微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の神話〜 p.5


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★ 誤解は深まり、果てもなく

 そんなこんなで、ナミさんが買い物の帰りに公園を通った時には、ナミさんはちょうどユウと姉さんのことを考えていたわけだ。

「ダメ!もう一回!」

 ちょうどその時、考えていた当の姉さんの声が公園から聞こえたので、ナミさんはびくっとした。ナミさんが公園の中を見ると、姉さんと何人かの男の子が、鉄棒の向かいのブランコのあたりに集まっていた。で、鉄棒にはユウがぶら下がっていたんだ。


 ユウは、幼稚園で鉄棒の出来る子がいて、それを見て自分もやりたくなったらしい。公園で、鉄棒にぶら下がって悪戦苦闘しているところに、姉さんたちが来たってわけだ。姉さんはしばらく離れて、首を傾げながらユウの様子を見ていた。

「逆上がり、だな。あれは」

 一緒に見ていたハリが言った。ハリは痩せているが、運動はほぼ万遍なく得意である。姉さんも得意だが、とても敵わない。

「やっぱり、そうよね。足が鉄棒にかかっているのが解せないけど」

「足掛け上がりじゃないな」

「幼稚園でもやってるのかな」

 姉さんはユウに近づいた。

「ユウ、逆上がりの練習をしてるの?」

 ユウは頭を下にしてぶらぶらと揺れながら、頷いたらしい。と言うのは、首を振ったのだが、ぶら下がりながらなので、縦だか横だかわからないのだ。姉さんは、腰に手を当て、ユウに言った。

「いったん降りなさい、ユウ。手伝ってあげるから」

 ユウは複雑な姿勢を解いて、何とか足から先に降りることが出来た。

「もう一度確認するけど、逆上がりをやりたいのね?」

 ユウは頷いた。

「幼稚園じゃ難しいと思うけど...」

 姉さんは言った。しかし、ユウは首を振った。ハリが口を挟んだ。

「まあ、幼稚園でも出来る奴はいるし、やらせてみたら?」

 姉さんは首を傾げながらも、頷いた。

「まず、見本を見せよう」

 姉さんは、勢いをつけて地面を蹴り、ぐるっと回った。ユウは拍手をして、何度も頷いた。

「これでいいみたいだな」

 姉さんは鉄棒の上におなかだけでバランスを取りながら言った。ハリがその隣りを掴んだ。

「じゃあ、よくわかるように」

 ハリはまったく勢いをつけず、ゆっくりと鉄棒にぶら下がり、じわじわと足を鉄棒に近づけて、まったく勢いをつけずに尻をゆっくりと持ち上げた。腕の筋肉がきしきしと言っている。そのままゆっくりと身体を持ち上げ、ゆっくりと鉄棒を回って、姉さんの横に来た。ユウは目を丸くして見ている。

「あんたの、そういうところが嫌!」

 姉さんは顔を顰めて、イーっとした。しかし、すぐに笑い出し、言った。

「すごいね、ハリ。やっぱり敵わないわ」

 ユウは夢中で拍手をしていた。姉さんはユウを見下ろし、言った。

「こんな感じ。わかった?」

 ユウは頷き、すぐに鉄棒に飛びついた。

「ああ、手を伸ばしちゃダメだって。足は要らない、足は。肘でぶら下がってどうすんの。だから、足をかけたらどうしようもないでしょう。それじゃ、丸焼きだって。何でそんなに器用なの、今度は逆立ち?」


 なかなかに、困難を極める指導だったらしい。しかし、ハリと姉さんのつきっきりの英才教育で、形はどうやら理解できてきたらしい。だいぶさまになってはきたが、どうしてもお尻があがらない。ユウも、もう少しだと思っているらしく、一生懸命やっているのだが、最後の一あがりが、どうしてもうまく行かないのだ。ぼくも、最近ようやくマスターしたくらいなので、大きなことは言えないが、この、あと一歩って奴が、どうにも切ないのだ。ユウもかなり焦れてきたらしい。だんだん動きが雑になってきていた。

「ダメだよ、そんなに無理に持ち上げちゃ。勢いが死んじゃうから。回る勢いにうまく乗れば、すぐに成功するんだけどな」

 もうぴったりついているレベルではないので、ハリも姉さんも離れて見ている。ナミさんが姉さんの声を聞いたのは、ちょうどこの時だったんだ。


 ユウは本当にもうちょっとのところまで行っていたんだ。それで、姉さんはこつを掴ませようと、ユウのお尻の下に手を当てた。軽く押し上げれば、もう出来てしまうレベルまで来ていたんだ。でも、ユウは出来そうになってからは、一回も休まず、鉄棒を握り続けていた。手が汗をかいていて、しかも握力も弱ってきていた。あっと思ったときには手が滑り、ユウは落ちちゃったんだ。姉さんもすぐに支えようとしたんだが、とても支えきれない。ユウはけっこう勢いよく下に落ちた。かろうじて、姉さんが首筋を必死でつかまえていたので、頭から落ちることはなかったんだけどね。尻はかなり強く打ったんだ。姉さんはユウが落ちた恐怖と、何とか頭を打たなかった安心感で、ユウを怒鳴りつけたんだ。別に、無体なことじゃあないし、変な思い込みさえなけりゃ、ナミさんも納得できたんだろうけど。

「何やってんの、ユウ!危ないじゃないの!」

 ユウは半べそをかきながら立ち上がろうとした。その時、ついに我慢しきれなくなったナミさんが飛び込んできたんだな。ナミさんはユウを抱き起こし、姉さんを睨みつけたんだ。

「テルミちゃん!なんてことを!」

「え...」

 姉さんはナミさんの剣幕に驚いて、ここで言うべきもろもろのことが言えなかった。ハリが何か言ってもよかったんだろうけど、知らないおばさんが飛び込んできた時点で、びびっちゃったんだ。そしてもちろん、ユウは何も言えない。ナミさんから離れて、何とか説明をしようとするんだけど、ナミさんはユウを離しやしなかった。完全に雛鳥を守ろうとする親鳥の表情になってたんだ。無条件に全ての外界のものを敵として見る、あの目に。


 もちろん、姉さんに悪意なんてないし、ハリにしても、回りの子にしても一緒だったんだが、この時のナミさんはそんなことは考えられない。姉さんがユウに手を出して、ユウが落ちた。その上、落ちたユウを怒鳴りつけたんだ。ここだけ見たら、いじめているととられてもしょうがないし、ナミさんの中に、姉さんに対する不信感があった以上、避けようのないことだったのかもしれない。

 ぼくは後で、自分がその場にいたらどうだったろうと考えた。ぼくだったら、状況を説明できたかもしれない。でも、その時のナミさんにとっては、ぼくは多少見直されていたとはいえ、所詮は姉さんと同じ穴の狢(むじな)だ。都合のいいことを言って、いじめを誤魔化そうとしているとしか、思ってもらえなかったろう。

 本来は、もちろん励ましと危険を教えるつもりの言葉だった。姉さんはそれを伝えようと試みたが、ナミさんの目は完全に姉さんを拒否していたんだ。姉さんは、怖くなったんだろう。そのまま、何も言わずに、公園を飛び出していった。それを見たユウは、全身の力を込めてナミさんの抱擁から抜け出し、姉さんを追って行った。ナミさんは自分の手の中から抜け出ていった、守ろうとしたはずの子供の名を呼んだ。

「...ユウ?」

 ナミさんは途方にくれたような表情で、ハリを見た。ハリは目を逸らした。ついで、回りにいる子達を見回したが、皆目を逸らして、それぞれの遊びに戻っていった。ナミさんは買い物袋を脇に置いたまま、一人っきりで途方にくれたような顔をしてひざまずいていた。


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