微量毒素

黄の魔歌 〜折れた角〜 p.2


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 キスゲはエツ子のこと、両親のこと、子供のころのことを男に話した。初対面の相手だが、男が時折はさむ相槌は的確だった。キスゲは男の態度に、医者を思わせるものを感じたが、それは相槌の中に巧妙に隠されている、キスゲの知性、すなわち理解力、想像力を確かめるような要素を感じたためであった。

「真剣に聞いてくれるのはうれしいんですが、私の何を探っているんですか?」

「探っている?」

「私に何かやらせようとしているみたいですね。おっしゃってください、おじさま。」

「とってもHなこと...なんて答えでごまかせるような相手でもなし、と。その質問には答えられない。嬢ちゃんが話を続けたければ続けなさい。そうでなければ、うちへお帰り。おれはその方がいいと思うがね。」

 一瞬考えて、キスゲは男への質問をやめ、自分の話を続けた。しばらく話を続けた後で、キスゲはさりげなく訊いた。

「答えられないのは期限付きですか?」

「ああ、そうだな。」

 男は答えてから、キスゲの表情を見た。男がすぐに答えたことで、男が自分の話を聞いているのが、気まぐれなどによるものではないと言うことがわかった。目的自身はわからないが、それは今のところ問題ではない。目的を聞いたところから何かが始まるので、まだトリガーは引かれていない。キスゲはまた自分の状況を話し続けた。キスゲは話しながら、男がキスゲに何かを読み取られたのを悔しがっているような気配を感じていた。キスゲはそれを楽しんでいる自分を不思議に思った。キスゲの話が現在までたどり着いたとき、男は言った。

「まあ、きょうはここまでとしよう。また聞いてやるよ。その気があれば、だけどな。うちにお帰り。送っていってやるよ。」

「きょうは帰りません。電話を貸してください。」

「帰らないって...そりゃまずいよ。」

「何でですか。私は援助してもらうためにきたんですよ。泊めてください。」

「ばか言ってるんじゃない。帰りなさい。」

「帰りません。抱きたければ抱いてもいいから、もう少しここにいさせてください。お願いします。」

 男はあらためてキスゲの顔を見つめた。

「...そんなに追いつめられているのか?」

 濡れた服を乾かすために体操服に着替えていたが、キスゲは男と目を合わせずにジャージの上着を脱ぎ始めた。

「やめろ。」

 男はきつい口調で言った。男の怒りを感じ、キスゲは思わず動きを止めた。キスゲは男の目を見た。男はほんとうに怒っていた。

「もし同情を買うためにはったりでそんなことをしているのなら、おまえは下衆だ。もう話すことはない。そうでなければこの程度のことで追いつめられてしまうような人間に用はない。」

 男はキスゲを値踏みするように眺めた。

「違うな。おまえは勘違いをしているんだ。はじめて人に自分のことを聞いてもらい、理解されたと思っているんだ。確かに理解はしたが、感情は関係ない。ガキの恋愛ごっこにつきあう気はない。出ていってくれ。」

「洞察が類型的すぎます。どれも正しくありません。」

 キスゲは男の目を見つめた。男の目が不審に揺らいだ。

「わたしがここにいたいのは、あなたとの会話が楽しいからです。今まで、こんなにスリルのある会話をしたことはありませんでした。あなたが私に隠していること、それを推理しながら言葉を選び、推理の糸口をつかみながら話を交わすのは、ぞくぞくするほど楽しい経験でした。わたしは初めて他人と対等なコミュニケーションをとれた気がします。その楽しみは、自分の身体で購っても手に入れたいと思ったので、こんな行動をしたんです。私はほかに提供できるものを持っていないので...」

 男はキスゲの目を見つめ、耳をつかんでひっぱり、あごをつまんで親指で弾いた。

「わかった。おれが早まった判断をしたようだ。だけどな、支払いの手だてに身体を持ってくるのは馬鹿のすることだ。おまえの提供できる商品は、もっと価値があるものだ。少し手の内を明かしてやろう。おまえが俺との会話を楽しむように、俺はおまえとの会話を楽しんだ。言葉の駆け引きの楽しさは年齢、性別、人種などいっさい関係しない。おまえはそれを売りにできるんだ。おれのそれをおまえが自分の身体で購うだけの価値があると考えたように。もちろん、これは喩えの一つだがな。」

「私の話を聞いて楽しかったとおっしゃるんですか?」

「おれの言葉は言ったとおりに聞いて構わない。」

「それでは泊めてくださいますね?」

「...なんだよ、それ。」

「あなたにとっての私の価値が肉体でないのなら、ここにいても問題ありませんね。後は私の意思次第です。」

「すっげー、へりくつ。」

「家に連絡します。電話を貸してください。」

「あーあ、不良化の第一歩だぜ...」

 非難しているようだが、男の声は敗北を認めていた。あごをしゃくり、電話の場所を教え、キッチンに立っていった。キスゲは家の電話番号を回した。コールがかかると同時に受話器がとられた。


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