微量毒素

黄の魔歌 〜ユニコーンの角〜 p.4


魔歌 back next


 比較的、早い時期に規範に組み込めたのが、「定められた規則を守ること。」という項目だった。キスゲはいろいろ検討してみたが、これはこの形で確定して、問題がないように思えた。

 キスゲの通っている幼稚園には、室内プールがあるのだが、普段はプールのある部屋に入ってはいけないことになっている。もちろん、万が一の事故を防ぐためである。ある日、そこのドアが開いているのを、一人の子供が見つけた。ひとりが入り、二人が入りして、大勢の子供たちが入って行った。キスゲは、入ってはいけないのは、溺れてしまう危険があるからだ、ということを理解していたので、プールの部屋に入って、みんなに言った。

「みんな、危ないから、出なきゃだめだよ。」

「なんだよ、ぜんぜん危なくなんかないよ。」
 いつも理屈っぽくいろいろなことを言うキスゲに、反感を持っていた子供が、叫び返した。

「危ないよ。お水に入って、溺れちゃうかもしれないでしょ。」

「ぜんぜん、危なくないよ。お風呂とおんなじだもん。」

「だめだってば。危ないよ。」

 キスゲに反感を持っている子供は、キスゲの言葉に反抗するために、思いもかけない行動に出た。プールに飛び込んだのだ。一人が飛び込むと、子供たちは、次から次へとプールに飛び込んだ。呆然とするキスゲの前で、悪意を持った子供が叫んだ。

「ぜんぜん、大丈夫だよ、キスゲのうそつき。うそつきはえんがちょだぞ。」
「えんがちょだ。」
「えんがちょだ。」

 プールに飛び込んで、興奮しきっている子供たちは、口々に叫び始めた。
「えーんがちょ。」
「えーんがちょ。」
「えーんがちょ。」

 湧き起こったえんがちょの嵐に、キスゲは何を返すこともできなかった。幼稚園のプールは浅くて、注意していれば事故など起きないだろうということは知っていた。それでも、万が一ということを考えての規則であるということは理解していた。キスゲは正しいことをやっている。みんなが、規則で禁止されている、危険なことをしようとしている。だから止めようとしているのだ。なのに...

「えーんがちょ。」
「えーんがちょ。」
「えーんがちょ。」

 子供たちは狂乱し、キスゲに水をかけてくる。キスゲはじきにずぶぬれになった。キスゲはされるままになっていた。子供たちのかんだかい笑い声がプールの部屋に響き渡る。キスゲは両手を握り締めて叫んだ。

「なんで?危ないからだめなのよ。なんで、みんなわからないの?」


 先生が、騒ぎを聞きつけてやってきた。状況を見て、顔色を変えて他の先生を呼び、子供たちをあがらせた。キスゲの先生は、キスゲの顔を拭きながら、原因を聞いた。

「あぶないから、だめだって言ったのに、みんなプールに入っちゃったの。それから、みんなキスゲをえんがちょにしたの。」

 キスゲは、理解してくれる人が話しを聞いてくれたので、抑えていた涙が零れてしまった。先生には大体の状況がわかったが、身体を拭いて、頭を撫でてあげるくらいしか、さしあたりできることもなかった。

 プールに入った子供たちは、おやつ抜きにされた。子供たちは、自分たちが悪いことをしたのをわかっていたが、一部の子供はキスゲに恨みを持ち、それから、ことあるごとに、キスゲにいじわるをするようになった。キスゲは理解できなかった。自分が悪いことをして、罰せられたのに、なぜ?

 さいわい、先生がそのあたりに気付いており、早めのフォローをしていたので、それほどひどいことにはならなかったが、キスゲにとっては、解決しない大きな疑問が残ることになった。


《私は正しい事をしている。なのに、なぜ?正しいことが、すべてではないの?》

 キスゲは、そのような理不尽な行動に対する、基本方針を決めた。

《私は許さない。正しいことを最後まで進める。》

 キスゲは、こうするしかなかった。正しくないことを認めてしまうと、キスゲの行動規範自体が崩れてしまう。正しくないことでも、場合によっては認める?そんなことはできない。場合によっては、の場合をどう規定すればいいのか?一度例外を作れば、無限に例外が発生してくる。キスゲは、それがわかっていたのだ。

 キスゲは、上の基本方針に則って、行動した。問題はいくつもあったが、正しいことをしているキスゲが、不利になるようなことはなかった。いろいろなところでギクシャクしてしまうこともあったが、キスゲはこうして行動するしかなく、キスゲは次第に臆病になり、慎重に行動するようになった。これは、望ましいことではなかったが、今のキスゲには、こちらの方向に行くしか、なかったのだ。


魔歌 back next
home