翌日、久美が迎えにきた。忙しい中、ルカは久美を母親に紹介した。驚くことに、母親は久美を覚えていた。うちに遊びに来たりしたことなどなかったのに、よく覚えているものだとルカは思った。
久美のおかげもあって、学校に馴染むのに、それほど時間はかからなかった。まあ、可もなく、不可もない生活が送れそうだと思ったが、誤算は久美が友人であるということであった。意外に、というか、案の定というか、久美はけっこう目立つ存在だったのだ。久美が友人だというだけで、周りの人間が一歩引く気配がある。話をすれば馴染んでいけるのだが、どこか恐れられている気がする。まあ、仕方がないことだが。
学校のことはともかく、ルカには大きな課題が一つあった。この町に来たことで感じる、あの切ない気持ちである。最初は、久美との別れがそれだったのかと思ったが、久美と出会った後も、この疼きは消えない。この原因を突き止める必要がある。久美に相談しようかとも思ったが、あまり人に頼っていると、そのうち食事も人に食べさせてもらわなければならなくなると思い、自分で追求してみることにした。私だって、多少はできるわよ、という思いである。取っ掛かりも何もないのだから、大変だろうというのは想像できたが、実際に取り掛かって見ると、この作業は困難を極めた。
元々、緻密な性格ではないので、ルカは自分の野生の勘にすべてを預けることにした。つまり、頭を使わずに身体を使おうという発想である。ルカは、7年前に幼児であった自分が行ったであろうところを、しらみつぶしに歩き回ることで、自分の気持ちを騒がす原因を突き止めることにしたのである。
幼児であれば、それほどの行動範囲を持たないはずであるという、優れた洞察(思い込み)に裏付けられているので、それほど馬鹿な考えというわけでもないのかもしれない。久美と会った幼稚園周辺から始めて、行ったであろう公園や商店を回ってみたが、得るところはなかった。平日はいろいろと忙しく、休みの日にしか回れないので、あっという間に日が経っていった。
数ヶ月がまったく何の手がかりももたらさないまま過ぎてゆき、ルカもさすがに落ち込んできた。新しい友人たちが休みのお誘いをくれるのを断って、これだけ歩き回って、どう考えてもかつての自分の行動範囲を、すべて網羅したと思われるのに、心の中に何の反響もないのである。自分の勘違いで、この町とこの気持ちの揺らぎはかかわりがないのだ、とも考えてみたが、そんなことはないというのはわかっている。ルカは次の手を考え出すことができなくなっている自分に気づいた。
土曜日の3限目が終わり、もうすぐ学校から開放されるという休み時間。まわりの子たちは、明日の予定のすり合わせに余念がない。それにひきかえ、このわたしは、と、ルカは暗い思いに浸っていた。思いつけない明日の予定にとらわれて、何も出来ない。もう、あきらめてみんなと遊びに行こうかななどとも思ったが、自分の心をつかまえているこの不思議な思いは、そこらに捨て去ることは出来そうもない。いいことか悪いことかもはっきりしていないが、感触から言うと、いいことのような...でも、もう万策尽きたのよ。刀折れ、矢も尽きたのよ。どうせ私じゃあ、見つけられないのよ。私は役立たずよ。自分じゃ何も出来ない豚よ。ゴミ虫よ。ハナムグリよ。ダンゴムシよ。むしむしQよ。ここまで考えて、おもわず、腹の底から、大きな溜息が出てしまった。
「はあああっ」
「土曜のお昼に、そんな溜息をつく女子中学生はいないよ。」
「ああ、久美...」
覗き込む久美の顔に、ルカは無気力な視線を向けた。
「その溜息はどこから来るんだい。」
「ああ、これ。わかんないのよ。」
「ふうむ。」
久美はルカの前の席にこちらを向いて座り、さぐるような視線を向けてきた。
「ここ何ヶ月かの町探検は、その溜息に関係あるの?」
「ぴんぽーん。大当たり−」
無気力なリアクションをものともせず、久美の視線は食い込んでくる。
「どうやら、方針が立たなくなったようね。」
ルカは思わず座りなおした。
「なによ。なんでそんなことがわかるのよ。」
「あたりまえだろ。最初のころは、休みの前となると目をきらきらさせていたのが、このところ澱んでいる。休みが楽しくない奴なんていないだろ。ついにはあの大溜息だ。そりゃ、なんか挫折したんだって、誰にでもわかるだろ。」
「そう?」
「そう。うるさいと思われるのがいやで、黙ってみてたけど、そろそろこのおねいさんに話してご覧な。きっと悪いようにはしないから。」
「悪いようにはしないって言うと、大概悪くなるって知ってた?」
「知ってる。じゃ、言い換えよう。これ以上悪くなりそうもないだろ。私に言ってみれば、何かきっかけになるような言葉をひねり出せるかもしれないから。」
「それなら乗れそう。」始業の鐘が鳴る。
「じゃ、授業終了後に、しばらく残って。たぶん、すぐに誰もいなくなるから、ここで話そう。」
久美は立ち上がり、自分の教室に帰っていった。ルカは4限の授業の間中、自分なりの考えをひねくりまわしたが、やはり何も出てこなかった。ホームルームが終わると、久美の行ったとおり、あっという間に教室は空になった。探し物をしているふりをやめ、机に頬杖をついてぼーっと窓の外の青空を眺めていると、久美が入ってきた。
「休前日の学校の放課後は、秘め事を語るにはいちばんいいところだよ。」
「みんな、やることがあって、やりたいことがあって急いで行っちゃうのよね...」
「わかった、わかった。さあ、聞いてあげよう。君の悩みをすべて話してご覧。私がすべて悪用して、あなたを抹殺してあげるから。」
「ほんとうに、話すことはあんまりないのよ。残念ながら。確実なことは何もないんだから。」
そう前置きして、ルカはこの町に来てから感じている、切ない気持ちのことを話した。それを突き止めるために、町じゅうを歩き回って見たことも。
「そっちは知ってる。」
久美はぼそりと言った。ルカは久美の顔を見た。久美は片肘をついて、手のひらを頬に当てて頭を支えている。そのせいで、視線が合わない。
「え?何で?」
「学校中の女子の間で噂になってるよ。休みの日になると、あんたが町を歩き回っている姿を見かけるって。」
町じゅう歩き回っているんだから、見かけられても不思議はない。しかし、噂になっているというのは、気持ちよくない。
「そんな噂が広まっていると、気付かなかった...」
「あたりまえでしょ。噂の当人に噂は流れないわよ。知らぬは本人ばかりなり、って、よく言うでしょ。」
「うん...でも、気持ちよくないな。見かけたよ、って言ってくれればいいのに。」
「みんな、不思議だったんだろ。何で歩き回ってるのか。目的がわからないからね。あんたが前に、この町にいたってことも、ほとんどの子は知らないわけだし。」
「それじゃ、私は変質者か何かみたいじゃない!」
「そうだよ。」
久美の言葉に、ルカは言葉が詰まった。久美は目を背けたままである。
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