微量毒素

黄の魔歌 〜打つも果てるも〜 p.7


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 計画立案チームのメンバーの部屋には、基本的に本人以外の椅子やソファは置いてない。なぜか、プラタナスの部屋には、椅子がひとつ置いてあった。座り心地のよさそうな椅子で、殺風景な部屋に馴染んでいなかった。

「かけなさい。」

「いいの?なんだか、変な感じ。」

「椅子というのは、座るためにあるものだ。あっても座り手がいなければ、椅子も存在する甲斐がないだろう。」

「ほんっとに理屈っぽいね。骨の髄まで理屈でできてるんじゃないの?私があなたを抹殺する立場になったら、確認してあげたいわ。」

 ユカルは、照れ隠しに憎まれ口を叩きながら、いすに座った。プラタナスは微笑んでいった。

「それはご免こうむりたいな。確認されるのも、抹殺されるのも。で、わざわざ私の部屋まで来るなんて、いったいどういうことだ?君は組織のメンバーとの交流を嫌っているようだったが。」

「別に、あんたと交流したくて来たわけじゃないの。ちょっと、お願いがあって...」

「ほう。さらに興味深い。君は人に相談するようなタイプではないだろう。」

「ごめん。忘れて。帰る。」
 ユカルは、いたたまれなくなり、席を立とうとした。それを抑えたのは、プラタナスの言葉だった。

「からかっているわけじゃない。今言ったのは、そんな君がここまで来たのだから、そうとう追いつめられているんだろう、ということだ。私には、君をからかうつもりはない。倫理からではなく、利害がないからだ。コンピューター占いでも相手にしている気になって、話してみたらどうだろう。そのほうが言いやすいのではないかな。」

 プラタナスの言葉に嘘はない。ユカルは理解した。そして、途切れ途切れながら、話し始めた。そして次第に早くなり、最後は駆け足になっていた。話を聞き終え、プラタナスは、左手で額を押さえ、両のこめかみを指で押していた。ユカルはしばらく待っていたが、プラタナスがピクリとも動かないので、声をかけてみた。

「...あの...プラタナス?」

 プラタナスは額をつかんだまま言った。

「ああ、すまない。少し、考えさせてくれ。君の話が、どうやら私にも利害関係がでてきたようなので、両者をうまく合わせて解決する方策を考えている。もう少し、考えをまとめてみる。」

 ユカルは納得して、緊張したまま、背筋を伸ばして座っていた。しかし、プラタナスは動かない。計画立案チームは、いつもこんなふうに、固まって仕事をしているのか?ユカルは自分がやることを考えて、ぞっとした。変なことを考えて、体が動かしたくてたまらなくなったので、ユカルはそっと椅子から立ち上がり、猫族のような優美さで、プラタナスのへやの中を、音も立てずに歩き回った。そのユカルの足が、書類棚の前で止まった。椅子のように、いや、それよりさらにこの部屋に違和感のあるものが、視界に入ったのだ。

「なんだろう、これ。」
 それは実に妙な人形だった。整然と整理された書類とフォルダの前に、ぽつんと置いてある。それは、道を急ぐ、大勢のビジネスマンの間に、ガチャピンやムックが佇んでいるような、異様な気配を発していた。

「...見なかったことにしよう...」

 ユカルはそっと書類棚の前を離れ、いすに戻った。プラタナスはようやく手を額から離した。こめかみのところが赤くなっている。

「だいたい、方策がついた。話を聞いてくれ。」

「はい...」ユカルは神妙である。

「相手に何かを要求するというのは、相手に頼るということだよ。あなたは他人に頼るような訓練をしていないだろう。」

「練習がいるの?」

「もちろん。それは人類の能力の一つなのだから。体術と同じで、訓練すれば、どんどん上達していく。これも体術と同じで、やる気さえ、あればだが。」

 ユカルは椅子から立ち上がり、腕を組んで歩き回った。黄色いミニスカートから伸びた、見事な足が、気持ちよく動いている。ユカルはしばらく考えながら歩き回りった。...足が止まったのは、やはり書類棚の前だった。どうしても気になり、つい、訊いてしまった。

「なに、これ。」

「あ、それは、飾りのようなものだ。インテリアというか...」

「いや、なんなの、これ。」

「...うん、もんたろうくんだ。」

「もんたろうくん?」

 どうみても、プラタナスの趣味ではない。もし、そうだったら、ユカルは今後の人間関係を考え直さなければならないだろう。まあ、この人形の、回りの環境からの浮き加減から見ると、誰かが無理やり置いたとしか考えられない。とりあえずは、プラタナスが異常性格でさえなければいいのだ。ユカルはこれ以上の追求はあえて避け、自分の心配を続けることにした。

「どうすれば、能力を身につけることが出来るんだろう…」

 プラタナスはユカルを見て微笑えむ。

「『どうか教えてください』と言ってごらん。」

 揶揄するようなプラタナスの言葉に、ユカルはプラタナスを睨みつけた。しかしプラタナスは微笑んでいる。悪意は感じられない。ユカルはとまどった。

「これは能力を訓練するための第一ステップだよ。「どうか教えてください」と言ってみなさい。」

 ユカルは疑いをこめてプラタナスを見ている。

「あなたをだましても、俺には何のメリットもないんだよ。」

「私を笑い者にするかもしれない。」

「まあ、そうだね。私はあなたを笑い者にするかもしれない。それで?それが何だい?笑いものにされるのがそれほど重要な問題なんだったら、やめてもいいよ。何の問題もない。」

 ユカルはしばらく考えている。ユカルの頬が、次第に紅潮してきた。ユカルはプラタナスを睨みつけながら、決闘でも申し込むような調子で言った。

「どうか教えてください。」

 プラタナスは微笑む。
「よろしい。教えよう。私はあなたと一緒に、キスゲのところを訪ねたい。何か問題はあるかな?」

 ユカルは、痛くない方の歯を、間違って抜かれてしまった人のように見えた。

「あなたがキスゲをよく思っていないのは知っている。だが、これは私の切なる望みでね。これはあなたとキスゲのどちらにもメリットがあると信じている。納得してもらえるかな?」

「死ぬほど嫌なんだけど、いいわ。あなたの条件を受け入れる。」

「よろしい。それでは、キスゲのところに行こう。」

「今、すぐ?」

「そう。今すぐ。何か用事でもあるのか?」

「ほんっとに残念なんだけど、ないわ。いいわ、どこにでも連れてって。」

 ユカルは投げ遣りに言い放ち、椅子から立ち上がった。プラタナスがついてくるかどうか、確認もせず、ユカルは扉を開け、キスゲの部屋に向かって歩き出していた。プラタナスは、微笑みながら立ち上がり、ユカルと同じ方向へ、歩き出した。


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