微量毒素

黄の魔歌 〜ユニコーンの角〜 p.5


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 ある日、キスゲの幼稚園で、父兄面談が行われた。先生は少し首をかしげ、慎重に言葉を選びながら、キスゲの母親に言った。

「ものすごく、いい子です。頭もいいし、実行力もある。いじめられている子をかばったりもしてくれます。ただ、少し頑固なところがありますね。」

「ああ、それはありますね。うちの子は、正しいと思うと、なかなか意思を曲げてくれなくて。」

「悪いことじゃないんですけど、ほかの子供たちとの間で、ぎくしゃくしてしまうんですね。いい子なのに、もったいなくて。キスゲちゃんは、リーダーになれるような素質を、持っていると思うんですけど。」

「もう少し、大きな気持ちで考えるようにしてくれるといいんですけどね。いろいろお話しをして、わかってもらおうとしているんですけど、ここだけは譲ってくれないんですよ...」


 キスゲは、母親と先生が話しているへやの外で待っていた。大きな木の影が落ちた地面はまだらになっている。アリが忙しそうに地面を動き回っている。少し大きい、動きの早いアリだ。じっと見ていると、アリは日の照っているところと、影になっているところを、横切るとき、まったく躊躇しない。キスゲは手を伸ばして、光の当たっているところに出した。日光が手の甲をちりちりと焼くようだ。影の部分に手を移すと、熱い感じがまったくなくなる。

《ぜんぜん違うのに。》キスゲはアリに目を近づけた。やはり、アリは、日の当たるところと影を、環境の差として認識していない。つまりアリにとっては、日の光と影は、世界を構成する要素として、認識されていないのではないか。

《アリさんは、わかんないんだ。キスゲにはわかるけど、アリさんにはどっちでもおんなじなんだ。》

 キスゲは、新たな認識を得た。これが世界の謎を解く鍵になるのかもしれない。キスゲは、頭の中に、今の発見をしっかりとしまいこんだ。

《でも、キスゲにわかって、アリさんにわかんないことがあるってことは、アリさんがわかって、キスゲにはわかんないことも、きっとあるんだね。アリさんは、とってもいいことを教えてくれたね。どうも、ありがとう。アリさん。》キスゲは、アリさんに挨拶をして、立ち上がった。

 先生とお母さんの話はまだ終わりそうもない。キスゲは太陽に熱せられた、幼稚園の庭の匂いをかいだ。海の匂い、山の匂い。お父さんとお母さんの匂い。キスゲはこの世界が好きだ。きっと、ずっと大好き。おかあさんに甘えたい。おかあさんに、抱っこしてもらいたい。

 キスゲは振り向き、おかあさんと先生の話している教室のそばに戻った。入り口から中を覗くと、まだお話している。キスゲはそっとドアを開けて、中に入り込んだ。おかあさんがめっという顔ををしてこっちを向いた。でも、先生がもういいですよ、と言ってくれたので、キスゲはおかあさんの膝に取り付いた。

「何をしてるのよ、キスゲ。」お母さんの声も柔らかい。キスゲはうれしくなって、おかあさんの膝に頭をこすり付けた

「なにやってるのよ、キスゲ。」
 キスゲは頭をこすりつけながら、先生の方をチラッと見た。先生は笑っている。キスゲはなんとなくうれしかった。それからすぐにお話は終わり、キスゲはおかあさんと手をつないで、うちに帰った。


 その夜、キスゲの母親と父親は、面談のことについて話し合った。
「やっぱり、幼稚園でも頑固みたいなのよねー。」

「まあ、子供のころ頑固だと、大人になってから素直になるって言うじゃないか。」

「それは不細工−美人の法則でしょ。」

「そうだっけ?まあ、そうすると君なんかは、子供の頃、さぞ不細工だったんだろうねえ。」

「ここは怒っていいの、喜んでいいの?」

「怒るところだよ、もちろん。」
 父親は優しく母親を抱きしめた。母親もその腕に身をもたせかけながら、つぶやいた。

「でも、やっぱり心配よね…なんか、あの子は理屈っぽいところがあるから…」


 キスゲは小学校にあがった。幼稚園と違って、小学校はある程度の規律がある。キスゲはずいぶん過ごしやすくなったように感じた。しかし、やり過ぎると、大きな穴に落ち込むことになるのは、幼稚園時代と変わらない。キスゲは常に他人との間に距離を保ち、自分をおし隠すことを選んだ。

 小学校では、明るくて活動的な子が中心になってゆく。キスゲは中心になるグループの作る輪の、少し外側にいて、目立たないようにしていた。級友たちや、一部の教師は、キスゲを、頭はいいけど、ちょっとつきあいづらい子だと感じていた。何人かの教師は、キスゲが持っている素質を敏感に感じ取り、表に出そうと、いろいろ骨折ったが、キスゲ自身がそれを望まなかったので、ことはそれ以上進まなかった。

 親は、小学生になったキスゲの自立心を尊重し、あまり干渉しない教育方針をとった。考え方としては間違っていないのだが、キスゲは理屈っぽさと大人びた外見に反して、もっと両親に甘えたかったのだ。キスゲは少し寂しい思いをすることもあった。

 しかし、小学生時代は、いい先生にも会い、ふざけあう友達も大勢いて、まるで遊園地にいるような毎日を過ごすことができた。卒業してしまうのが悲しかった。いつも冷静なキスゲが涙を流しているのを見て、もらい泣きしまう先生もいた。キスゲは12歳、もう中学生になるのだ。


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