微量毒素

緑の魔歌 〜帰郷〜 p.8

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 ルカは久美の部屋の中を見回した。

「へええ。けっこう乙女チックな好みなんだね。」

「親がね。いろいろ女の子っぽいものばっかり買ってくるんで、けっこう苦労するわ。」

 人形やぬいぐるみがたくさん置いてある。親が、という割には、けっこう気を使って、飾っているようである。まあ、あまり追求されたくないのだろうと察しをつけ、話を変える。

「ああ、そう言えば、親に聞いたんだけど、やっぱり、誘拐事件なんてなかったってさ。」

「なに、それ。」

「なにって、久美が言ったんじゃないのさ。怖いってキーワードが…」

「ああ、あれ。あり得ないでしょ。冗談のつもりで言ったのに、ほんとうに訊いたんだ。」

「くぅーみぃー…」

「どうしたのよ、怖い顔して。それより、古いアルバムを引っ張り出してきたのよ。これを見れば、遠足でどこに行ったかわかるから。」

「おーおー、さっそく調べてみましょ。」

 日曜日の朝9時、少女たちはテーブルの上に、古いアルバムを広げて検討に入った。

「この年は、春は川に行ったんだね。」

「ああ、おたまじゃくしをとったんだ。覚えてる、覚えてる。」

「そうそう、もって帰って飼うことにしたんだよね。うちはカエルになるまで、育てたよ。カエルになったら、えさに生きたハエや蚊をやらなきゃいけないって言われて、おとうさんと小川に離しに行ったよ。ルカんとこはどうしたの?」

「うちは、おたまじゃくしに手と足が生えたところで、自然の中で暮らした方が、カエルさんも気持ちいいのよって言われて、やっぱり小川に放した。でも、その後のおかあさんの行動を見てると、カエルがきらいみたいなの。おたまじゃくしのうちは、さかなに近いからいいんだけど、手足が生えてきたんで、我慢できなくなったんだと思うな、私は。」

「かわいかったけどね。尻尾のついたままのカエル。」

「そうよねー。もうちょっと飼っていたかったなー。」

「あ、これ、久美が川に落ちたところだよね。おたまじゃくしに夢中になりすぎて。やっぱり、水に縁があるのね。」

「なんか、言いたいことがあるみたいだけど、無視して進めるわよ。春の遠足ではなさそうね。」

 ルカは名残惜しそうにアルバムを閉じ、別のアルバムに手を伸ばした。

「秋の遠足は、悠久山よ。これはかなり有望ね。この時は、雨模様だったみたいね。みんな雨合羽を着てるわ。」

「ああ、これこれ、覚えてる。久美がすぐに水溜りに飛び込むんで、回りの子がみんな真似して、泥だらけになってたの。」

「なんか、いつも私が悪者になってないか?ほんとうにそうだったか?」

「そうよ。いつも久美が先頭に立ってたわ。悪いことも、いいことも。」

「いいこともあったんだよな、念のために確認しておくけど。」

「そりゃ、あったわよ…たぶん。」

「たぶん、ね。まあいいわ。この時は、雨が降っていたんで、けっこうすぐ帰ってきちゃったんだよな。あまり変わったこともなかったと思うけど、まあ、候補の一つは、悠久山と。」

「次の年の、春の遠足も河原ね。この時はおたまじゃくしより、みんなで綿毛になったタンポポを見つけて、吹くのが大流行したっけ。」

「もう、久美ったら、河原のがあらかたなくなったんで、川の中をジャボジャボ歩いて中州にまで取りに行って、先生方の大顰蹙を買っていたわよね。」

「も、何も言わん。この年の秋は…やっぱり悠久山か。こりゃ、どうやらここで決まりだね。」

「そうね...悠久山か。あそこって、交通手段はやっぱりバス?」

「そうだね。自転車でもいいけど、登るのが大変だからね。」

「ね、じゃあ今度の日曜日つきあって。」

「いや。一人で行きな。」

「なんでー...」

 思いもかけぬ久美の言葉に、ルカは涙をいっぱい目にためて、訊いた。

「泣くなよ。あったのは嫌な思い出じゃあないんだろ。」

「...うん。」

「だったら、一人がいい。そのほうが思い出しやすいさ。邪魔もんがいないほうがね。」

 ルカは座りなおして、久美をまじまじと見つめた。

「クー、あなたって、ほんとうに頭がいいのね...」

「よせやい。人より少し優れているだけさ。」

「...でも、性格は悪いのね。」

「そうなんだ...って、気にしてるんだから言うなー。」

「気にしてるんなら、お直し。いい年をぶっこきあそばして、自分の性格一つ直せないなんて、情けないわよ。」

「うう、けっこうぐっさりと、つきささってる。」

「冗談よ。性格が悪いんじゃなくて、理解されにくい性格なのよね。ま、ぼちぼち理解されやすい性格の研究でも、してご覧な。」

「理解できない相手なら、理解してもらいたくない。」

「そう、そのあたりが問題なのよね。ま、いいか、若いんだし。大きな壁をいくつも乗り越えてこそ、明るい明日が見えてくるのよね。」

「なんか、あたしの未来には大きな壁がいくつも聳えてるみたいだな。」

「聳えてるわよ。エベレスト級のが山ほど。頭がいいほど高くなるんだよ、きっと。」

「そうかもな。ルカのは悠久山級だしね。」

「今のは、なかなか高ポイントよ。けっこう、むかついたけど。」

「でも、その悠久山の中には、ダイヤモンドやサファイヤが入ってるんじゃないか。せいぜい、がんばんな。」

 ルカは久美の瞳を見つめて言った。

「ほんとにありがと。あなたがいてくれて嬉しいわ、クー。私の結婚式の時は、あなたにブーケを投げてあげるね。」

「何で自分が先に結婚すると思うのだ。」

「なんとなく、だわね。」

「おれがいき遅れると思ってるな!白状せい!」

 久美は、ルカに襲いかかった。ルカは必死で逃げた。少女の部屋は、笑い声で満たされた。初夏、緑が美しい季節である。もうすぐ梅雨になり、その緑は洗われて、さらに美しさを増すだろう。少女たちの時計は時を刻み、やがて今のこのときも思い出になる。この思い出も、きっと美しい緑に包まれているだろう。


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