微量毒素

緑の魔歌 〜帰郷〜 p.5

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 久美は視線を合わせないまま、言った。

「そうなんだよ。中学生って、やっぱり世界が狭いから。ほとんど幼稚園から中学校まで、同じメンバーで過ごしているから、途中で入ってくる異物には、特別の関心が集まってしまうのさ。だから、転入生は珍しいし、その転入生が変わったことをしていれば、みんなはひそひそばなしのネタが出来て、大喜びで噂にするのさ」

「久美。わたし、今日のあなた、あんまり好きじゃない。思ってても、そんな言い方はしちゃだめよ。私の味方づらして、誰を敵に回したがってるのよ」

 久美は顔をあげた。ルカの目を正面から見て、少したじろいだ。

「わたし、別に...」

「何言ってんの。伊達に流浪生活はしてないわよ。久美はけっこう、いろんなことを飛び越えているんだと思ってたけど、やっぱり、中学生だもんね。でも、愚痴仲間を作るつもりならやめて。わたし、そういうの嫌いだから。久美、あんたは愚痴なんか言ってる間に、やることがいっぱいあるでしょ。もったいないわよ、そんなの」

 久美はしばらくルカの目を見つめていたが、不意に頬を赤くして下を向いた。

「ごめん」

「いいのよ。愚痴を言いたいと思えるほど、信頼されてうれしいわ。でも、あなたの時間は愚痴や噂で埋めるにはもったいないわよ。私の今の問題が片付いたら、なんかしましょ。とりあえず、今はあなたしか頼る人がいないんだから、わたしの問題解決を手伝って」

 久美は顔をあげてルカを見た。

「やっぱり、7年っていう時間は大したもんだね。あんたがこんなに立派になってるなんて思わなかった。ごめんよ。ちょっと気弱になってたんだ。理解されないってのは、なかなかつらいんで」

「よし、よし。久美は理解される必要なんてないの。もっとふっ飛ばしていいのよ。そうすりゃ、気弱になってる暇なんてなくなっちゃうから...っと、ここで話を戻そう。と、言うわけなのよ」

「なるほど。変質者と間違われるほど、町を徘徊したのに、未だに取っ掛かりもつかめないというわけなのだね」

「ねえ、ことばに悪意のかけらを感じるんだけど、気のせいかしら」

「気のせい、気のせい。となると、今の時点ではっきりしているのは、不思議な気持ちを、この町に来てから初めて感じたという点と、町の風景を見ただけではその気持ちの出所をつかめなかった、ということだけか」

「そうね」

「じゃあ、前提条件を並べてみよう。
ひとつ、この町に、ルカの気持ちを揺らすものがある。
ひとつ、それはいやなことではなさそうである。
ひとつ、町の風景では、心の琴線に引っかかるものはない、と」

「うんうん」

「この前提から考えられることは、どんなことがあるか、だね」

「不思議な気持ち自体が、思い込み、または勘違いだった場合」

「ありうるけど、違うんじゃない?そんなあやふやなものだったら、もっと早くあきらめがつくはずよ。何ヶ月も気持ちをひっぱってるんだったら、もう強迫観念に近いくらい、根を下ろしてるってことでしょ」

「なんだか怖いな...」

「いやなことじゃなさそうなんでしょ」

「うん。でも、そんなに自分を引っ張ってるものがあるなんて、いいことでも怖い感じがする」

「ああ...それは、そうね。幸か不幸か、私にはそんなものはないし。あったら怖いかもしれない。どうする?わかっても怖いかもしれないわよ?」

「わかって怖いのと、わからないで怖いのは、中身がぜんぜん違うから。わからないままにするのは、絶対いや」

「りょーかい。じゃあ、次に、ルカの心の奥に入り込んで見ることにしましょう」

「なに、それ。うさんくさーい」

「身体を張って歩き回ってだめだったんでしょ。次は、ルカの心を張ってもらうのよ」

「んー、わかんない。どうするの?」

「私が言葉をあげていくの。その中で引っかかる言葉があったら、それをとっておいて、眺めて見るの」

「何か、占いっぽい。タロット占いみたいな感じね」

「占いは信じないの、私は。根拠が信用できなくて。どうしても判断に困る時だけ、動き出すトリガーとして使うことはあるけど。今回やろうとしているのは、あくまで、ルカも忘れていることを、表に引っ張り出すための手段の一つだから。これもだめなら、また別のやり方を試して見るわ」

「ふーん。わかった。やってみましょ」
 久美は、紙を出して、メモをする準備をした。細いシャーペン。いいな、あれ。後で久美にどこで買ったか聞こう。

「目をつぶって」

 ルカはくすくす笑いながら言った。
「やらしいことしないでよ」とたんにわき腹に久美の手を感じた。

「どーせ、そーゆーふーに思われているのなら−!」くすぐってくる手を避けながら、ルカも相手をくすぐりまくった。

「やめてー、やめー!」しばし、狂乱。ようやく、体が離れ、ぜーぜー息を吐きながら、久美とルカはにらみ合った。手が鉤爪のようになって、動いている。

「話が進まない。この遊びは別の機会にしよう」久美は服の乱れを直しながら言った。

「私はもうしなくても、まったくかまわないんだけど」ぶつぶつ言いながら、ルカはほつれた髪を直した。

「目をつぶって」今度は有無を言わせない口調で、久美が言った。

「はいはい」

「はいは一回」

「お約束ね」

「またやらしいことをしてやろうか?」

「ごめん。始めよ」

 沈黙があった。遠くで、部活動をしている生徒の声が聞こえる。鳥の声や、遠くの車のホーンの鳴る音が聞こえる。目をつぶっただけで、世界は変わってしまう。目を開けているときには聞こえない、世界の動きが聞こえてくる。


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