微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜家族の伝承〜 p.3


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★ 姉さん(2)

「一番強いのは、自分を損なう行為や考え方だろうね。生物としてあり得ないものだから、本能から拒否されるはずだよ」

「自殺嗜好は?」

「ああ、ありゃ違う。変態性欲とは違うね。自殺嗜好自体は、命を絶つことが目的じゃないから」

「死にたいんじゃないの?」

「本当に死にたいんなら、簡単に死ねるさ。方法はそれこそ百万通りもある。日常の中で確実に死ねる方法だって山ほどある。自殺嗜好は死ぬことが目的じゃない。死ぬまでの課程をなぞるのが目的さ」

「それは死にたいってことじゃないの?」

「腹が減って飯を食いたいって言う人間が、飯を食わずにテーブル・セッティングを繰り返すことが目的になるかね。普通、テーブル・セッティングを省略しても食べ始めるだろう。行為への課程をなぞるのは、その行為がしたいからじゃない。他に目的があるからさ」

「他の目的?」

「自分が死のうとすることに対して、周囲がどう反応するかを見ることさ。自殺嗜好者は、必ず周囲にそれを知らせるんだ。悲観的なことを呟いたり、自殺に失敗して見せたりして。さっきも言ったように、本当に死にたい人間は、高いところから飛び降りればいい。でも、自殺嗜好者は、失敗できる方法をとるんだ。リストカットとか、首吊りとかね」

「失敗できる方法か...」

「手首を切って死ぬなら、斧か何かで手を切り落とせばいい。ナイフで傷をつけて死ぬには、よほど深く切らなくちゃならない。大抵はその前に気絶して、誰かに発見されるんだ。まあ、うっかり本当に死んじゃうこともあるだろうけどね。自殺嗜好者は、死が目的じゃない。その死を回りに突きつけることが目的なんだ。自分自身も含めてね。あれは、他人に対する寄り掛かり、甘えだよ。だから、俺から見れば、ちょっと擦り剥いたくらいで、怪我をしちゃったと言って、親に擦り寄る子供と、根本は変わらないんだ」

「厳しいね、あんた」


「話がずいぶん逸れたね。タブーの話に戻そう。今も言ったように、一番強いのは、自分を損なうものだね。次は一族を損なうもの。近親や、子孫、仲間を損なうものだ」

「一族を損なうものねえ...」

「自分の周囲の、自分の次に大事に思っている人間を損なうことだよ。まあ、これが人間以外の、美術品や無機物になることもあるけど、とにかく、大事なものを損なう行為だね。それがかけがえのないものであるほど、満たされる欲は強くなる」

「かけがえのないものって、何?」

「そりゃあ、色々さ。人によっても、時代によっても違う。禁忌っていうのは、自分周辺を損なう可能性があるもの以外は、結局、すべて人の思い込みだから。思い込みが強いほど、その思い込みを破った時の快感は強くなるだろうね」

「やっちゃいけないことをやることの快感なわけ?」

「そうだね。それだけだよ、変態性欲は。変態性欲の難しいのはそこだな。ほとんどはそれを見る、回りの人間の目が必要になるんだ。やっちゃいけないことをやっている、という非難の眼差しがね。もっとも、中には自分だけで完結するものもあるけどね」

「変態は回りに迷惑をかけるんだね」

「多かれ少なかれね。でも、考えて見れば、普通の性欲の方が、もっと迷惑をかけるケースが多いからね。他人にかける迷惑という意味では、変態性欲の方がましだね」

「それもなんだかな...極論過ぎない?」

「極論じゃなくて、切断面を限っているから言い切れるだけだよ。切り口はたくさんあるからね」

「どんなのがあるわけ?変態性欲って」

「そんなの、全部覚えてると思ってんの?」

「覚えてるんだろ」

「はい、すいません。覚えてます。んーっと、そうだな。あまり特殊なものを聞いてもしょうがないだろ。水道管愛好症とか」

「あるの?そんなの」

「まあね。たとえば、日曜大工ショップの片隅に並べられている水道管を見るだけで、ものすごく幸せな気持ちになれる人もいるし、地中にずっと埋まっていて、掘り出された水道管にだけ、烈しい愛着を覚える人もいる、らしい。専門のサイトもいくつかあるようだよ」

「あるようだよ、じゃないって。ちゃんとチェックしてるんだろ」

「はい、すいません。見ています。幸いなことに、全然わからなかったけど」

「ひょっとしたら、ガス管の人もいるんだろうねえ」

「そっちの方が業が深そうだね、何となく。それで、まあよくあるものだと、ネクロフィリアとか、露出狂、近親相姦に嗜糞症。一時期問題になった小児性愛なんてのもあるね。いわゆるロリータ・コンプレックスっていう奴。でも、社会的に問題になったのは、本当の小児性愛者ではなく、ただ単に成人女性と付き合うことが出来ない、人格未成熟者だったね。本当に小児にしか欲情できないんじゃなく、自分の思い通りにできる、都合のいい相手として、自分より非力なものを求めていただけだから」

「そのほうが犯罪的じゃんかよ〜」

「もちろん、そうだよ。いわゆる強姦魔と同じレベルだね。でも、異常性愛と犯罪は、別に因果関係を持っているわけじゃないから」

「学者は分類してレッテルを貼るだけってことか」

「そういうこと。自分の興味が向けば、原子爆弾だって生物兵器だって作ってしまうのが学者だから。倫理感は、学門には必要ないんだ。権力から見れば、そのほうが好都合だったりするしね」

「学者は人非人ばっかりなの?」

「違うって。学問自体には必要ないっていうだけ。その学問を具現化する人間には、倫理性をちゃんと持っていて欲しいけど、なかなかそうもいかないみたいで。ある程度の倫理観を持っている人間でも、敵国の人間は壊滅させてもいいと思っていたりするからねえ」

「あんた、人間嫌いでしょ」

「どっちかっていうと、そうかな」

「めっちゃくっちゃ、そうじゃない!」


「話が逸れてるよ。異常性愛について聞きたかったんじゃないの?」

「そういう風に、さらっと戻すか?」

「だって、どっちにしてもあまり発展的じゃないからね」

「まあ、そうかな。じゃ、話を戻そう。フェティッシュとかいうのは?」

「あれは性欲系。欲望の対象がシフトしちゃっただけのものだから。でも、広い意味では入るのかな。変態性欲って、本当に何でもありだから。たとえば快楽主義というものがあって、禁欲主義というものがある。どっちも、ある意味普通だよね。性欲を感じまくる時もあれば、別に感じないこともある。上の二つは、たぶん自然な欲求ではなくて、欲求以上に快楽を追及したり、欲求があるのに、無理に押さえ込んだりすることを言うんだろうけど、どうやって区別できるっていうのさ。自己申告以外に判断できる材料がないっていうのに」

「確かに、勝手におまえは快楽主義者だ、とか、禁欲主義者だ、とか言われても、反論のしようがないね」

「これも学者の好きなレッテル貼りなんだろうね。ちゃんとした基準も作れないのに、言葉だけが出来ているんだ。ちなみに、女子学生の万引きなんかでよく言われる、窃盗愛好症も変態性欲だからね。単なる欲求不満じゃないんだよ。放火愛好症も性欲なんだそうだ」

「身体の性欲っていうより、頭の性欲なんだね」

「そうそう、そんな感じ。猥褻語多用癖ってのもある。これだと、小さい子供はみんな変態か、ってことになっちゃうね。酔っ払って放送禁止用語なんかを連呼する人なんかは、もろこれに当てはまるだろう。単なる幼児退行じゃないかとも思うんだけど」

「そんなふうに何でもかんでも入ってきちゃうんじゃあ、それが本当に変態性欲なのかどうかなんてわかんないね」

「そうだね。人形愛は女の子のやる人形遊びとの境界が難しい。女の子のぬいぐるみに対する偏愛には、どちらだか区別しようもないものもあるし。動物愛好症や対動物色情狂ってのがある。これは人が動物に何かしようってことなんだろうけど、逆にインコや犬が人に身体をこすりつけてオナニーをするって知ってた?あれはどういうことになるんだろうね。動物から見た人間愛好症?そうなると、そういうものを、十把一絡げに変態性愛と呼べるのかどうかすらわからないよね」


「もう、ずいぶん前からついていけてないんだけど」

「獣姦の話が出たついでに、もう一つあるんだ」

「おい、少しは人の言うことを聞けぃ」

「変態性愛はたくさんあるんだけど、ほとんどの人間社会の中で禁忌とされているのは、獣姦と近親相姦だけなんだ。この二つだけは、他のものとは格が違うってことだよね」

「獣姦と近親相姦は別格なのか...」

「実は、獣姦と同性愛は同じものとして捉えられてたんだけど、最近は同性愛は認められる傾向にある。獣姦も、実は近親相姦ほどの禁忌じゃないんだよね。」

「何でだろうなあ」

「でも、近親相姦は、神話だとごく普通にあるんだよね。日本でもそうだし、西欧でもギリシャ神話なんかは近親相姦の宝庫だしね。キリスト教で、はじめてタブーとされたのかもしれない。まあ、神様たちは、よそから相手を見つけられるほど人数がいないせいもあるんだろうけど。神様の正当性を、純血主義で表すという理由もあるんだろうね。よそから穢れた血が入っていないっていう」

「純血主義はまずいんでしょ?」

「もちろん。生物的にもまずいよね。特性がみな同じになってしまったら、同じ原因で一族全部が死に絶えてしまいかねないから。やっぱり、ハイブリッドは強いのさ。性格がおかしくなったりすることもあるみたいだけどね。でも、最近の学説で面白いのがあるんだ。近親相姦は生物学的な禁忌とは無関係だという説。生物学的には、近親相姦をごく普通に行っている生物があるから、これはそれほど大きな問題じゃなく、実際はもっと別の要因でタブー化されているんじゃないかっていうんだ。」

「どんな要因で?」

「生物学じゃなく、社会学の範疇のタブーだっていうんだよ。同族間で婚姻を結ばないのは、外部とのコミュニケーション・ネットワークを広げる必要があるからだっていうんだ。同族間で婚姻が進むと、その共同体はどんどん閉鎖されたものになっていき、何かあった時にどこからの助けも望めなくて、滅びてしまうから」

「かなり強引な感じもするけど」

「強引さでいえば、遺伝子の話も一緒さ。同族間で混血することで遺伝子の異常が起こる確率は、薬品によるものや、喫煙、環境ホルモンや食品添加物で遺伝子異常を起こす確率に比べてはるかに低いからね。実際は本能で忌避されるのではないのかもしれない」

「たくさんある原因の中の一つだってことね」

「そう。この説が面白いのは、婚姻というのが、あくまでコミュニケーション・ネットワークを拡張するための代償であるという点。その共同体は、婚姻により外部に出る個体を諦めることで、その個体を提供した共同体とのつながりを得ることができる。それが。婚姻の持つ本来的な意味合いだっていうんだ」

「それって、結婚はすべて政略結婚であるっていうことだよね」

「さすが、姉さん。本質を一発で言い当てたね」

「納得できないな。恋愛だろうが見合いだろうが、結婚は結局全部政略結婚だなんて」

「ひとつの学説だからね。でも、まったくの空論じゃないし、ひょっとしたらこれこそ真実なのかもしれない。結婚に対する家の持つ感覚はこの理論の通りじゃないか。嫁に出す家は取られたと感じ、受入先は一家に入ったと受け取る。そして、今度は両家につながりができる。結婚制度と関係なく、この感覚は昔からあるでしょう」

「むー、そうかな」

「だからこそ、外部との接続を最大限にするために、血族間の近親相姦がタブーとされなければならなかったんだ」

「でも、やっぱり遺伝子の問題ってあるんじゃないの?」

「知ってる?血族婚の判断基準は、民族や共同体によってバラバラだし、数十年のレンジで変わっているんだ。今は、血族婚の範囲が狭まる、つまり禁忌が減る方向に進んでいるんだ。もし、遺伝子由来の本能の問題なら、政治的法律的な理由で変わるわけがないだろ?だから、先にあげた説も、まんざら根拠がないわけじゃないかもしれないと思うんだ」

「でも、学説がどうであれ、私はズクに欲情しないよ」

「俺も姉さんに性欲はまったく覚えないから安心して」

「そう言われると、少しむかつくのよね。いいことのはずなんだけど」

「大多数の人間は、いつもそばにいるからという理由で、その者に欲情することはないよ。たとえ血がつながっていても、いなくても」

「それもそうかな」

「だから、近親間性欲なんて言葉を作ってるけど、実際はただ単に波長が合うのが家族だったとかいうだけかも知れない」

「でも、当事者の両方がそう思うとは限らないでしょ」

「もちろん。その場合は、通常の異性間性愛とまったく同じプロセスがあるだけだよね。いわく、片思い、いわく、強姦」

「あぶないな。でも、つまりはそういうことなのか」

「そういう説もある、ってだけだよ。実際にどうかまでは、俺も検証しようがないし」

「ま、ね。考えてみたら、検証されたら困るわよ」

 姉貴と俺は噴き出した。確かに、検証されたら困るだろう。


「それでもさ、変態性欲としてあげられてるわけじゃない。その理由はなんだろう」

「それは、この行為自体が強い禁忌意識を持っているせいじゃないかな。おそらく、全人類共通の禁忌意識が。それを破るのは、掟破りの強い快感があるのかもしれない。変態性欲とされるものを成り立たせるのは、強い禁忌意識だからね」

「禁忌意識がなければ、ごく普通の恋愛と変わらないのか...」

「少なくとも、変態性欲としての近親姦性欲は成り立たないだろう」

「変態性欲には、禁忌意識が必須なのかあ」

「生活におけるスパイスのようなもんだね。ユウならOKだよ、お姉さん。精神的なタブーはあるし、生物学的なタブーはないし。おいしいとこどりだよ」

「何がOKだってのよ」

 話はさらにスカトロジーにまで及び、姉は胸を押さえて妙な顔をした。ぼくも、自分の言ったことを反芻してみて、気分が悪くなった。しばらく、頭の中で形作られようとしたものを一所懸命排除しようと努力した。何とかそれに成功したらしく、姉が伸びをした。

「ああ、気持ち悪かった。こんな話を弟としてるってのもまずいわよね」

「まあ、色気は絡んでないから、無駄知識のひとつとして興味はあるんじゃない?」

「普通、こんな弟もいないと思うけどね」

「姉もだよ、それを言うなら」

「ちげえねえ」

 姉と俺は笑った。姉は立ち上がった。

「長時間に渡るお相手をありがとう。でもさ、知識ばっか詰め込んで、実践を怠ると、いざと言う時、使えないわよ」

 姉はさっと出て行った。俺は頭をかいて、机に向かった。きょうはまだやりたい勉強があるのだ。意味のなさそうな内容で定義されている問題を、整った形に凝集させてゆく数式の美しさに感嘆しているうちに、頭の中で、俺は姉との会話をそれほど重要でなく、一定期間が過ぎたら廃棄可のエリアに、移動させた。そして、これはそのうちに、何の問題もなく、消えていってくれるはずだった。


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