黄の魔歌 〜ユニコーンの角〜 p.3
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年齢があがって、キスゲは幼稚園に入園した。幼稚園は混沌の坩堝だった。幼稚園中を走り回る子供。誰彼かまわず、髪をひっぱって歩く子供。泣き続ける子供。オムツを替えている子供。へやの隅を真剣にほじくっている子供。ひたすら絵を書いている子供。歌を歌っている子供。踊っている子供。笑っている子供。背中で移動している子供。先生にぶら下がっている子供。その子供たちを、数人の先生が追いかけている。キスゲは呆然として、その光景を眺めた。 そもそも、世界にこんなにたくさんの子供がいたのか?キスゲの世界では、いつもは3人、多くて5人。子供はいない。時々出かけて、大勢の人に会うことはあったが、それは自分とは関係のない人だった。ここの子供は、どうやら自分と関係があるらしい。回りを見回してみると、自分のようにぼーっと立っているだけの子供も何人かいた。彼らも自分と同じようなことを考えているのか?キスゲにはまったくわからなかった。 世界は、どうやら混沌に満ちている、というのがキスゲの新しい見解だった。この混沌と折り合っていくために、どうすればいいのか、というのが、キスゲの新しい課題だった。 それでも、キスゲは最善を尽くしたと思う。幼稚園中を走り回る子供や、泣き続ける子供、へやの隅を真剣にほじくっている子供、ひたすら絵を書いている子供、歌を歌っている子供、踊っている子供、笑っている子供、背中で移動している子供、先生にぶら下がっている子供は、実害がないので気にしなかった。オムツを替えている子供には、近づかなければいい。追いかけてくる先生には、素直に従っていればよかった。問題は、自分に実害が及ぶような場合の対処だった。 |
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最初の対応は、撃滅だった。いきなり髪をひっぱってきた子供を払いのけ、突き倒した。その子供は床に倒れ、大きな声で泣き出した。立っているキスゲに、先生の叱正が落ちた。 「キスゲちゃん、だめじゃない!お友だちを突き飛ばしたりしたら。」 お友だち?お友だちじゃない。しかも先にいじわるをしてきたのは、あの子だ。キスゲはそれを、先生に伝えようとした。 「その子が先に、髪の毛をひっぱってきた。」 「ひっぱられたら、先生に言ってちょうだい。注意するから。ひっぱられたからって、突き倒したりしたら、怪我をしちゃうでしょ?イタイイタイになっちゃうの。だから、こんなことをしちゃだめ。」 「うぇーぃ、おこられたー。」髪の毛を引っぱってきた子供が囃し立てた。 「こら、もんちゃん、あなたも悪いのよ?髪の毛を引っぱったりしたら、だめだって言ってるでしょ?」 もんちゃんとやらは、反省した様子もなく、向こうに跳ねていってしまった。先生は溜息をつき、キスゲのほうを見て言った。 「わかった?キスゲちゃん。」 キスゲは頷いた。 「よかった。もう喧嘩しないでね。」先生はそう言って立ち上がり、混沌の中に戻って行った。 |
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ほんとうは、先生に言いたいことはあった。あの子は、何度先生に言われても、髪の毛を引っぱるのをやめない。こんど引っぱられたら、どうすればいいのか。じっと我慢していなければならないのか。あの子が悪いことをやめないのに、自分がやめなければならないのは理不尽だ。 しかし、先生はもんちゃんも悪いことは認めてくれている。これ以上、先生を追いつめても、あまりいいことはなさそうだ。キスゲはそう思い、頷いたのだ。もんちゃんの攻撃を避けるためには、何か他の方策を考えなければならない。 今回わかったのは、先生がキスゲの味方というわけではない、ということだ。先生は、もんちゃんの味方でもない。先生は、みんなの先生だから、ひとり一人の味方にはなれないのだ。キスゲの味方になれば、もんちゃんが可哀想なのだ。もんちゃんの味方になれば、キスゲが可哀想になる。味方でない先生は、行動の基準にならない。場合によっては、キスゲの敵になってしまうからだ。 今までは、両親が行動の基準だった。今後は、他者に基準を求めることは出来ない。キスゲは、新たな行動基準を作らなければならなかった。 |