微量毒素

黄の魔歌 〜打つも果てるも〜 p.3


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 ユカルは、刈り取りの終わったエリアを、しばらく眺めていたが、やがて歩き回って、岸辺をチェックし始めた。ユカルはコジローを振り返って言った。

「ねえ、コジローさん。このあたりは、斜めにえぐれてて、滑り落ちやすそうだから、柵か何かを立てといたほうがいいんじゃない?」

「まいった、ユカルさん。おれもそう考えて、木と針金を用意してあるんだ。」

「自分ひとりでやろうと思ってたのね。」

「ま、俺が勝手に始めたことだから。」

「いまや、ここは私の作業エリアでもあるのよ。私にも権利はあるでしょ。」

「いや、権利って言うか...大丈夫かい、ユカルさん。」

「何が、どう大丈夫かって?私はお嬢様じゃないのよ。肉体労働者なんだから。全然大丈夫。」

「しかたがない。じゃあ、午後もお手伝い願いますか。」

「よくってよ。では、お昼を食べてから、ここで。」



 どこから持ってきたのか、コジローは大きな木槌を持っていた。

「いったい、どうしたの、それ。」

「おばあの店で借りてきた。」

「おばあの店って。」

 ユカルは野原の向こうを指差した。コジローは頷いた。

「あそこで、杭と針金を買ったら、貸してくれた。」

「杭と針金なんて、よく置いてたわね。」

「ここみたいな所が、けっこうあるから、ニーズはあるんだろ。そういえば、帰ってくるとき、振り向いたら、男の子が女の子に引っぱられるようにして歩いてたな。男の子は、麦藁帽子をかぶってたっけ。」

「そう言えば、アイスキャンデーがおいてあるのよ、あの店。まだ春も浅いのに。」

「ちょっと変わってるよな、あの店。」

「でも、けっこういいおばちゃんだったわ。」

「そうだな。これも貸してくれたし。」

 コジローは木槌を持ち上げてみせた。

「じゃあ、始めましょう。」

 コジローとユカルは、二人で協議して、杭を打つ位置を決めた。ユカルが押さえて、コジローが打ち込む。地面は、枯れ草が長年積もってできているので、けっこう深くまで打ち込まないと、杭が揺れてしまう。10本ほど、打ち込んだところで、今度はユカルが打つことにした。コジローは危ぶんでいたが、ユカルの腰の座った打ち込みを見て、文句を言うのをやめ、持ち手に専念した。

「そろそろ変わろうか?」

 コジローの声に、ユカルは顔をあげ、コジローを見た。ユカルは、コジローの目を、まっすぐに覗き込んでしまった。ユカルは途端にバランスを崩し、足を滑らせた。幸い、川には落ちなかったが、けっこうショックを受けた。舌打ちをしながら登ろうとするユカルに、コジローが手を差し伸べた。ユカルは、何気なく、その手を取り、電流に打たれた。コジローを見上げたまま動かないユカルに、コジローは首を傾げた。力を入れて引き上げると、ユカルはぺたんと地面に座ってしまった。ユカルは、下を見たまま、言った。

「あのさ、コジローさん。決まっている相手っているの。」

「決まっている相手?」

「その、さ、一緒にいたい、って言うような人。」

「...」

 返事がないので、不審に思ったユカルは顔をあげた。逆光気味だったが、その表情は見えた。暗い、穴の底を覗き込んだようだった。この瞬間、コジローは冥界にいたのだ。ユカルは、コジローを通して、その風景を見てしまったのだ。ユカルは、コジローが尋常ではない精神状態になっていることがわかった。そう、ちょうど、初めて出会った、あの時のコジロー。しかし、ユカルも、それで引いてしまうような性質でもなかった。

「コジロー?コジローさん?」

「...なんでもない。」

 コジローの声は、遠いところから響いてくるような、歯軋りのような、錆び付いた歯車が回るような音だった。まだ帰って来ていない。ユカルは、立ち上がり、コジローの唇を吸った。


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