黒の魔歌 〜序・破・急〜 p.5
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★ 仕事初日 |
コジローが仕事を探してスナックの中を見回していると、ジリさんが声をかけてきた。 「その頭」 「はい?」 「いや、まあいい...まずは掃除だ」 「わかりました」 ジリさんはまた椅子を机の腕に上げた。コジローも、来た時になっていたように、カウンターの椅子をカウンターに乗せ始めた。小夜子さんはその下を丁寧に箒で掃く。 「モップ!」 ジリさんの声が飛ぶ。コジローは裏に行き、モップ用のバケツとモップを見つけた。バケツに水を入れ、店のほうに持ってくる。モップを水につけ、足でペダルを踏んで絞る。 「きつく絞れよ」 「はい」 コジローはきりきりと絞り上げ、店の隅から拭き始めた。 「もっと力を入れて」 「はい!」 コジローは、モップを床に突き刺すように、ガシガシと拭き始めた。 |
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アザミが昨日、お店を開かせてもらったところに行くと、もうテーブルが出してあった。店を覗いて挨拶をすると、四角い顔の店主が返事を返してくれた。 「よう。遅かったな」 「うん。家の片づけをしていたんで」 「そりゃ、いいことだ」 アザミは店主が出しておいてくれた机の上を拭いて、荷物を広げた。アザミが人形をチェックしながら並べていると、店主が店から顔を出した。アザミは店主の方を向き、首を傾げた。店主は用事があるようなのだが、何か言い出しかねているような風情を見せている。アザミは言った。 「どうしたのさ」 「あ、おお、その、な」 「うん」 「実はな」 「はい」 店主は口を閉じ、しばらく黙っていて、やがて何かを決心したような様子で、店に入った。 「?」 アザミがそちらを見ていると、店主が出てきた。ビニール袋を持っている。 「人形の材料がいるかと思ってな」 袋の中には、和服の生地や帯の切れ端、様々な布地の切れ端に、和紙のはぎれ、革の切れ端、ボタン、真鍮や銅、アルミの細いパイプの切れ端まで、様々なものが入っていた。アザミは目を丸くした。 「いや、ゴミだからな。いらなきゃいいんだ」 アザミがそのまま動かないので、店主はしおしおと持って戻ろうとした。 「ううん、ありがとう。すごく嬉しい。ここじゃあ新しい材料が手に入らないから、売り切ったら終わりだと思ってたんだ。それにこんなに色んな材料!いっぱい色んなものが作れそうだ。ありがとう、おじさん。大変だったでしょう?」 「いや、物のついでに商店街の連中に声をかけたら、いろいろ出してくれてな。大したことじゃない」 アザミも、店主が色々な人間に声をかけて回るのが得意でないのは分かっている。だからこそ、大事な家族が出て行ってしまっているのだろう。でも、あまりに感謝したら、またおじさんの気持ちが引っ込んでしまうだろう。もう、心は開き始めているのだから、静かに見ていてあげた方がいい。アザミは、感謝の気持ちを一言に込めていった。 「おじさん、本当にありがとう」 「だから、何でもないって」 「いつまでも、おじさんって言うのもいやだな。ねえ、名前を教えてもらってもいい?」 「ああ。俺はサカイだ」 「ぼくはアザミ。言ったっけ?」 「聞いたよ。じゃあ、アザミ。腹を減らしている客がいるから、行くぜ」 「うん。みんなにおいしいものを作ってあげて、サカイさん」 「おう」 店主はのしのしと店に戻った。アザミは袋をうっとりした目で覗いて言った。 「すごい力があるよ、この端切れたちには。サカイさんの気持ちと、それに応えてくれたみんなの気持ち。あ、この真鍮パイプ...」 アザミは袋の中から、真鍮パイプを拾い上げた。しばらく、ためつすがめつして、アザミは悪戯っぽく呟いた。 「誰かさんに似てる。これで作ってみよう。ぼくは、これかな」 アザミは毛糸を眺めて言った。 「ずっとずっと先。きっと、そうなる。ぼくの髪はずっと伸びて、ぼくも自分で道を見つけられるようになるだろう。そうしたら...」 アザミは黙った。しばらく、じっと真鍮と毛糸を眺めていたが、やがてぽつりと呟いた。 「ずっとずっと先?……この言葉を使うんじゃなかったな」 アザミの目は、暗く翳っていた。アザミは材料をかき回して、人形作りを始めた。人口灯の中で、そのアザミの姿は、はっとするほど寄る辺なく見えたが。 |
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かたん... カウンターに積み上げられたアイスペールの中で、融けた氷が崩れる音がした。ウンディーネから最後の客が出て行って、10分以上が経過した。3人とも動く気配がない。 「さすがに、疲れたな」 「11時に入った団体さんよねン...」 「よく飲んだよな、あの連中。おい、少年。大丈夫か」 「ちっときつかったけど、大丈夫っす」 「まあ、こんなもんだ。雨の日はぐっと楽だが、儲からん。これぐらいで、何とか稼ぎになる程度だ。どうだ。やっていけるか?」 「ご心配、有り難いですが、農家の手伝いやダム建設手伝いをやってきてますから。まだまだOKですよ」 「週末はこの十倍は忙しいわよン」 コジローもさすがに頭を垂れた。 「そうすか...」 「土相手と違って、こっちは人間相手だ。疲れはこっちのほうがきついだろう」 「...そうかもしれませんね」 「まあ、無理すんな。こっちはおまえさんが来てくれたんで助かるが、二人でやって出来ないことはない。無理するのなら、そのうち給料をあげてやろう」 「感謝します...」 「じゃあ、きょうはここまでねン。アザミちゃんのとこに帰っていいわよン。きっと待ってるでショ」 「先に寝てるようにって言っときましたが」 「待ってるわよン」 小夜子さんは言い切った。コジローはにやりと笑って言った。 「後片付け、済ませてから行きます」 ヌマジリは溜息をついて言った。 「若い奴にはかなわん。もう少し休みたかったんだが」 ヌマジリは立ち上がって言った。 「テーブルの上はもういいな?まず、椅子を上げろ。厨房の方は俺が片付けるから、ざっと掃除をして、あがりだ」 「了解!」 |
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コジローはきびきびと動き始め、5分後には厨房の片付けのヘルプに入った。10分後には全て片付き、コジローは店を辞した。小夜子さんはグラスを二つ取り、水割りを作った。 「お疲れさまン」 「ああ、すまん」 小夜子さんは水割りを口に含み、飲み下した。カウンターに寄りかかり、ヌマジリを見る。 「いい子よねェ、あの子。真面目で、手抜きを知らなくってェ」 「ああ」 「お連れさんもいい子だしィ」 小夜子さんはカウンターから離れ、ヌマジリに近づき、肩に手を置いた。 「どうするのン、あなたン?」 ヌマジリは、水割りを一気に煽った。 「だから、言ったとおりだ。もう少ししごいて、それから先はその時に考える」 「了解、いたしましたァ」 小夜子さんは言い、残りを一気に飲み干した。 |
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コジローは倉庫に向かって歩きながら、神経を尖らせていた。 (何かピリピリする。何かがあるのか。それとも単なる気のせいか) コジローは歩きながら気配を探る。 (初めて来た町だ。何もあるはずがない) 特に気にかかる気配はない。 (やはり気のせいか) アザミを連れているから、神経質になっているのかもしれないとコジローは思った。そして、そのコジローの背後で、気配を隠して闇に溶け込んでいるものがいた。 「危ない、あぶない。彼を甘く見ていましたね...」 コジロ−は気づかず、アザミの待つ倉庫へ帰ってゆく。影は再び動き出し、距離を置いてコジローについてゆく。 |
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コジローが帰ると、倉庫の中の電気が点いている。 「ただいま?」 コジローが鍵を開けてはいると、上からアザミが声をかけた。 「お帰り!」 コジローは見上げて言った。 「ああ。寝ないで待ってたのか?」 「うん。昼寝したから」 「もう1時だぜ。寝てていいよ」 「ん。片付けしてたら、のっちゃってさ。待ってたわけじゃないから、気にしないで」 「うそだろ」 「...うそだよ。一人で寝ようと思ったんだけど、何か心細くて。コジロー、変な人につけられなかった?」 「何かあったのか?」 「おじさんのところから10時くらいに帰ったんだけど、なんかつけられてるような気がしたんだ。そのあと、銭湯に行ったんだけど、そのときもやっぱりつけられてるみたいでさ」 「痴漢か?」 「ううん、そんな感じじゃない。全然見えなかったもの。でも、それがかえって怖くてさ。ひょっとしたら、気のせいかもしれないけど」 コジローはアザミの顔を見ながら、考えていた。 「確かに、俺も感じたな。気のせいかもしれないと思った。何かあるのかもしれない。アザミ、別々に帰るのは止めよう。あそこの飯屋は12時までやってたよな。明日から、12時になったらおまえを迎えに行く。それで、一緒に帰ろう。ちょっと遅くなるけど、しばらくはそれで行く」 「そうだね。わかった」 アザミは何を考えたのか、ぱっと明るい顔になった。 「じゃあ、お風呂も一緒だね」 「ん、まあ、そうだな」 「よかった。一人で行くの、心細かったんだ」 「なるほど」 「コジローはこれから行くんでしょ?」 「えー?もう1時だぜ」 「お風呂屋さんは2時までやってるよ。行ってきなさいったら」 「一日くらいいいだろう」 「だめ!清潔が健康の基本だよ。それにコジロー、汗くさいし」 「...なんか、すごく働いたからなー」 「あせくさーい。あせくさーい」 「わかったよ。行きます」 「ぼくももう一回行こうかな...」 「もう行ったんだろ?」 「なんか、コジロー一人で行かせるのが可哀相で...」 「あほ」 深夜の街、外は静まり返っている。倉庫の中は裸電球の黄色い灯りに照らされ、アザミとコジローを照らしている。コジローはこれから風呂屋に行くかもしれないが、とりあえず、今日一日のイベントは概ね終わりを告げた。そして、また明日の日が明ける。新たな一日、そしてまた一日。日々は積み重なり、後ろに多くのものを残していく。そして、コジローをマークしているものたちは、それを望んでいなかった。 |
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