黒の魔歌 〜夢幻〜 p.3
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「わかってるんですか、おにいさん。あんたが今来ているのは、やくざの事務所だ。ここで何かやらせて欲しい、ってのがどういうことか。」
ソファから身を乗り出すようにして、コジローに応対しているのは、先ほどメタメタにしてから、この事務所に連れてきた男とは、明らかに違う階級に属していることが、向かい合っただけでわかる男だった。物腰は柔らかいが、何かあったときには躊躇なく相手の命を奪うであろう凄みが感じられる。この凄みが表に感じられてしまうのが、この人種の限界なのだろう。政治家などは、蹴落とそうとしている相手でも、親身になって心配してやれるほど、このあたりの技術は優れている。なまじの人間では入れない世界の人種である。
「わかっている。小金が欲しい。何か出来ることがあったら、やらせて欲しい。」
男は溜息をついて、ソファに深く腰をかけた。ちらりとコジローを連れてきた男の方を見やる。
「大野、この方はどんな感じだ。おまえが連れてきたんだ、何か使えると思ったんだろう。」
コジローを連れてきた男は、大野というらしい。唇を拭って、まだこびりついている乾いた血を見て、顔をしかめながら言った
「ああ、事務所に詰めててもらってもいいかな、と思ったもんで。ちょいと最近、五領のあたりの連中が、どうも気にいらない動きをしているんで、まあ、枯れ木も山の賑わい、って奴ですよ。」
「おい、大野。そいつはお客人に失礼だぜ。まあ、見たところ、大野より役に立ちそうだしな。」
「ひでえなあ。もっとも、こちらもそう思ったから連れてきたんで...」
「と、いうわけだ。お客人。しばらく、この事務書の中をごろごろしていてくれ。そのうち、何かお願いすることもあるかもしれない。俺は真田だ。」
真田は右手を伸ばしてきた。
「俺はコジローという。」
コジローは手を出し、真田と握手を交わした。
「ちょうどめし時だ。大野、何かとって、お客人に食わせてやってくれ。」
「わかりました、真田さん。」
大野は事務所を出て行った。真田はコジローを値踏みするように眺めた。
「コジローさん、本当にいいんですか。さっき、大野のやろうがべらべらと喋っちまったが、同じ組織の連中が、こっちに突っかかってきているんですよ。こっちは無視するつもりなんだが、いざ、火の粉が降ってきたら、やっぱり払わないと、火事になっちまうんでね。その火の粉払いを手伝ってもらうってことになると、これは相当危ない話ですよ。」
コジローは表を眺めていた目を真田に向け、言った。
「火の粉が振ってくるところにいないと、消えてしまいそうな火がある。危ないのは、はなからわかっている。」
真田は頭をぼりぼり掻きながら言った。
「よくわからんけど、まあ、大野あたりに話を聞いてください。あんたは組に入ったわけじゃない。抜けるのはいつでも自由ですからね。まあ、一線を越えなければ、ってことですが。」
真田はコジローを油断なく見つめていた。コジローは手を振って言った。
「置いてくれて、恩に着る。とりあえず、まったく行く宛てがなかったんで。」
「大野が連れてきたんでね。あいつも、人を見る目はそこそこあるんで。」
コジローはそれを聞いて、ふと微笑んだ。明るさのない、影のような笑いだったが。
「あの男はなかなか大したもんだ。あんたも人を見る目があるようだな。」
「まあ、そういうことだ。」
コジローはまた表を眺めている。出前が入ってきたらしく、大野の応答する声がかすかに聞こえてきた。その日から、コジローは真田の客分となった。夜は真田の屋敷に空き部屋があったので、そこに泊めてもらっていた。しばらくはとりとめて何もない日が続いたが、ある曇った、月のない夜に、真田の屋敷に賊が押し入った。
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