微量毒素

黄の魔歌 〜折れた角〜 p.3


魔歌 back next


 電話に出たのは、母親だった。

「キスゲ?キスゲなの?」

「かあさん...?」

「何時だと思っているの?エツコさんに電話したら、もうとっくに帰ったって...いまどこにいるの?」

「知りあった人の家にいるの。それで、きょうは外泊したいんだけど、かまわない?」

「......」

「男の人よ。でも大丈夫。変な人じゃないから。私ね、今、チャンスなの。私のやれることが見つかりそうなの。ムチャなお願いだってことはわかってます。でもお願い。もうこんなチャンスは二度とないと思うの。」

「でもおまえ...」

「だいじょうぶ。私がバカな考えにひっかかると思う?」

「......」

「ため息つく気持ちもわかるけど、お願いします。おかあさん。」

「今のため息はね、こんな時は、うそをついてくれたほうがいいのにっ、ていうためいきよ。わかりました。外泊を許可しましょう。だけど、連絡先を教えておいて。問題がないんなら、そこの番号を教えてもらっても、かまわないでしょ?」

「わかった。ちょっと待ってて。」

 キスゲはキッチンを覗いた。男は酒を飲み始めているようだった。

「ここの電話番号を母に教えてもかまいませんか?」

「あー、もう好きにしてくれ。電話にかいてある番号だ。」

「ありがとう。」

 キスゲは母親に番号を教えた。母親は電話をいったん切り、かけ直してきた。ちゃんとつながったことに安心して、今度は男を電話口に出して欲しいといってきたが、キスゲ自身、そこまでやってもらうべき相手ではないと思ったので、遠慮してもらった。母親はまだ心配そうだったが、引き際は心得ていた。

「いくら大丈夫と思ったって、どうなるかわかんないんだからね。注意してよ?」

「私が注意するって思ったら、スワットだってシャットアウトしてみせるわよ。その点は信用してもらえるでしょ。」

「そうね...」

「じゃ、おかあさん。明日は帰りますから。おとうさんによろしくね。」

「言えるもんですか。死んじゃうわよ。」

「うん...そうね...。かあさん?」

「なに?」

「心配してくれてありがとう。じゃ...」

 キスゲは電話を切った。いやな気分ではなかったが、電話を切る寸前の母親のうろたえる気配が、少し憂うつな気分を運んできていた。男はいつの間にかリビングの入り口に立って、水割りのグラスをもてあそんでいた。

「...正面突破か...なんでだ?」

「後ろめたいことをするわけじゃないから。私が悪いことじゃないって思っているなら、本当のことが言えるはずだから。自分でも自信がなかったんです。これが本当によくないことじゃないのかどうか。」

「自分を試したのか。どうにもきびしいねえ...」

「そうかな...」
 キスゲは気がついていないが、そういいながら見せる表情は、よるべなく、暗く翳っていた。

「親はだまされて安心していたいんだからさ、そういう気配りも必要なんじゃないか?」

「ごめんなさい。私はそういうことはできません。お水をいただきますね。」キスゲはキッチンに向かった。

「...だから追いつめられるんだよな...いや、追いつめてるのは自分自身か...」
 そうつぶやく男自身も似たような色を顔に浮かべていた。


魔歌 back next
home