微量毒素

黄の魔歌 〜ユニコーンの角〜 p.8


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 それから一週間が過ぎた。昼休みに、キスゲが静かに本を読んでいると、いきなりその本を摘まみあげるものがいる。どうやら、書名を確認しているようだ。キスゲが顔をあげると、やはりエツコが顔をしかめて背表紙を見ていた。

「コールドウェル短編集。」

 エツコは眉間にしわを寄せたまま、書名を読み上げた。

「何、これ。」

「え?ええと、図書館の本です。」

「素晴らしいわ、あなた。もう一度、ぼけてもらえるとは、思ってもいなかったわよ。キスゲ嬢は、どんな本を読んでるのか、って情報を得たいのよ、わたしは。」

「あ、ええと、この作家のほかの作品を、アンソロジーで見たんです。けっこう面白かったから、この作家の作品を、探して読んでみているんです。」

「なるほどね。それはさておいて、クラスメートに丁寧語を使うのはやめて。」

「丁寧語...ですか?」

「そう。丁寧語だと、話が変わってきちゃうから。わかったわね?」

「あ、はい。努力します。う、努力してみる...」

「よろしい。で?」

「で?」

「で、どうだったのよ。見たんでしょ、図書館から。」

「ああ...」
 実は、キスゲはさっそく、その日に見てみたのだ。そうしたら、ほんとうに涙が零れたのだ。

 夕方になり、伸びる影と競うように走る生徒たち。次第に黒ずんでくる校庭。テニスコートで練習する生徒。あの中にエツコもいる。中学生時代。もうあと1年で卒業したら、この光景を見る事もない。そうしたら、この光景はどこに行くんだろう。私の中にしか残らないのかしら。

 でも、今はエツコの中にもあるし、きっと、もっとずっと大勢の人も、同じようにこの光景を胸に収めているんだろう。そして、みんな少しずつ違うピースを持って、ここから出て行って、2度と戻って来ないのだ。もちろん、私も。そのようなことを考え、キスゲは泣いたのだ。その涙は切ないけれども、甘い、不思議な涙だった。

「泣きました。」

「なんか、情緒のないやっちゃなー。なんか、もっと修飾語を使いなさいよ。まあ、いいわ。泣いたのね。」

「泣きました。」

「なんか、吉本新喜劇のメンバーと話しているような気分になってくるわ。で、で、よ。」

「で、ですか。」

「だったら、何で私に教えてくれないのよ。」

「え?教える?」

「なんであたしが、あんなことを言ったと思ってるのよ。」

「自慢したいから...」
「じゃない!」

「泣かせたかったから...」
「でもない!」

「私が好きだから...?」
「まったく間違い!!!」

 眉間にしわを寄せて考え込むキスゲに、大きな溜息をついて、エツコは言った。

「あなたとお話をするきっかけを作りたかったのよ、キスゲさん。」


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