微量毒素

黄の魔歌 〜打つも果てるも〜 p.4


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 ユカルは口を吸いながら、コジローの目を見つめていた。どぶの中の、黒く震えるヘドロのような瞳。ともすれば、自分が取り込まれてしまいそうな狂気。ユカルは、目をそらさず、吸い続け、自分の生気、魂を送り続けた。虹彩が動き始めた。しばらくためらうように動いていた虹彩は、突然収縮し、ユカルの瞳を映し出した。

「あ...」

 コジローの唇が動いた。そして、ユカルの瞳に焦点が合い、一瞬ゆらいで、次にユカルを突き飛ばした。かなり強く突き飛ばされ、ユカルは草の中に沈みこんだ。起き上がったユカルの目に映ったコジローの表情は、嫌悪?憐れみ?哀しみ?怖れ?...あるいは、その全てを飲み込んだ表情だった。コジローは、ユカルを助け起こそうとするように、手を差し伸べて、歩き出した。1歩、2歩...コジローの足が止まった。その時に、コジローの面上に現れていたのは、間違いなく、純粋な怖れ。コジローは、ユカルを助け起こすことに、恐怖を覚えているのだ。

「コジロー?」

 ユカルは自分で立ち上がり、コジローのほうに近づいた。コジローは怖れるように、退いた。ユカルは、コジローの左側に行き、木槌を拾い上げた。

「コジローさん、支えて。」

 純粋な依頼に、コジローの体も動いた。ユカルは、木槌を振り上げ、打ち下ろした。杭は、確実に沈んでいった。ユカルは、泣きたい気分と、笑いたい気分の間を揺れ動いていた。ねえ、コジロー、何があったの?どうしてしまったの?二人は機械的に杭打ちを続け、針金を巻いた。だいたい、片がついたのは、夕方だった。余った資材をまとめ、刈った草をまとめ終わって、ユカルはコジローと向かい合った。ユカルはコジローに問いたかったが、コジローの目は、それを許してはくれなかった。

「ありがとう。きょうは助かった。」

 コジローは感情を見せない声色で言い、木槌を担いで、おばあの家のほうに向かって歩いていった。ユカルは、一緒に行きたいと思ったが、足が前に出なかった。さっき、コジローの見せた表情が、ユカルを動けなくさせていた。

 嫌悪?憐れみ?なんだろう、あの表情。私を完全に拒絶していた。なぜ?私のどこが悪いの?そりゃ、私は人殺しだけど、そんなのは、最初から知っていたはず。なんで?コジローの後姿は野原の向こうに消えてゆき、ユカルはオレンジ色の夕焼けの中で、コジローの行った方向を、ずっと眺めていた。やがて、日は落ち、あたりに闇が満ちたが、月が出て、野原を柔らかく照らしていた。


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