなら、ユウの話がわかると思ってさ」

 ユウはぼくの顔をじっと見て、頷いた。

「じゃあ、教えてくれ。四角と抱っこの意味を」

 ユウはぼくの手を掴み、教室の中に引っ張って行った。

「教室の中なのか」

 ぼくは意外だった。てっきり、幼稚園バスに関係があるのではないかと思っていたのだ。ユウはぼくを、今おもちゃを片付けていた箱のところに連れて行った。

「おもちゃ箱?」

 ユウは首を振った。ユウはぼくに、鯨の縫いぐるみを渡した。そして、それを取り返し、抱きかかえた。まるで包み込むようにして、ぼくを見る。

「うん、あの時と一緒だな」

 ぼくはユウのジェスチャーを見て、首を傾げた。

「ぼくのものだからとるな?」

 ユウは少し首を傾げ、おもちゃ箱の上に覆い被さった。ぴんと来るものがあった。幼稚園の頃、こういうことをして、他の子におもちゃを渡すまいとする奴がいたっけ。ぼくはおもちゃ箱に手を伸ばした。ユウはその邪魔をして、おもちゃを取らせまいとする。ナミさんが近くで気を揉んでいた。

「ユウ、駄目でしょ、そんなことをしちゃ」

 おろおろしている。ナミさんはこんな状況を予想していなかった。ぼくがユウをいじめるどころか、ユウがぼくに意地悪をしているのだ。

「大丈夫だよ、ナミさん」

 ぼくは合点がいっていた。

「先生に言われたんだな、おもちゃを独り占めしちゃあいけません、って」

 ユウは起き上がり、頷いた。

「わかったぞ、ユウ。先生は、おもちゃを独り占めしちゃあいけません、って言ったんだな。おもちゃはみんなのものだから、って。一人で持っててもつまらない、みんなで遊べばずっと楽しいのよって」

 ユウはぼくに抱きついてきた。ビンゴだったようだ。だからユウはみんなに秘密のおもちゃを分け与えたんだ。確かに、これでユウの言い分はわかった。じゃあ、後はこれに合わせて、こちらの言い分を伝えればいい。ぼくはユウを座らせて、その隣りに座った。

「ユウがみんなに秘密のおもちゃを渡したわけはわかった。でも、それはちょっと違うんだよ。ものには、みんなのものと、ユウだけのものがあるだろ。たとえば、先生はみんなの先生だけど、ぼくはユウだけのお兄さんだ。姉さんも、ナミさんも、父さんもそうだろ」

 ユウは頷いた。

「おもちゃにも、二種類あるんだよ。みんなのおもちゃと、ユウだけのおもちゃが。幼稚園のおもちゃは、みんなのものだ。だから、みんなで遊んだほうがいい。でも、この間の秘密のおもちゃは違うんだ。あれは、ぼくと姉さんだけのものだったんだよ。姉さんはユウも仲間に入れたけど、それは、あのおもちゃが、姉さんと、ぼくと、ユウだけのものになった、ってことなんだ。ユウはナミさんを、他の子のお母さんにはしないだろ。だから、あのおもちゃは、みんなに渡しちゃいけなかったんだ。いや、いけなくはないんだけど、姉さんとぼくに聞いてから、みんなに貸してあげなきゃいけなかったんだよ」

 ここまで言って、ぼくはユウの顔を見た。ユウは少し泣きそうな顔をしながら、真面目にぼくの言うことを聞いていた。ナミさんはその様子を見てじりじりしていたが、謎が解けてご機嫌のぼくが、優しく話をしているのを見て、介入するのを思いとどまっていた。

「姉さんが怒ったわけがわかったね。知らなかったとは言っても、ユウは姉さんとぼくのおもちゃを勝手にばら撒いちゃったわけだから。でも、何であんなことをしたかわかんなくても、姉さんはユウを許してくれたろ。姉さんは、おもちゃよりユウのほうが好きだからさ」

 ユウの目から涙が零れた。

「でも姉さんも、まだもやもやしてるところがあるだろうから、ぼくから今日解けた謎のことを話すから。それで、姉さんとユウは、前とおんなじ仲良しになれるだろ」

 ユウはしゃくりあげ始めた。やっぱり、姉さんに嫌われたと思って、つらかったんだな。ぼくはもっと早く幼稚園に来なかったことを後悔していた。ユウが泣き始めたのを見て、ナミさんは我慢できなくなり、近寄ろうとした。そこで、ナミさんに声がかけられた。

「ユウ君のおかあさん、ちょっと待って下さい」

 ナミさんが振り返ると、ぼくの担任だった先生が立っていた。

「でも、ユウが...」

「ズクくんは、意味なく人を泣かすようなことはしません。すごく理屈っぽいけど、泣いている子を慰めるのが大得意なんです。ユウ君は、ここしばらく、ずっと元気がありませんでした。ズクくんは、どうやらその原因を取り除いてあげようとしていたみたいですね」

 ナミさんは、呆然としてユウとぼくの方を見た。ユウはぼくに抱きついて泣いていた。もちろん、ぼくはそれどころじゃない。ユウに体重をかけられて、ひっくり返りそうになっていたからね。

「ユウ君は、ズク君を信頼しきっていますよ。あの泣き方を見ればわかるでしょう。あんな泣き方は、普通お母さんの前でしかしないものです。ズク君は、ここにいるときも、大勢の子にあんなふうに頼られていました。理屈っぽいので誤解されやすいんですけど、ズク君は保母さんたち以上に、みんなの世話をしていてくれたんですよ」

 ぼくはこれ以上服を濡らされるのが嫌だったので、立ち上がってユウを引っ張り起こしていた。

「もう、泣く理由はないよな。じゃあ、久しぶりに回転滑り台をしたいから、行こう」

 ユウは頷き、袖で顔を拭いた。鼻が出ているが、もちろんぼくはそんなことは気にしない。先に立って走り出したユウの後をついて、ぼくも走って行った。


 ぼくは家に帰り、姉さんが帰ってくるのを待ちかねて、姉さんの部屋に行って、解決された謎を、大得意で公開した。

「そうね、そうだったのね」

 姉さんは嬉しそうに笑った。

「ユウはどこ?ユウに謝っとかなきゃ」

「じゃーん」

 カーテンの後ろに隠れていたユウが飛び出した。

「わあ!何やってんのよ、あんたたち!」

 ユウは姉さんのところに走り寄り、何度も頭を下げた。姉さんは笑いながら言った。

「いいのよ、わかったんだから。それより、ごめんね、ユウ。わかってあげられなくて」

 ユウは首を振った。そしてぼくを指し、×を出す。

「え?ぼくはバツ?」

 ユウは強く首を振り、ぼくを指して、何かを抱きしめ、×を出す。

「ぼくの心はバツ?」

 ユウは強く首を振る。また、謎が現われた?姉さんは机のところに行き、紙と鉛筆を取り出し、ユウを手招いた。

「ユウ、絵をかいてごらん」

 ユウは頷き、勢い込んで絵を描き始めた。覗き込んでいると、どうやら人型のものらしい絵が描かれている。顔と、体と、手と、足がある。首を傾げていると、ユウはいきなり部屋を飛び出して行った。出て行ったときと同じ勢いで駆け戻ってくると、ユウは持ってきたクレヨンで、青い色を塗り始めた。わかった。顔をあげると、姉さんもこっちを見ていた。ぼくらは頷きあった。

「青いクマさんね...」

 ユウは顔を上げ、頷いた。ぼくに向かって、頭を下げている。ぼくは、ちょっと言葉に詰まってしまった。

「気にしてたんだ、ずっと」

 ユウは真剣な顔をして、ぼくを見ている。ここで、うそはつけない。嘘をついたら、ユウは傷つくだろう。ぼくは、一つ考えていたストーリーを披露することにした。

「あのクマがどうなったか、知っているか?」

 ユウは目を丸くした。姉さんも目を丸くしている。いなくなってしまったクマのことを、ずっと考えていたぼくが、最終的に考えたお話だ。聞いて驚け。

「青いクマは、いい魔法使いに魔法を解かれて、秘密の場所から解放された。そして、冒険の旅に出たんだ。巨大な犬に襲われたり、子供たちに助けてもらったりしながら、実は今も旅を続けているんだ。深い洞窟の中を彷徨ったり、お城の中で王様に謁見したり(お会いすることだよ)、大河を流され、底なし沼に沈みそうになりながら、今も仲間たちの待つ、魔法のお城を目指して旅を続けているんだ」

 ぼくは話し終えた。ユウも姉さんもぼくをじっと見ている。

「すごい...」

 姉さんが放心したように呟いた。ユウも頷き、手を叩きだした。姉さんも一緒になって手を叩きだした。ぼくは拍手喝采に包まれながら、苦難の道を進む青いクマのことを思った。クマは元気な顔をして、ぼくに手を振って見せ、そのまま巻き起こる霧の中へ進み、姿を消していった。


 と、まあ、こんなふうに謎は解けてぼくはすっきりしたし、姉さんもすっかりユウと仲直りしたんだけど、大人たちはそうはいかなかった。ぼくがユウのことを気にかけていたとわかったから、今度はユウをいじめていたという考えが、すべて姉さんのほうに押し付けられちゃったんだ。ナミさんも聡明な方だと思うんだけど、自分の子供のことになると、どうにも見えなくなっちゃうらしい。ぼくたちがまったく気付かないところで、姉さんに対するナミさんと父さんの不信感は高まっていってしまった、というわけだ。どうにも困ったことだけど、ぼくたち子供には、まったくわからなかったね、そんなこと。


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