微量毒素

黄の魔歌 〜ユニコーンの角〜 p.7


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 ある日の昼休みに、キスゲが静かに本を読んでいると、いきなりその本を摘まみあげるものがいる。どうやら、書名を確認しているようだ。キスゲが顔をあげると、エツコが顔をしかめて背表紙を見ていた。頭が切れて物怖じしない彼女は、クラスの中でも独特の存在感を持っていた。

「近代社会における 農業の発展と都市化の推移。」

 エツコは眉間にしわを寄せたまま、書名を読み上げた。

「何、これ。」

「え?ええと、図書館の本です。」

「けんか売ってんの?あなた。キスゲ嬢は、なぜにこんな本を読んでるのか、って情報を得たいのよ、わたしは。」

「あ、ええと、あの、歴史の時間にありましたよね。近郊農業の話。それが少し面白かったんで、追っかけてたら、この本にたどり着いてるんです。まだ先があるかもしれない。」

「ふうん。がり勉、てわけじゃないんだ。」
 エツコは試すような目でキスゲを見た。

「いつもこんな本を読んでるの?小説とか、漫画とかは読まないの?」

「あ、もちろん読みますよ。そっちの方が、読むのは好き。」

「じゃあ、何でこんな本を読むのよ。」

「これは、自分でいろいろ考えてるうちに、知りたくなったから。いろんな人の考えや、行動を知るのは楽しいので。」

「じゃあさ、もっと現実の人間に触れてみた方がいいんじゃない?あなた、他人を拒否してるでしょ。本の中の人たちより、ずっと複雑で楽しいわよおん。ひょっとして、あなたはそれが恐いのかな。」

 キスゲは黙っていた。エツコは、キスゲの前の席に、キスゲのほうを向いて座った。エツコは急に顔を引き締め、きつい顔をして言った。

「じゃあ、職務質問をします。あなた、いつも夕方に、図書館から私を見てるでしょ。あなた、私が好きなの?そういう趣味があるの?ストーカーなの?」

「え、そんな。違います。」

「何が違うのかな。犯罪者はみんな、そう言うのよ。」

 エツコは人指し指でびしっとキスゲを指し、すぐに顔をゆるめた。

「なんてね。冗談よ。でも、あなたが見てるのは、ほんとよね。最初は私を見てるのか、って思ったけど、違ったわ。次に、テニスコートを見てるのかと思ったら、やっぱり違う。どうしても知りたくなって、わたし、一度部活動を抜け出して、あなたのいつもいるところに座ってみたの。その時、あなたはいなかったけど。」

「あ、たぶんそれ、私の部活の時だと思います。社交ダンスなんで、週2回しかないの。」
 エツコはうるさそうに手を振って、話を続けた。

「あなたが見てたのは、中学校生活だったのね。そうでしょ。」

 キスゲは面食らった。キスゲはそこまで考えていない。ただ、読書の合間に、校庭を元気に走り回る生徒を見たり、植えられている木が風になびいたり、次第に校庭が夕方の色に変わってゆくのを見ていただけだ。

「そう...かもしれない。」

「なんか不満そうね。少なくとも、私はそう感じたの。思わず、泣いちゃったわ。」

「はー。」

「何よ、そのぼけたリアクションは。せめて、そうよね、とか、わかるわ、とか言ってみたらどうなのよ。ま、いいわ。あなたも今度、今の知識を頭に入れて、前のように見てごらんなさい。きっと、わかるから。」

 そこへ、エツコが座っている席の子が戻ってきた。エツコはひらりと椅子から立ち上がり、またキスゲに指を突きつけて言った。

「わかったわね。こんど、必ずエツコの感性を通して見てみなさいよ。私の言ったこと、わかるから。」

 何も言えないキスゲを置いて、エツコはさっさと自分の席に戻って行ってしまった。キスゲはエツコの様子を時々窺ったが、エツコはさっきの事などまったく忘れ去ったふうで、キスゲのほうを振り返りもしなかった。


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