黒の魔歌 〜序・破・急〜 p.6
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1 | 動き始めた影 |
2 | 商売にはどちらの面もあること |
★ 動き始めた影 |
「そう言えば例のお兄ちゃん、定住を始めたって?」 アオはソファに深く座り、足を組んで背もたれに凭れかかりながら、煙草を持った手をコウガに突きつけた。 「そうらしいな」 「女もついているそうじゃないか」 「まだ子供だと聞いたが」 「女は女だろ。世の中には色々な趣味の人間がいる。俺はそれを否定するつもりはないね」 「コジローという男自身がまだ19歳だ。子供だろう」 「確かにね。プランナーさん方は何を考えているのやら、だな」 「あの男は、ほとんど単身で二つほどの組織をつぶしている。年齢では量れないものがあるんだろう」 「どっちも売春斡旋業だろ。そういうのが好きなのかも知れんな、あるいは」 アオは隣りに座っている女にウィンクを送った。女はひっそりと微笑む。 「なあ、モリ。若い男の子なんてどうだい。食指が伸びないか」 モリと呼ばれた女は、口の片はしを吊り上げて笑う。コウガはゆっくりと言った。 「確かに、定住して世間的なつながりができると面倒は面倒だな」 アオはふらりと立ち上がった。モリを促して部屋を出て行きながら、コウガに言った。 「ちょうどいい。俺は今、閑なんだ。俺があの男を世間から引き離してやろう。ついでに、あの男の腕も見てきてやる。組織が欲しがるほどのもんなのかどうかもな」 アオの言葉の中に、コウガは組織に欲しがられているものに対しての、嫉妬のようなものを感じとった。焦っている。焦ると、ろくな結果にはならない。コウガはそれを指摘してやるほど、アオに親しいわけでもなかったが、自分を組織に引き込んだものに対して、多少は気持ちが動かないわけでもない。変わりに別の言葉を吐いた。 「煙草は控えた方がいいぞ」 アオは振り向いて言った。 「おまえこそ、いつまでも一人の女のことばかり考えていると、脳味噌が腐っちまうぜ」 言い捨ててドアを閉めた。コウガは憂鬱そうな顔をして、灰皿に置かれた煙草に目をやった。そして、じりじりと蒼い煙をあげる煙草の、その火口が崩れていくさまを見ていた。 |
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「カーテンねェ...いいわねェ。ごめんね、安給料でェ」 小夜子の言葉に、アザミは明るく答えた。 「いいえー、ぜんぜん。やりくりも楽しみですから」 「ちゃんと食っとかんと死ぬぞ」 「はい、食ってます。そんな気がしてますんで...」 女性陣に比べ、こちらの会話は殺伐としている。 「よォ!主婦の鑑ィ!」 「やだ〜、小夜子さんたら〜」 こちらは華やぎの度合いを増している。コジローは巻き込まれるのが怖いので、なるべく聞かない様にしていた。昼食が終わり、アザミは出る。 「じゃァ、気をつけてねン」 「はぁーい。コジローも迷惑かけないように頑張るんだよ?」 ああ、とかよけいなお世話だ、とかいう言葉を聞き流して、アザミは外に出て行った。 |
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アザミは帰りながら、頭の中で計算をしていた。時折、歌のようにリズムを持った言葉が、アザミの口から零れ落ちる。 「コジローのお給料は、10時間働いて、時給400円だから四千円、おやどが千円食事込み、お風呂が780円、あとは前金を返済中で、10回払いの1回千円。残りは1220円」 アザミは商店街の店を眺めながら歩いている。 「1220円できょうはどこをどうしようか」 アザミは 「まずはカーテンかな」 アザミは、手芸店を見つけて中に入り、迷わずに鮮やかなバーガンディの布地を切ってもらった。安売りで、メートル300円。4メートルに、おまけをつけてもらった。 「きょうはこれだけ」 アザミは包みを抱え、お礼を言って店を出て行った。 |
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アザミは気がついていなかったが、アザミが店から出てずっと、アザミからつかず離れず、ついている男がいる。ポロシャツにスラックス姿の、カジュアルな格好である。暇を持て余しているような様子で、ウィンドウを覗き込んだり、つながれている犬にちょっかいを出したりしている。男は暇そうに町を歩きながら呟いている。 「少しずつ、少しずつ。積み重ねていく生活の印(しるし)。」 男はアザミのことなど気にも留めていない様子で、酒屋の中に並んでいる酒瓶のラベルを、眉間にしわを寄せて真剣に読んでいる。 「いろいろな物を買い込み、顔なじみの店ができる。いつ、どこにいたかが、町の人を聞きまわれば特定できるようになる。そしていつの間にか、社会との間に強いつながりができてしまう。それがまずいんだよ、お嬢さん」 男は電気店の前で、新型のテレビを買うかどうか悩んでいるように、眉間に皺を寄せてみている。ガラスには、倉庫に向かって歩いていくアザミの姿が映っている。 「つながりが出来る前に、それを壊さなくてはならないんだよ、お嬢さん」 |
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アザミは、梯子を上り、買ってきたものを置いた。 「よし!」 アザミは腰に手を当て、梯子の上の空間を見渡した。しばらく放って置かれたらしく、埃も溜まっているし、色々なものが雑然と置いてある。 (これがおうち。コジローと私の初めてのおうち) 「まずはカーテン。特売の生地。色は小夜子さんお勧めのバーガンディ。これを付ける。カーテンレールは、倉庫の隅に落ちていた丸いパイプ。これを針金で壁からぶら下げて、そこにドレープをつけた布地を通す。これで見違えるようになるはず。でも、まずはお掃除。徹底的に、お掃除」 アザミは手ぬぐいを頭にきりりと巻いた。 (コジローと私の安住の地) アザミは、右奥の方に重ねてあった、木箱を持ち上げた。すると、その下から高速で移動したものがある。 「ん?」 アザミはその物体の移動先を慎重に確認した。するとそこは、すらりと伸びた足を数十本備える、不快害虫界の韋駄天(いだてん)男、ゲジ君がアザミの方をじっと見つめていた。 「ひぃ、ゲジゲジ!」 怯えるアザミに、ゲジ君は余裕の体である。俺の住処を荒らすなんてふてえ野郎だ、とっとと出て行きやがれとでも言うかのように、じっと動かずにいる。が、しかし。 ビッターン...ン...ン... 倉庫の中にエコーを響かせて、つい今までゲジ君の存在していたところを、アザミがしっかり握ったスリッパが占拠していた。ゲジ君が脱出した様子はない。 「く...くく...くくくくく...」 アザミの口元が引き攣る。そして、目は狂気を宿し、次第に声が高くなる。 「ふ...ふは...ふはははは」 そして見よ、声は高らかな笑いとなって、倉庫中に響き渡った。アザミはきっと振り返り、箱の山に向かって宣言した。 「この宿に巣食う虫たちに告ぐ。おまえたちに恨みはないが、ここは速やかに明け渡してもらう。」 木箱の陰で、動く気配はない。皆、息を殺して様子を窺っているのだ。アザミは首を落とした。そしてそのまま、また喋り始める。 「...虫は怖い...怖いが、ここは」 アザミはばっと顔をあげた。 「ここはコジローとぼくの、巣とさせてもらう」 アザミは両手にスリッパを掴み、木箱に近づいた。慎重に近づき、そして、木箱を...蹴った。途端に倉庫に阿鼻叫喚が満ち、激しい連続する打撃音と、木箱を蹴り飛ばす音が響き渡った。 「ジェノサイドー!」 ちなみに、これらの音響は、すべてアザミ一人から発せられたものである。その、人を不安にさせる大音響は、倉庫から100メートルほど離れたところで待機している監視者にも聞こえた。合間にここかー、とか、いやー、とか、死ねー、と言うように聞き取れる声が混じる。 「......お嬢さん...」 その騒ぎは15分ほど続き、そしてふつっと途絶えた。そして、ざざっ、ざざっと、何かを掃き寄せるような音が変わって聞こえ始め、再び監視者を不安に陥れた。 「何という事はない、ただの掃除の音だ」 監視者は自分に言い聞かせたが、それでも一向に不安は去ろうとしなかった。在り様は、本当にただの掃除の音だったのだが、大虐殺の様子を間近で聞いて、高ぶった神経には、どうにもそうは思えなかったのである。 |
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★ 商売にはどちらの面もあること |
コジローも働き始めてから何日も経ち、回りの状況が見えるようになってきた。ある日、コジローがテーブル席の灰皿を替えていると、そのテーブルの会話が耳に入った。気になって、コジローは耳をそばだてていた。 「どうせ、どこにも行く当てはないんだろう。うちに来れば、寮完備だから、当座住むところの心配もないしさ。ちょっと我慢して店に出れば、あっという間に金が稼げるんだぜ」 「でも私、そんな」 「無理に店に出ろなんて言いやしねえよ。寮には先輩も大勢いるし、店に出てない子だっているんだ。そりゃ、金は取るけど、馬鹿ほど高いって訳じゃない。相部屋なら普通に部屋を借りるより、ずっと安いしな」 どうも、家出娘とスカウトらしい。コジローの脳裏に、海際の屋敷が甦った。(納得ずくで家出少女を集めてきて)(みんなここを気に入っている)一度、そういう世界に引き込まれたら、やめるのは難しい。外的な要因より、本人自身がそのような生活を容認してしまうからだ。コジローは、そういう子が増えてしまうのを、我慢出来なかった。コジローがそのテーブルに近づくと、柔らかい身体がぶつかってきて、前を遮った。 「あらン、ごめん」 小夜子さんだった。小夜子さんはコジローに言った。 「ちょっと、特別なお酒を頼まれたんだけど、見つからないのン。手伝ってン」 コジローはしかたなく小夜子さんについて行ったが、振り返ったその一瞬に、女の子の怯えたような表情が眼に焼きついた。男の方はいらついたような表情で、コジローを睨んでいる。 「あなたン、お店のほう、ちょっと任せたわン」 小夜子さんはジリさんに声をかけて、倉庫の方に入って行った。コジローは小夜子さんに続いて、倉庫に入った。 「どんな酒ですか」 コジローが聞くと、小夜子さんは捜しもせずに腕組みして、コジローを見ている。小さな明り取りの窓から外のネオンの光が入り、首から下がまだらに見えている。首から上は、暗くて見えない。 「あンた、今、何をしようとしていたのン」 小夜子さんの声は、何時になく冷たい。どうやら、すっと様子を見ていたらしい。 「お客様のプライベートはプライベートよン。口をつっこもうなンて、思い上がらないでねン」 「あそこのテーブルの二人は、家出人と、風俗業のスカウトです」 「ええ、そうねン。それで?どうしようとしていたのン?」 「女の子を、帰してやろうと思って」 小夜子さんは、静かに溜息をついた。 「やっぱりねン。雰囲気、危なかったもんネェ」 小夜子さんは顔を上げて言った。 「コジローちゃん、あンた、今後こういうことは一切しないでねン」 「でも...」 食い下がろうとするコジローの言葉を遮って、 「あの子、いくつくらいだと思うン?」 「18か、20歳くらいだと思います」 「そうねン。十分に、自分のやっていることに責任が持てる歳よねン」 「でも...」 「家出はねン、自分のやることに責任を持てるからやるものなのよン。自分ですべてを背負えるようになった人間が、独立するためにやるもンなの。そういう人を帰してあげて、その人が幸せになると思ってンの?」 「......」 「うちの場合、お得意さんはどっち?あの子と、あのおじさまと」 「...おじさんの方です」 「そうよン。その人を怒らしちゃったら、もう二度とうちに来てくれなくなっちゃうわよねン」 「...はい...」 「わかってくれればいいのよン。それにね、ああいう世界はけっこう狭くてねン、一度こういうことがあったら、そういう人たちが、みんなうちに来てくれなくなっちゃうのよン。そうしたら、うちはつぶれちゃうのン」 「…わかりました」 「もし、あンたがこのお店を潰したりしたら、あたしは絶対許さないからねン。誰でも、旦那の夢を潰すようなことをする奴は、あたしが絶対に潰してやるんだから。あたしにあンたを潰させないでねン」 「小夜子−」 ジリさんの呼ぶ声が聞こえてくる。どうやら、手が回らなくなったらしい。 「はーいン、今行くわン」 小夜子さんは置いてあったウィスキーのビンを適当に掴み、倉庫を出て行った。出て行き際に、立ち止まり、振り返らずに言った。 「あたしたちもねン、商売でこのお店をやってるのン。慈善事業じゃないのよン。あンたの気持ちはわかるけど、そんなことをやっていたら、お客さんがあっという間に誰もいなくなっちゃうのよン。お客様が離れちゃったら、今度は私たちが飢えるのよン。商売はね、綺麗事だけじゃ済まないのン。わかれとは言えないけど、人にはそれぞれ責任を持たなけりゃいけないところがあってねン。それは一人一人に持って貰わなけりゃならないって考えて、今は見て見ぬ振りをしてちょうだいねン」 「小夜子−!」 ジリさんの声が悲鳴に変わっている。 「はぁーいン」 小夜子さんはコジローの方を見て、言った。 「おビール、箱ごと持ってきてねン」 小夜子さんは出て行った。コジローはしばらく身動きもしないで、闇の中に立っていたが、次第に首を垂れ、言った。 「努力してみます」 コジローは言って、顔を上げた。そして、小夜子さんの後を追って、ビールを抱え上げて、倉庫から出て行った。 |
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「それは当たり前だろ。あるべき論で突っ走っていると、いつの間にか回りに誰もいなくなってるよ。そりゃ、良くないのは良くないさ。でも、カモにされる方も良くないよ。ちゃんとした暮らしをするつもりなら、都会でだって田舎でだって、出来るんだから。自分がやりたいことをするために来るんなら、それなりの準備をして来なくちゃならないだろ。何となく、いい思いをしたくて出て来るんだろうけど、世間はそんなに甘くない。いい思いなんて、そうそう出来ないさ」 アザミはそう言い、コジローを優しく見て、また人形作りを再開した。 「そりゃ、そうだろうけど。目に入ったものは何とかしたくなるじゃないか」 「それで、小夜子さんのお店をつぶしたいの?夜に開いている店は、多かれ少なかれ、そういう人たちで保っているんだよ。ああいう社会はネットワークもすごいから、あっという間に日干しになっちゃうよ」 コジローは憮然として黙り込んだ。アザミは優しい目でコジローを見て言った。 「ガキ。だから僕みたいのを抱え込むことになるのさ。僕だけだって、コジローを足止めしちゃっているのに、これ以上増やしてどうすんの」 コジローは傷ついたような眼でアザミを見て、すぐに目を伏せた。 「だから、私も置いてけ、ってか」 アザミの目はいよいよ優しい。 「馬鹿だね。僕は駄目だよ。コジローが引き受けてくれたから、来たんだ。僕はもうコジローしかいない。置いてかれたら死んじゃうよ。」 コジローは顔をあげた。 「済まん。バカなことを言った」 「気にしてないよ。コジローは絶対そんなことをしない、ってわかってるから」 「そうかね」 「そうだよ」 アザミは人形作りを再開した。しばらく黙っていたが、呟くように言った。 「でも、コジロー?それでいいんだよ」 コジローはアザミの言ったことがどの文脈だかわからなかった。 「何がいいんだ?」 アザミは人形を作る手を止めず、歌うように言った。 「みんなを抱え込んじゃってもいいんだよ。コジローはみんなを救える人だから」 「なんだよ、それ。それで勲章でももらうか?」 「コジローはそんなの欲しがってない。コジローの欲しいのは、たぶん……」 「何だ」 「あれ、やっぱり駄目だ。コジローの人形を作りたいんだけど、どうもうまくいかないんだ」 アザミは話の方向をすいと変えた。 「コジローをわかりきれてないんだね、たぶん。いろいろ迷っちゃう。だって、コジローはとてもとても広いんだもん」 「近くにいすぎてわかんないとか」 「コジローをわかろうとすると、どこまでも沈んでっちゃうんだ。回りを見ても、果てしがない。でも、あっちのほうに、すごく大事なものがある。そのために、コジローは全部を緑の草原や、花園や森にしたがってる。だから、コジローはみんなを助けたいんだ」 「そうなのか?」 「だから、わかんない。すごく怖いものもあるみたいなんだ。みんなを助けられなければ、みんなを滅ぼしてしまいたい、なんて感じもする。コジローは明るいところにいなけりゃ駄目だよ」 「って、夜のお仕事だしな」 アザミは人形を置いて、コジローににじり寄った。 「欲しいものを間違っちゃ駄目だよ」 アザミの声は、真剣そのものである。コジローは茶化して逃げるほど大人ではない。 「もちろん。俺はそのために生きてるんだろ?絶対、間違えたりしないよ」 「そう思って、進んで。間違ってたらちゃんと直すんだよ」 アザミの目はまだ苦悩に疼いているようだ。コジローは自分の魂が、その渦の中に吸い込まれてしまうような気がした。恐ろしいほど真摯で、深いその眼に。 「おまえの目って、すごく綺麗なのな」 「迷っているからさ」 アザミは言い、ふと力を抜いて人形を取り上げた。 「私が何か出来ればいいんだけど……」 アザミは暗い眼をして、人形を見つめた。 「おまえはいつも通りでいてくれればいいのさ。適度に突っ込みを入れてくれれば、それでいい」 「そうだね。突っ込みどころは満載だし」 「おまえなー。一言多いんだよな」 「へへ…」 アザミは笑った。コジローは大丈夫だとアザミは思う。しかし、アザミの心の中に巣食う不安は、その姿を減じたわけではなかった。 |
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