微量毒素

黒の魔歌 〜序・破・急〜 p.4


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★ 妹らしくない妹

 コジローとアザミは、繁華街を通って、ウンディーネに向かっていた。もう11時近くであり、ほとんどの店は開いている。

「ほんとうに、ぼくが行ってもいいのかな」

「だから、話してあるって言ったろ。食費が浮くんだ、いい子にしてろよ」

「相手がどんなにスケベェでも?」

「おまえ、それはあてつけか?そんな人じゃない、と思う。話した限りじゃ、かなり厳しそうな感じだよ」

「奥さんも美人だし?」

「奥さんなのかな。はっきり聞いたわけじゃないから。その話題はちょっとやめておこう。微妙なところに引っかかるかもしれないから」

「難しいねえ」

「素性の知れない者を雇ってくれる、得難いスポンサーだからな。そこんところ、よろしく」

「嫌な人だったら暴れるぞ」

「頼むよ〜、アザミさん」

「だめ」

「あ、ここだ」

「へっ」

 話しているうちに、店についた。古いビルの脇に、狭い階段が口を開けており、その上に看板が出ている。「SNACK Undine」。中に電気が入っている安っぽい看板だが、割れや汚れがない。よく見ると、階段も綺麗にされていて、階段の壁もきちんとペンキが塗られている。どうにも怪しげだが、手がきちんと入っている。アザミはさーっと眺めて言った。

「怪しげだけど、ちゃんとしてるんだね」

「そうそう。ご主人もこんな感じなんだ」

 コジローが先に立って階段を登る。アザミは意識して、コジローの前に登るのは絶対に嫌だというのだ。

「思春期の娘は難しいなー」

 コジローはぶつぶつ父親のようなことを言いながら登った。


 階段を上ると、小夜子さんが踊り場を掃いていた。

「あらァ、ちゃんと来たのねン、少年」

「コジローです。こちらが連れのアザミです」

 アザミが階段を上りきって、ひょいと顔を出した。

「アザミです。よろしくお願いします」

 小夜子はアザミを見て、一瞬、チカリと瞳を見せたが、すぐに表情を戻して、微笑みながらコジローを招いた。

「コジローちゃん、ちょっと来てェ」

「はい」

コジローが近づくと、小夜子さんはコジローの腕をつかんでぐっと顔を近づけて、小声で言った。アザミは見ていて、なんとなくむっとした。

「お連れさんはお幾つ?」

「じゅ、18歳です」

「嘘でショ。ご関係は?」

 コジローの腕をつかむ小夜子さんの手に力が入る。

「い、妹、妹です」

 アザミは小夜子さんがコジローの腕をつかんでいるのが気に入らない。しかも、自分を目の前において、くっついてひそひそ話をしているなんて。アザミはむっとしていた。

「おばさーん、その人、すけべだから気をつけてくださいね」

 それを聞いた小夜子は、さらにコジローににじり寄る。

「妹じゃないわねン」

「……」

 コジローの表情が、なによりもそれが嘘だということを雄弁に物語っていた。

「危ない話があると困るのよン」

「危ない話?」

「未成年者との淫行は、それだけで犯罪になるのよン」

「い、いんこー!」

「もし、そういう話だったら、すぐにここを出て行って欲しいのよン。旦那様に迷惑がかかるからン」

 コジローは小夜子の目を見て、口を開いた。

「淫行なんてことはありません。俺はあいつを、あいつの故郷の町のご両親から預かってきているんです。傷つけたりすることは絶対しません。あいつは大切な預かり者ですから」

 しばらくコジローの眼を覗き込んでいた小夜子は、納得した様子で手を離した。

「じんときちゃう。やっぱり、旦那の見立てはすごいわァ」

 しかし、小夜子さんは釘をさしておくことも忘れなかった

「でも、いいこと?私にとっても、旦那は死ぬほど大事なのよン。あなたのアザミちゃんのようにねン」

 小夜子さんは目を開き、コジローに視線を打ち込むようにして言った。

「旦那を裏切ったら、許さないからねン」

「...はい」

「信頼って、大事よォ、ね?」

 小夜子さんはアザミを呼んだ。

「アザミちゃァん。こっちにいらっしゃいな」

 アザミはぷいと向こうを向いた。

「あれ」

 コジローはアザミのところに行った。

「何をやってんだよ。挨拶しろよ」

 アザミはくるりと振り向いて、コジローを睨んで言った。

「何を話してたんだよ」

「おまえのことだよ。おまえな、18歳になってくれ。頼む」

「18?いくら何でも、無理があるんじゃない?それ」

 アザミは苦笑いをして言った。こそこそ話している二人を、小夜子さんはこれ以上怪しいものはないという顔をして見ている。

「とにかく、頼む。おまえに俺の首がかかってるんだ、頼む!」

「いいよ。そういうことなら」

 アザミは小夜子さんのほうを向いて、笑顔を浮かべて言った。

「こんにちは、お姉さん。アザミ、18歳でーす。よろしくお願いしまーす」

「おお、お姉さん!凄腕だ...」

 コジローは拳を握り締めて感動した。小夜子さんはさらりと受け流した。

「小夜子でェす。こちらこそ、よろしくねン。倉庫、きたなかったでショ?ごめんね、あんなところしか紹介できなくてン」

「ああ、倉庫!」

 アザミはオクターブ高い声を出した。

「また始まるのか?」

 コジローは身を引いた。やはり、アザミの目は大きく見開かれて、きらきらと光っている。

「すごく、素敵です。あたし、あそこをもっともっと綺麗にしようと思ってるんです!どこをどうするか考えて、もうわくわくしちゃって!」

「また、「あたし」だ...」

 コジローは危惧の念をもって二人の様子を窺った。とりあえず、問題は起きていないようだ。

「うれしいわン、そんなに気に入ってもらえたなんてン」

 こちらもオクターブ高くなっている。コジローはおそるおそる、小夜子さんの顔を見た。

「伝染している...」

 小夜子さんの目は、アザミのそれとまったく同じように、キラキラと輝いている。覗き込むコジローにも気付かず、ひたすら自分たちだけの世界に入り込んでしまっているのだ。

「やはり、これは危険だ...」

 女性は、何かわからない神秘の法則によって、あの倉庫の話で、コジロー、あるいは男全般の不得意分野である、どこかが活性化されるようだ。

「夢みたいです。綺麗にしたら来て下さいね」

「すごォく、楽しみだわン。」

「下が倉庫、っていうのが、すごく魅力的で」

「手前は吹き抜けだしねン」

「そう、梯子で上るんです!」

「ちょっとした、離れ小島よねン」

「そうそう、二人だけの場所って感じなんですよね」

「きゃー、いやン、アザミちゃんのエッチ−」

 コジローは、しばらくこの二人から離れていた方がいいような気がした。なぜなら、やはりこのキラキラの伝染性は思いのほか強く、十分な気構えを持って対していたはずのコジロー自身も、何となくふわついた気分を持ち始めていたからである。コジローは、二人を日常に引き戻す方策を考え始めた。

「あの、お話中申し訳ありませんが、そろそろ食事の支度をしたほうがよくありませんか」

 二人はキラキラの目のまま、コジローのほうを向いた。コジローはうっとなったが、耐えた。

「そうねン、じゃあ、手伝ってェ」

「はい、お姉さま」

 コジローはがくっときた。凄腕過ぎるぜ、アザミ...

 かくして、3人はお喋りを続けながら、店に入って行った。もちろん、喋っているのは女性二人で、コジローはその後を肩を丸め、たそがれた様子で入って行ったのであるが。


「じゃあ、椅子を下ろして、お昼を食べましょ」

 3人で椅子をテーブルから下ろしていると、ヌマジリが倉庫から出てきた。

「おう、来たな、少年」

「よろしくお願いします」

「ねえン、あなたン。この子が連れのアザミちゃんだってェ。可愛いいでショ」

 小夜子さんの目は、まだキラキラが抜けていない。ヌマジリは一瞬身を引いたが、アザミの方を見た。アザミの目は、まだキラキラモード全開だ。少し退いた形で、ヌマジリは言った。

「...大変だろうが、頑張れよ」

「はい!あのおうちを貸していただいて、本当に有難うございます!とても素敵で、もうどうしようかって思っちゃって」

 ヌマジリさんは、少し眉間を開いた。

「昔、これもおんなじことを言ったよ。俺は、こんなひどいとこでどうしようかって思ってたんだがなあ」

 コジローは思わず聞いた。

「ヌマジリさんも、昔あそこに?」

「ああ。最初は本当に金がなくてな。とりあえず倉庫に泊まらせてもらったんだ。そしたらこいつが喜んでな」

 小夜子さんは、アザミのリフォーム計画を嬉しそうに聞いている。こちらの言葉なぞ、まったく耳に入っていない。

「結局、3年あそこで過ごした。ある程度金を貯めて、普通のアパートに移ったんだが、こいつは涙をぽろぽろ零してな。いや、あの時は往生した」

「私にとってはねン、あそこはどんな豪邸より素敵なところだったのよォ。だって、あなたと初めて一緒に暮らしたところだったんだからァ」

 聞いていないようで聞いている。だから女性は怖い。

「わかります、その気持ち」

 二人はまた自分たちの世界に戻っていった。

「それで、店が軌道に乗ってから、あそこを買い取ったんだ。かなり無理したけどな」

 コジローは頷いた。ヌマジリさんは、ほんとうに小夜子さんを大切にしている。

「贅沢だとは思ったが、今はけっこう重宝している。倉庫は便利だし、時に変なものも迷い込んでくる」

 ヌマジリさんはコジローをじろりと見た。コジローは頷いた。

「助かります」

 ヌマジリはコジローを疑うように見ていたが、頷いて言った。

「まあ、そんなわけだから、住環境は最悪だが、しばらくあそこで頑張ってみろ。余裕が出来たらアパートでも何でも借りればいい」

「いやだよ、ぼくは」

 話に熱中しているはずのアザミが、こちらを振り返って言った。これだから女ってやつは…

「最長記録は小夜子さんたちの3年なんだって。それを越してやるんだ」

 コジローは何か熱いもので胃袋をつかまれたような気がした。ここは長くても3ヶ月で離れるつもりだった。ある程度金を稼いだら、また出て行く。そんな暮らしを続けるつもりだった。アザミの言葉は、コジローにかなりの負担を与える二者択一を迫るものだ。アザミの気持ちはかわいい。しかし、コジローには捜さなければいけない人がいるのだ。

「一年もいりゃあ、絶対にいいところに移りたくなるさ」

「そんなことない!」

「まあまあ、アザミちゃん。先のことは先になってから考えりゃいいのよン。それより、カーテンの色の話だけどさァ、ぐっとシックに深い緑色なんてのはどーォ?それとも、やっぱりピンク色なんてのもかわいいけどねェ」

「明るい紫色なんてのもいいかな、って思ってるんですけど」

「まァ、大胆。紫って、肌の色が映えるのよねェ」

「肌の色?いやだァ、小夜子さん!」

 アザミは赤くなって小夜子さんに手を振り上げている。振り上げたまま、少し考えてコジローの方をチラッと見る。コジローは物思いに耽っているようだ。アザミは手を下ろして、ふー、と溜息をついた。小夜子さんはアザミの様子をチラッと見て、手を叩いて言った。

「ほらほらァ、いつまでもご飯にならないから、ダーリンの眉間に皺がよってるわン。じゃあ、支度、手伝ってねン」


 みんなの協力で、しっかりした定食形式のご飯が出来(これでないとダーリンが満足しないのだそうだ)、しばらく静かな食事時間が続いた。

「ごちそうさま」

 食事が終わり、またひとしきり騒ぎながら洗い物をして、昼食は終わった。アザミは服を調え、頭を下げた。

「ごちそうさまでした。ぼく、そろそろ行きます。あの家の掃除をしなくちゃならないから」

「そォ。頑張ってねン」

 小夜子さんは微笑んで言う。アザミはヌマジリさんに頭を下げ、出口に向かった。コジローはその後を追った。アザミはさっさと階段を下りていってしまう。出口のところで、コジローはアザミに追いついた。アザミは振り返って不思議そうに言った。

「何?」

「大丈夫か?一人で」

「ぼくは子供じゃない、大丈夫だよ。コジローこそ、ちゃんとしなよ。ガキなんだから心配だ」

「おまえな...小夜子さんとはうまく行きそうかな。無理するんじゃないぞ」

「ぼくは誰とでもうまくやっていけるよ」

「いや、何か、出てく時に元気がなかったんで、気になってな」

 アザミはコジローをじっと見つめた。

「...わかっちゃったのか。これだからコジローって...」

 アザミはコジローを見つめ続けていた。コジローの居心地が悪くなるくらい、十分に長く。

「ぼくが元気がなくなるとしたら、それは全部コジローのせいだよ」

 アザミは言い捨てて、くるりと向こうを向いて歩いて行った。

「おい、そっちは倉庫じゃないぞ」

 アザミは振り向かず、右手を高く上げて言った。

「買い物」

「ああ」

 アザミはそのまま歩いて行った。コジローは首を傾げた。

「俺のせいかよ。まったくわからん」

 ここにずっと立っていても分かってくる当てもなかったので、コジローはウンディーネに戻った。


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